〇に△をかける,△を〇にかける(その1) | メタメタの日
 この数年間,掛け算の「掛ける」とはどういうことなのか,また「5を3にかける」が何故「5+5+5」ではなくて「3+3+3+3+3」なのか,つまり「〇に△を掛ける(=△を〇に掛ける)」で何故○が「かけられる数(被乗数)」で,△が「かける数(乗数)」なのか,日本語の語感からは違和感があるなぁ,とずっと疑問になっていたのですが,この数日間,twitterで,天むす(Temmus)さんやLimgさんの発言や質疑から大いに啓発されるところがありました。
 twitterのやり取りの始まりは以下あたりですが,枝分かれがあって,私が見落としている発言があるかもしれません。
 https://twitter.com/metameta007/status/700360009553588225
 Limgさんによる中間まとめは,以下の「掛け算の言い方」にあります。
http://limg.sakura.ne.jp/LimgMath/index.php?%B3%DD%A4%B1%BB%BB%A4%CE%B8%C0%A4%A4%CA%FD

 これらの経緯を踏まえて,拙考が前進したことは次のようになります。

(1) なぜ「掛ける」と言うのか。
 乗算で「掛ける」という言葉が使われるようになったのは,ソロバンを使用するようになってから(室町時代後半以降)で,ソロバンの乗算の操作には「掛ける」という語がふさわしいと思われたのだろう。
 掛算の意味での「かける」の語の使用について,文書で確認できる初出は,16世紀末に日本に来たポルトガルの宣教師ロドリゲスが著した『日本文典』(1604~08年,勉誠社版1976年)の「いくつにかくる? 四つにかくる」というやり取りを記録した「caquru」のようです(勉青社版770頁)。『日葡字書』(1603年,岩波書店版1980年)にも「九々をかくる」とあります。
 掛算の意味での「かける」の使用例としては,『日本文典』や『日葡字書』以前のものを見たことがなく謎だったのですが,使用例がないのは,使用されていなかったからだと考えればいいのだと,やっと気が付きました(←遅すぎ)。
 文字記録が存在しない弥生時代やその後の古墳時代に日本人が掛算をしていたかどうかは不明ですが,8世紀に平城京に設置された大学寮では,中国の数学書『九章算術』などを教科書として数学が学ばれていた。そこでは掛算の「かける」には「乘」の字が宛てられていたから,「かける」ことは「乗(じょう)ずる」とか呼ばれていたのでしょう。この「乘」の語の由来は,掛算の計算をするときに,算木を算盤(さんばん)に次々に乗せていった操作からだろうと言われています。
 では「掛ける」はどういう操作に由来するのか。
 掛算の「かける」の語の使用が16世紀後半からということは,中国からの算盤(そろばん)の伝来と同じ頃です。
 ソロバンで6.25×16の掛算をするときは次のようになります。(『塵劫記』寛永20年(1643年)岩波文庫版の43,44頁)























 ソロバンの右に6.25,左に16と珠を置きます。右の下位の5に左の下位の6を掛けて(ここで「掛ける」の語を使ってしまいましたが)「五六,三十」の30を右の5の2桁下に置きます。次に右の5に左の1を掛けて「一五の五」の5を右に置きます。(先の30の3と5を加えて8になります。)ここで,右の5の珠を払い,次に右の2に左の6を掛けて,「二六,十二」の12を置きます。(先の8に加えて20となります。)次に右の2と左の1を掛けて「一二の二」の2と20の2を加えて4と成り,ここで,右の2の珠を払い,次に右の6に左の6を掛けて「六六,三十六」の36と4を加えて40。左の1を右の6に掛けて「一六の六」の6と4で10。位を読んで,答は100。
 つまり,右に置いた6.25に左の16を作用させて,6.25が答の100に変わっていきます。これらの操作が,芽に水を掛けると花が咲くのを連想させたのか,「掛ける」「掛け算」と呼ぶようになったのではないかと推測されます。
 『角川古語大辞典』では,「か・く」【掛・懸・賭】の語義の5番目に「対象物を目的物に作用させる。」をあげ,その6番目に「ある数に,ある数を乗ずる。掛け算をする。」を示しています。『日本国語大辞典』(小学館)でも,「か・ける」【掛・懸・賭・架】の語義の4番目に「相手を作用の目標にする。また,その相手に影響力の大きい作用を及ぼす」をあげ,その10番目に「掛け算をする。」を示しています。
 「ある数に,ある数を乗じて」ソロバンの珠の布置を変えていく操作が「掛ける」という語の語義の一つに合致しているということでしょう。
 ソロバンの右側に置いた「ある数」に,左側に置いた「ある数」が乗じられて,右側の「ある数」が答の数に変身するのですから,右の数と左の数は非対称で役割が違います。どういう数量を右に置き,左に置くのか,が次の問題になります。

(2)「〇に△を掛ける」,なぜ○が被乗数で,△が乗数なのか?