量のかけ算でも交換法則は成り立つのか(3の1) | メタメタの日


 小2の算数の教科書で、かけ算の単元を見て疑問に思うことは、導入とその後も、かけ算の式は「1つ分の数×いくつ分」の順序で書かなくてはならないと教えていることと、単元の後半で、「かけられる数とかける数を入れかえても答えは同じ」と交換法則を教えていることとをどう整合して教えているのだろうか、ということです。

 教科書図書館でコピーしてきた教育出版の教科書『算数2年下』(平成13/14年)の『教師用指導書 朱書編』の37ページを見ると、次のようにあります。

「<乗法の交換法則の指導> これまでに、乗法の意味に基づき、被乗数は1つ分の数、乗数はそのいくつ分として立式することを指導してきている。しかし、交換法則では被乗数と乗数を入れ替えても答えは同じであることを指導するため、不用意に3×5=5×3のような式を導入した形式的な扱いを急ぐと、混乱する子供が出てくることも考えられる。したがって、例えば「3個の5つ分」と「5個の3つ分」では式の意味は違うが答えは同じであるということを、ドット図やアレイ図を用いて視覚的にも十分に納得させてからまとめることが大切である。なお、交換法則は、乗法の筆算での乗数先唱や、3×4545×3として計算する工夫などにも用いられる性質なので、丁寧に扱いたい。」

 「3×5」は「3個の5つ分」、「5×3」は「5個の3つ分」で、式の意味が違うから、「不用意に3×5=5×3のような式」を教えると、「混乱する子供が出てくることも考えられる」と書いてありますが、5つ分の3個という意味で、「5×3」の式を書いて×にされて困惑する子供(とその親)が現実にいることは、この『指導書』執筆時点でも問題になっていたはずなのに、それには触れていません。

 乗法の交換法則については、それは数の乗法の式について成り立つ法則であって、量の乗法の式では成り立たないという主張があります。3×5=5×3は、数の交換法則としては成り立つが、量の交換法則としては成り立たない、量では3×5≠5×3だというのです。「3×5」「5×3」の式の意味、というときの「式の意味」とはそもそも何なのか、という問題もあります。

 これらの問題を考えるとき、日本の算数・数学教育に影響を与えている数教協の考え方を無視するわけにはいきません。以下は、私が数教協から学んで考えたことなので、間違いや、数教協の主張とは違っているところがあるかもしれません。

数教協は、実在する事物の世界と数の世界とを媒介するものとして量の世界を考えます。

   物 → 量 → 数

です。(「事」や「集合」はどうなんだ、という問題は割愛します。)

量の世界は、一方は物の世界に、他方は数の世界に開いています。だから「量の体系」は、閉じた体系にはなりません。量の世界は、日常算術、小学算数、中高数学、大学数学、と進むにつれ、どんどん抽象化されて数の世界になっていく、とイメージしています。

算数・数学に出てくる式の「意味」を理解するには、上の「→」を逆にして、前の世界で対応するものを考えることが糸口になります。算数に出てくる式は、量の関係を表わしていますから、どういう量のどういう関係を表わしているかが、その式の「意味」です。その「意味」を理解するために、ひとつ前の「物の世界」にまで戻って、どういう事物のどういう事態のことをいっているのだろうと考えると分かりやすくなるだろう、ということです。(うむ、ここの文章自体が分かりにくいのは、やや無理やり図式化しようとしているからだろう。)

算数でも、量を抽象化して数としてのみ考えることがあります。たとえば、かけ算の単元の最後で、九九表を見ながら、かけ算のきまりをいろいろ見つけさせるときは、「1あたり量×いくら分」というかけ算の量の要素から離れて、純粋な数と数の関係として考えさせている面もあります。交換法則を、「かけられる数とかける数を入れかえても答えは同じです」という形で表現するときは、「量のきまり」ではなく、「数のきまり」でしょう。

文章題の立式について、学校(教科書)が、3×5と5×3の式の一方を○とし、他方を×にするのはおかしいという批判は、数の世界からの批判としては当然の批判なのですが、量の世界には量の世界の言い分があるでしょう。

でなければ、1972年にこの問題が初めてマスコミで取り上げられ、遠山啓もおかしいと言ってから40年近くも経つのに、かけ算の式には順序があるという、「教師用指導書」というウラにはずっと書かれていたことが、だんだんとオモテの教科書本体にも進出してくるようになり、遠山啓を継承するはずの数教協すらも、かけ算の式には順序があると言うようにまでなってしまった、ということにはならなかったでしょう。さらには、「かけ算の順序」は、指導のある段階(導入段階)の一時的なルールという範疇を超えて、「量ではかけ算の交換法則は成り立たず式には順序がある」という主張まで目にするようになっています。私は、量の概念(を考えること)の有効性を認めていますが、この主張は認めません。