「子どもが6人います。みかんを4個ずつあげるには、いくついるでしょう」
この問題で6×4という式を書いた生徒に×を付けた先生がいて、生徒の親が抗議した。発端は、これでした。新聞報道は、1972年の朝日。
遠山啓さんの意見は、どっちでもいい、というものでしたが、それは、どっちを「1あたり分」とみることも可能だから、というものでした。(現在、『遠山啓著作集 数学教育論シリーズ5 量とは何かⅠ』所収「6×4、4×6論争にひそむ意味」)
森毅さんの見解は次のようなものです。(『数の現象学』「次元を異にする3種の乗法」初版1978年、現在、ちくま学芸文庫)
「4×6とか6×4とかいった順序は、日本とヨーロッパでは違う。日本は「4の6倍」式に4×6と書くが、ヨーロッパでは「6倍の4」式に6×4と書く。これは左側通行か右側通行みたいなもので、言語習慣から来ている。ただし、日本式の方が合理的というのが世界の相場だが、一方ではヨーロッパ式の方がすでに流通しまっている。まあ、これはヤクソクには違いない。」
「親の説明というのは、交換法則を説明しているのである。もっとも、大学入試などだと、たとえば次のようにでも書かないと大減点されるのだが。
『1人に1個ずつ配ると6人に対しては6個必要になる。
1人当たり4個にするためには、それを4回繰り返さなければならない。
∴ 6個/回×4回=24個 』
つまり、
4個/人×6人=24個
という最初の問題の6人を6個/回に、4個/人を4回に転換するところを書かないと、それぞれに1割程度の減点を覚悟しなければならない。そのうえに、わざわざ間接的にマワリミチをしたことで、1割ぐらい減点されるかもしれない。」
つまり、遠山さんも森さんも、かけ算の式では「1当たり量」を先に書くという「ヤクソク」がある(少なくとも日本では)、ということでは一致しているわけです。
6×4の式を、6人×4個/人、と解することはできないという立場のようです。
遠山さん、森さんと同じ数教協の銀林さんの次の記述は以前どこかで紹介したことがあります。(銀林浩『数の科学・水道方式の基礎』1975年、101~102頁)
自動車3台の車輪の数を求める式です。
「 4×3 (4個/台×3台)
この場合の3は通常の(外延的な)離散量で、この乗法についての土台量とよばれる。だから、乗法においては、被乗数は1あたり量で、乗数は土台量なのである。
(略)
まず土台となる集合Xがあって、その各要素χがよく見ると一定の内部量Yを保有しているのだとすると、逆にむしろ、
(土台量)×(1あたり量)
と書いた方が適切であるかもしれない。(略)自動車3台の車輪の数は、
3×4 (3台×4台\個)
のように書き表されることになるわけである。この書き方を、乗数先書と呼ぶことにする。
本書では、一応習慣上の書き方――つまり被乗数先書――によるが、要所要所でこの乗数先書の利害得失に触れることにする。」
「いくつ分」が「土台量」のとき、フツーの発想では、土台量が先にくると思うのです。
4枚のお皿に3個ずつみかんを載せます、この様子を「絵」に描きなさい、と言われたら、ふつうは、4枚のお皿を全部描いてから3個ずつみかんを描いていくか、1枚のお皿を描いてみかんを3個描くということを4回繰り返す、かだと思うのです。
(実例。http://kodomo.artet.net/?eid=1126105 )
3個ずつのみかんのかたまりを4つ描いてから、その下にお皿を描くということは、フツーはしない。
「絵」ではなく、操作だったら、ほぼ絶対に、先ず4枚のお皿をテーブルの上に並べる。それから、お皿1枚ごとに3個ずつみかんを載せていくか、あるいはお皿4枚に1個ずつ配っていくことを3回繰り返す。この2通りの操作を式に表せば、前が、4枚×3個/枚=12個。後が、4個/回×3回=12個。どちらにしろ、4×3=12。それとも、前の操作は、3個/枚×4枚なのだろうか。しかし、先ずお皿を4枚並べる時点で、4が先ず意識されていると思う。
「4枚に3個ずつ」を、4×3という式ではなく、3×4と「ワザワザ」逆にするのは「フシゼン」に感じてしまうのだ。