ある経済怪説動画の批判 第5回目で今回でとりあえず終わりとします。

問題の動画

 

かなり長いものになってしまいましたが、正直これでもまだ上の動画の間違いの指摘が全てできたわけではありません。細かいところまで指摘し続けたらキリがないのです。こんな動画を制作する前に高校の公民の教科書なりまともな経済学の入門書から読み直すべきでしょう。基礎の基礎、基本の基本がまったくできていないのです。北海道の高校で教鞭をとられていた菅原晃さんが書かれた「中高の教科書でわかる経済学」あたりがいいかと思います。

 

経済政策の二本柱は金融政策と財政政策です。しかしながら日本の場合は財政政策に偏る傾向にあります。財政政策でなければ今日お話します構造改革(規制緩和やら産業政策、行政改革などなど)ばかりを主張するといった調子です。私も民間企業や個人の自由な経済活動を活発化させることで人々の暮らしを豊かにしていくことを望んでおり、その障害となる政・官・財の癒着で生まれた岩盤規制の撤廃などを推進していくべきだと考えていますが、金融緩和政策を軽視してそればかり主張する人たちには賛同できません。金融緩和政策と規制緩和は性質がまったく異なるものですが目的は近いです。規制緩和は民間の自由な経済活動の支障となる規制を撤廃することで新規産業や新規事業の発展をお膳立てするものですが、金融緩和政策は事業を興すための資金調達を支援するかたちによる民間事業の活性化を目指すものです。日本の場合1980年代に務めていた澄田智総裁の代から日銀の金融政策がおかしなことになり、その次の代で「バブル退治の鬼平」呼ばれた三重野康総裁が極端な金利引き上げをしてから民間投資が完全に萎縮してしまいます。民間企業が資金繰り悪化によって倒産・廃業に追い込まれ、そのあと再緩和をしても企業投資が回復しないという事態に陥ります。1997年以降からデフレが進行しゼロ金利にしても投資が増加しないという流動性の罠に嵌ったのです。

1990年代の後手後手だった金融緩和政策の失敗を棚にあげて、「金利が非常に低い水準になるといくら金融緩和をやっても資金需要が増えないんダー」などと他人事みたいなことを言っていたのが、日銀理論に被れた連中です。自分がクルマで他人を轢き殺しておいて「メーカーにはもっと安全なクルマづくりをしてほしい」とか言っていた飯塚幸三と同じです。

 

1990年代のバブル崩壊から経済や産業構造の改革が必要なんだという学識者が現れるようになってきました。年功序列制度や終身雇用といった日本型雇用システムや過剰な規制だらけの行政システム、不効率な産業構造を変革していくことが日本経済の復活につながると主張していたのですが、彼らは金融政策や財政政策といったマクロ経済政策の失敗に関心を向けようとしていなかったのです。

 

これは私の想像ですが、それを主張していた人たちは1970~80年代に介入・干渉主義的なケインズ型経済政策の失敗を目にし、それとは訣別して非介入・干渉的かつ小さな政府志向の政策に舵をきって成果を遺したUKのマーガレット・サッチャー首相やアメリカのロナルド・レーガン大統領の背中を追っていたと思われます。1970年代の欧米は過激化した労働組合が企業の経営体力や収益力を無視して乱暴な賃上げ要求やストライキ、サボタージュを繰り広げ、産業競争力や供給力が著しく劣化しました。その結果通貨安や貿易不振を招き、さらには国内民間企業や資本が海外へ逃げてしまうようなことが起きたのです。国内産業の生産・供給力不足(サプライサイドの劣化)が不況にも関わらず物価だけが高騰するというスタグフレーションという奇妙な現象を招きます。このときに脚光を浴びた経済学者がミルトン・フリードマンであり、新古典派や自由主義がもてはやされました。

 

供給力不足型不況というべき1970~80年代の欧米においてはサッチャーやレーガンが採ってきたような方法やサプライサイド経済学といったものは有効だったのですが、1990年代から深刻化した日本の不況は日銀の金融政策の失敗が招いた投資の不足という需要不足型不況であって、1970~80年代の欧米と同じ処方箋を出してしまったのは不適切だったのではないでしょうか。

1990年代の金融政策の失敗を反省しないまま、民間企業の事業拡大や投資意欲をどんどん失わせ、それに伴って雇用の悪化や不安定化、低賃金化が進みます。私の記憶では1990年代後半あたりにおいて「終身雇用を当然化した日本の雇用システムが若年層の雇用の妨げになっている」とか、「日本の労働者の賃金が世界的にみて高い」とか言っている論者が目立っていました。その後小泉純一郎政権が誕生し国民から高い期待と支持を得ていましたが、この政権も「聖域なき構造改革」を旗印に掲げ、規制緩和や行財政改革を推し進めます。このこと自体は悪くなく、当時の日銀総裁だった福井俊彦氏も量的金融緩和政策を行うなど金融政策面においてもよい仕事をしていたのですが、構造改革の方が強く目立っていました。量的金融緩和政策はゼロ成長から脱するか脱しないかの時点で解除され、それから2年か3年もしないうちにリーマンショックで空前の不況と雇用悪化を招きます。

 

結局日本の経済は1990年代から数えて「失われた20年」といわれるような世界的にみても異常な低成長状態を続けました。高度成長期から1980年代までの日本は自動車・電機産業・重工業などは世界トップレベルの国際競争力を誇り、世界市場を席捲していたのですが、1990年代から技術研究や商品開発などの次世代投資ができなくなっていき、日本の製造業の国際的地位が低下していきます。1990年代当時のクルマでしたが、どこのメーカーもユーザー目線でも気がつくほど内外装がショボく安普請になったり、旧モデルからの部品使い回しなどが目立つようになってしまいました。バブル期のように潤沢な資金がかけられなくなったのです。

トヨタのロスジェネモデル第一号となったビスタ。先代まではトヨタ流の豊かさの演出がなされていたが、このモデルはシートの布地などが薄く、クッションもスカスカ気味になり痛々しいほどコストカットの痕が見られた。「ふっきれている」というコピーが寒々しかった。

 

さらにこの後本格的なデフレ時代に突入し、ユーザーは質よりも値段の安さを追求するようになります。高付加価値なモノとかサービスを売りにした商業モデルが通用しなくなります。薄利多売の安売り路線でいくしかありません。

 

動画の制作者や野口悠紀雄氏らは民間企業の事業活性化と深く関わる金融政策に対し冷淡な姿勢をとりつづけました。例の動画では「低金利政策を長期的にお香と本来なら倒産する企業のゾンビ化が進行し、資本などの非効率な分配が是正されない」などという暴論を唱えます。こういうのを清算主義と言います。ネットスラングでは「シバキ主義」という言葉もありますね。高金利や円高、あるいは恐慌や東日本大震災レベルの天災、そしてコロナ危機みたいな経済危機を通じて弱い企業が淘汰されていき、強い企業だけ生き残らせれば生産性の高い強い経済が生まれるという発想は1990年代から2000年代にも多く耳にしました。しかしながら現実はどうだったでしょうか?私が過去30年を振り返ってみた印象ではスクラップはしたけれどもビルドが進んだと思えないのです。

 

先に述べたように人々がお金を遣うことを避けるデフレレジームが強いと、どうしても薄利多売型のビジネスモデルを採らざるえなくなります。また宝飾品や嗜好品、娯楽などといった商品やサービスよりも、飲食や衣服など生活に不可欠なモノやサービスを提供する業種が強くなります。日々小銭をかき集めて成り立っている業界なので利幅はさほど大きくないのです。過剰に薄利ビジネスを追求した結果、従業員に過酷な超過勤務を強いてブラック企業あるいはブラック業界化してしまった例が数えきれないほどあります。

 

野口悠紀雄氏は高付加価値型の産業を興すべきだと言っていますし、動画でも新しい需要を生み出すようなユニコーン企業が育たないといけないというようなことを言っていますが、デフレを許容したり金融緩和政策を否定してそれを望むのは支離滅裂です。イノベーションやクリエーションは人々がより高付加価値なモノやサービスを志向するインフレレジームでないと育たないのです。今日まで100円で売っていたコーラが120円で売ることができる状況にならないといけません。

 

デフレの場合は生産者・供給者・消費者共々守旧化しやすくなります。投資や消費に遣える予算が限られると、なるべく安全で成功率が高いものごとにしかお金を遣わなくなります。キャピタルロスを極端に避けようという行動を企業や個人が採ります。間違いなく売れる商品しか企画したくない、間違いなく満足できるものしか買いたくないと保守的な投資や購買行動になるのです。となってくるとよくわからない新しいものやことを試しにやってみる・買ってみるといったことを人々はしなくなります。前例主義に走るのです。これで新しいものとかサービスが創造できるでしょうか?

 

あと高金利でも耐えられる優良事業とか言っていますが、それは高い金利を上回る利益率が出せないといけないということです。そういうことができる企業は他のライバル企業の参入を許さない希少性の高いモノやサービスの提供を行っています。新しい事業を興すときに最初からこれは高収益で高金利も支払えると予想できる人がいるでしょうか?もしそれがわかっているのであれば多くの人間がその事業や企画に飛びついてきます。このブログで「ナイトの不確実性」について話をしました。これは経済学者のフランク・ナイトが提唱した概念で、元々は完全な市場競争化の下でどうして利潤というものが発生するのか?ということを探究するためのものだったのです。ナイトが述べたことは実業家が得ている巨額の利益は儲かるかどうかわからない不確実性に挑んだ報酬であるということです。動画で例に出したユニコーン企業が育てた事業の多くは創業当時に周りから「こんなの儲かるわけないだろ」と言われていたことが多いです。それが人々の予想に反して高収益の事業に育ち、ライバル企業がそれに気づく前に業界のシェアを独占していっているのです。どちらにしても新しいビジネスを育てるには金融緩和政策による資金支援が必要でしょう。規制緩和と金融緩和政策はセットでやらないといけないと私は思っています。

 

さらに言いますと清算主義は優性思想につながっていく考えでもあります。この思考は結果としてすべての種を絶滅に追い込みかねない危険性を孕んでいると私は考えています。先に述べたようにデフレ不況が続く中で強かった業種は人々が生きるために最低限必要なモノやサービスの生産や提供に関わる飲食業や衣料品販売などの業界です。あと介護とか通信もそれに含んでいいでしょう。しかしその中で現在コロナ危機で飲食店業が苦境に追い込まれています。今回のコロナ危機で生き延びた企業が数年後別の危機で倒産や廃業に追い込まれるかも知れません。結果としてこの国から数多くの民間事業者が消え去って、モノやサービスの生産ができなくなってしまう恐れが出てきます。それこそ崩壊直後の社会主義国家みたいな状況ではないでしょうか。

 

全5回に渡って続けたある経済怪説動画と日銀理論や清算主義、金融緩和を否認した構造改革偏重主義に対する批判を行ってきました。

金融緩和政策は動画の制作者がいうように国家社会主義的な経済政策であるどころか、民間の自由な経営活動を支えるために不可欠なものです。

 

あと金融緩和否定論者や動画の制作者らが金融緩和政策やリフレーション政策をノモンハンとかインパール作戦だなどと揶揄しているのをネット上で見かけますが、金融緩和政策で民間に豊富な資金供給を行うという兵站をせずに、イノベーションだとか高付加価値型ビジネスだのと言っていることこそ辻正信や牟田口廉也と変わりありません。野口悠紀雄氏らの言っていることこそ「精神主義」だとか「大和魂」ではないでしょうか。

 

軍事用語で『素人は「戦略」を語り、プロは「兵站」を語る』という言葉がありますが、私が思うに『素人は「財政政策」「構造改革」を語り、プロは「金融政策」を語る』と言い換えていいかも知れません。私が見てきた中で金融政策を正しく語っている人は僅かなプロの経済学者かかなりの経済政策通しかいません。金融政策を語れる人こそ本物の経済学を身に着けた人なのです。

 

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