『塵劫記』の掛け算(右に左をかける)―― 〇に△をかける(その2) | メタメタの日
 5×3 は「5かける3」と読む,と小学2年の教科書にあります。
 「5かける3」とは,「5を3にかけること」なのか「5に3をかけること」なのか。
 そもそもこの2つの意味はどう違うのか。
 日本人が,5+5+5を5×3 と書くのは明治時代に小学校で教わったからです。このとき,掛け算(乗法)とは「同数累加」の簡略算であること,同数を「被乗数」とし,累加の度数を「乗数」とし,乗法の式は「被乗数×乗数」の順で書くことも教わりました。
 5×3の式なら「×」の左にある5が被乗数,右にある3が乗数で,5×3(5かける3)は「5を3にかけること」ではなく「5に3をかけること」だとも教わりました。(今は,小学校の教え方は少し変わってきましたが,今でも,掛算をそのように理解している大人も子供もいます。)
 しかし,日本人は「×」記号を知る前,おそらく千年以上掛け算をやってきたはずです。
 そのときは,×記号を使わず,「( )【に】( )【を】掛ける」あるいは,「( )【を】( )【に】掛ける」と言葉で表現しました。(「掛ける」という言葉を使うようになったのは,直前アーティクルで考察したようにこの四,五百年のことかもしれませんが。)
 明治の算術の教科書では,「( )に( )をかける」ことは,「(被乗数)に(乗数)をかける」ことでした。そして,被乗数とは×の左にある数,乗数とは×の右にある数のことでしたから,「(左)【に】(右)【を】かける」ことになります。
 江戸時代にも「( )に( )をかける」という表現はありました。
ところが,ソロバンを使って掛算をしていた江戸時代では,ソロバンの左側に置いた数【を】,右側に置いた数【に】掛ける,と言いました。つまり,「(左)【を】(右)【に】かける」のです。明治時代とは左右が逆です。
 しかし,筆算の式の書き方と珠算の珠の置き方の違いということだけで,「(被乗数)【に】(乗数)【を】かける」という理解は,明治でも江戸でも変わっていないと言えるのでしょうか。つまり,ソロバンの右に置く数は(被乗数),左に置く数は(乗数)と言えるのでしょうか。
 江戸時代初めに刊行され,江戸二百数十年間を通してソロバンの教科書・独学書として大ベストセラーで超長ロングセラーとなった『塵劫記』(吉田光由著)を見てみましょう。
 『塵劫記』の初版は寛永4年(1627年)ですが,岩波文庫の底本は寛永20年(1643年)版です。この版が以後の流布本の祖本になったからと大矢真一さんの凡例にあります。(大矢真一さんの校注にはお世話になりました。校注がなければ理解できない箇所が何か所もありました。)
 『塵劫記』の本文中の掛け算で,「左に○を置き,右の○にかける」などと,左右が明記されている主なものを抜き出して一覧表にすると,以下のようになります。(見やすさを考慮して,本文の漢数字を途中からインド・アラビア数字表記に変えています。)
 算盤の見本がある①「左の十六を右の六匁二分五厘に掛ける」の岩波文庫の影印は,前アーティクルで掲載してあります。



 表の見方と表から判明することは以下の通りです。

(1)「積と同名」では,積と同じ単位(同種量)になる方に「○」を付した。
積が右の数と同名になるのは,左の数が割合(①の個数,⑧⑪などの歩合,③⑨などの実質割合表示を含む)の場合です。割合を単位の無い無名数(抽象数)と考えれば,右の名数の単位がそのまま積の名数の単位になるわけで,当然といえば当然です。
 積が左と同名になるのは,左が「1つ分の数量」(④1俵の容積,⑯1反当たりの収穫量など)の場合で,左の名数の単位が積の名数の単位になって右に表示されます。積と異名だった右の名数(④では俵の個数,⑯では田の面積)が掛け算で左の名数に変わるわけで,⑯では,田の数値が米の容積の数値になるのですが,やや異な感が(私には)あります。左の名数を右に置いて,名数(単位)はそのままで数値が掛け算で変わればいいのではないか,なぜそのように右左の数値を置かないのか,という不審感です。

(2)『塵劫記』の掛算の表現は,「左【を】右【に】掛ける」あるいは「右【に】左【を】掛ける」のどちらかです(左右の指定の片方を欠く場合も,「左を右に」か「右に左を」と解せます)。前者の表現が多く,後者は少ないだろうと思って,後者の場合に「右欄」に「※」を付けたのですが,左右が同じ数値の⑮を除くと,全16例の内,前者・後者は8例ずつ半々という結果になった。
 よくよく見ると,左,右の指定がない「( )【を】( )【に】掛ける」「( )【に】( )【を】掛ける」の比較では,後者の方が多そうですが,この場合も,( )【を】の( )を左,( )【に】の( )を右に置くことを指定しているはずです。つまり,「左【を】右【に】」,「右【に】左【を】」,です。

(3)備考欄には,明治から戦前の算術の式の書き方で掛算を示しました。
 「○×△」の式で,○が被乗数(同数累加の同数。名数),△が乗数(累加の度数,倍数。無名数)ですから,左右の数をそのように解釈して,式にしました。
 明治時代と違って,現代の小学校のかけ算の式の書き方は,最初に「(1つ分の数)×(いくつ分)」と教え,次に(1つ分の数)を(かけられる数),(いくつ分)を(かける数)とも言うことを教え,「(かけられる数)×(かける数)」の式も教えます。「(かけられる数)×(かける数)」は,「(かけられる数,被乗数)に(かける数,乗数)を掛ける」ことですから,「(1つ分の数)に(いくつ分)を掛ける」ということになります。
 明治時代から戦前は,被乗数が名数の場合は,その単位・助数詞を必ず付記し(付記しなければ無名数とみなされる),同じ単位・助数詞が積にも付記されました。現代では,算数の式では,単位・助数詞は付記しないが,頭の中で考えさせられていて,×の左の数の単位と積の単位が同じということになっています。つまり,×の左,式の最初の数(被乗数)の単位と式の最後の数,積の単位が同じになるようにかけ算の式を書くわけで,現代ではこれを「サンドイッチ方式」と呼ぶ教員もいます。すると,2匹の蛸の足の本数を求める掛算の式は,戦前は,8本×2=16本,8×2=16,2×8=16のいずれでも良く(無名数の掛算では交換法則が成り立つ。答に「16本」と書けば,答も正解),8本×2匹=16本,2×8本=16本の式は不正解(乗数は無名数であることに反するため)だったらしい。(高木貞治『広算術教科書』上,明治42年,1909年,にもそうあります。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/826655/30 )ところが,現代は,8×2=16は正解だが,2×8=16は不正解とされることが少なくないらしい。その理由は,この式は,2匹×8=16匹と解されるというのです。

(4)『塵劫記』の一覧表の検討にもどります。
 『塵劫記』の掛算でソロバンの左右に置く数にはどのような規則性が,自覚的にしろ無自覚にしろあるのか,という問題です。(続く予定)
 なお,Limg凌宮「掛け算の言い方/塵劫記」でも『塵劫記』の一覧表の検討が進行していて,参考になります。
http://limg.sakura.ne.jp/LimgMath/index.php?%B3%DD%A4%B1%BB%BB%A4%CE%B8%C0%A4%A4%CA%FD%2F%BF%D0%B9%E5%B5%AD