隠れスーキョーキョーから正統派数教協への公開質問(kikulogでも発言) | メタメタの日

 数教協の遠山啓さんの次に会長を務めた銀林浩さんが、1あたり量×いくつ分の乗法では交換法則は成り立たない、と書いているのを見つけました。

 実は、昨年2月にもこの文章を紹介していたのですが、そのときは、銀林さんの文ではなく、共著者の小学校の先生の文章と勘違いしていたことと、「交換法則は成り立たない」ということに前提条件が付いていたので、そちらに重きを置いて読んでしまったのですが、あらためて読み返してみたら、そういう前提条件を付けていても、かなり問題な文章だと思います。

 いったい、1972年に遠山が、6×4でも4×6でもどっちでもいい、と言ったことは、現在の数教協の見解では、どうなっているのか、と疑問になります。


 次の文章です。

『算数の本質がわかる授業②かけ算とわり算』(柴田義松監修、銀林浩・篠田幹男編著,日本標準,2008530日発行)の第1章「乗除の学び方・教え方  『1あたり量×いくつ分=全体量』の射程と問題点」7ページから18ページまで

=======(同書8ページ,引用始め)===============

(前略)

かけ算の導入には,大きくいって3つの方針がありえます。

(a)同数累加:同じ数をたすことの簡略化がかけ算だとする:

    2+2+2=2×3

b)倍:「2の3つ分を2の3倍といい,2×3と書く」

(c)1あたり量×いくつ分=全体量(内包量×土台量=全体量)

(中略)

最後の(c)だけが、ただ1つ連続量まで一貫して通用する定義です。

(中略)

1つの物に固有して付随している数量を「1あたり量(guantity per unit)といいます。これは将来連続量に進んだとき、単位体積あたりの質量である「密度」とか単位時間あたりの移動距離である速度のような「単位あたり量」あるいは「内包量」に発展していくものです。(中略)そうした同種の個物がいくつかあったとすると、付随している数量の総数は当然かけ算になるでしょう。それが、

   (1あたり量)×(いくつ分)=(全体量)

という計算です。たとえば、サイコロキャラメル1箱に2個ずつキャラメルが入っているとすると、3箱ではキャラメルの総数は、

    2個/箱×3箱=6個

となります。

(中略。「個/箱」という表記と、全体量/いくつ分/1あたり量の3者の関係を明示する「かけわり図」の説明があったあと、次のように続きます。)

この状況が自然界でも人間の思考の枠組みとして普遍的にあることを有名な数学者フォン・ノイマン(John von Neumann19031957)は次のように説明しています。

「人間はいきなり現実をそっくりとらえることはできない。あるレヴェルの物をかっこでくくって素子と見なし、それが構成する集合の構造を分析し研究する。そしてそれがわかったら、次はその素子をさらに解剖して、さらに小さい素子から成る構造として扱い、また一方、さきの解明された構造をかっこにくるんで素子と見なして、より大きな構造にアタックする。以下同様にして、小から大へも伸びていくというわけである」(中略)

 このフォン・ノイマンの指摘から(c)のかけ算についてすぐ思いつくことは、前半の「大から小へ」はまず「いくつ分」が与えられ、それらの個物をめくると素子が現れてくるという「下降(top- down)型」ですが、後半の「小から大へ」はまず「1あたり量」が与えられ、それを積算するという「上昇(bottom-up)型」です。

 サイコロキャラメルの場合は「下降型」ですから、認識の順序に式を書くことにすると、

    3箱×2個/箱=6個

となるでしょうが、本書では「1あたり量×いくつ分」で統一しています。

 ただ、(c)の乗法は、かけられる2つの数量の性格が違いますから、それらの数量を入れ替えることはできません。つまり交換法則は成り立たないのです。そこが単なる数の計算とは異なるところです(その点は(a)や(b)の乗法でも大なり小なり同じですが)。

 純粋な抽象数の場合には、先のかけわり図で「1あたり量」と「いくつ分」の区別などありませんので、それらを除いて右側面から眺めれば、3×2に見えますから、

      2×3=3×2

となって交換法則が成り立つ道理です。

==========(引用終わり、11ページ)===============


 以上です。(文章はこの後、「九九」「多位数×多位数」「わり算(等分除と包含除)」と続きます。)


「(c)の乗法は、かけられる2つの数量の性格が違いますから、それらの数量を入れ替えることはできません。つまり交換法則は成り立たないのです。」とあります。

 遠山が、6×4でも4×6でもどっちでもいい、と言った72年の問題6人のこどもに、14個ずつみかんをあたえる」問題についても、2つの数量(6と4)の性格が違うから、それらの数量を入れ替えることはできず、つまり4×6≠6×4であり、交換法則は成り立たない、と言っているのだろうか。トランプ配りを考えれば2つの数量の【性格】を入れ替えることができること(遠山が言ったこと)は考えないのだろうか。そもそも、前提の「本書では『1あたり量×いくつ分』で統一しています」を前提にする必要がないことについては、どのように考えているのだろうか。


 私は、隠れキリシタンならぬ異端の隠れスーキョーキョーなので、正統派数教協の人がもしこれを読んでいたら、ぜひ見解を知りたいのです。