自分が変わる&年収も上がる・リーダーシップ戦略 -3ページ目

たとえば、コレだ!と思って、ある意味「懸け(かけ)」ていたことがあったとして、

 

それがなかなか思うように進まないこともあるよね。

 

でもそれだけで人生終わりはしない。

 

いつだって、道はあるし、方法はあるし、チャンスはある。

 

そう思っているから本当にあるのだと思うのね。

 

 

There is always a better way (常によりよい方法がある)って、エジソンの言葉らしい。

 

 

昨日、観てた海外ドラマで

 

There is always another way (常に別の方法がある)って出てきた。

 

 

視野が狭くなると、ひとつの方法しか見えないかもしれないけど、

 

視野を広げると、そうでもないってことに気づく。

 

 

常に道を見つけて、前に進んでいって

 

進んでないなと感じたとしても

 

その都度、考えて、考えてやっぱり前に進んでいくしかないね。

 

 

 

 

 

12月ですね

 

2022年が早くも終わりを告げようとしています。

 

今年の最初にたてた目標は何だったかな?

 

と、思い出そうとしている人もいらっしゃるかと思います。

 

 

目標は立てっぱなしにせず

修正しながら進んでいけばいいと思っています。

 

私自身、今年のはじめに持っていた目標は

大枠は変わっていません。

 

これだけはしっかりやっていく、ということの大枠。

 

それから、細かなものや、別のジャンルのものが出てきたりはしましたが

 

やってみて、方向性が違うなと思ったり

むしろ何のためにやっているのか不明瞭になったり、

そういったものはスパッとやめたり、修正して変えたりしています。

 

で、最近になってどうしても継続させたいことが

出てきたのですが

 

習慣にするのって難しいですよね??

 

人間は怠けてしまう生き物だから。

 

そこで、視覚的な達成感を持てば、継続のモチベーションになると思うので

1日の欄に3つ行線が入っている卓上カレンダーを買ってきて、

できたら斜線をばーっと引いています。

継続させるべきことが3つあるので、ちょうどよくって

ばーっと線を引くという行為も意味あるし

 

この線を途切れさせたくない

というゲームのような感覚も芽生えてきて

 

おすすめです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かかとって、

 

夏の方が見えるから、夏は「ケアしなきゃ」と思うのです。

 

でも冬は乾燥のために夏よりひどい状態になったりしますよね(´;ω;`)

 

 

以前、フットサロンで角質を綺麗にしてもらって、

その時、使っていらっしゃる器具の形を覚えていたので、検索してみました。

 

そこで見つけたのが! これこれ、まさにこういうの!

 

 

 

 

これ、かかとにめっちゃいいです。

めっちゃ綺麗になります。

 

削りすぎるとたぶん痛いと思うので、

サッサッと角質を薄く削っていくように使うとよくって

 

クリームを一生懸命塗り込むよりもキレイになります!!

 

 

 

替刃20枚付いてるやつもあった・・こっちにすればよかった。

 

 

 

 

 

この、かかとちゃん もわりとよかったのですが、

けっこう頑固になっちゃっている角質は削ったほうが早い。

 

 

 

 

 

けっこう、かかとは厄介者で

あまりにも削るのがよかったので、紹介したくなりました ニヤニヤ

 

 

定期的に神社にお参りすることで

 

私は運がよくなったと思います。ウインク

 

 

心づもりもそれなりに引き締まるというか、

 

単にお願いごとだけをしにいくのではなく、

 

感謝や、誓いなど、意識すべきことを言語化することができるし、

(神様に伝えるということは、言葉にしないといけない)

 

 

言語化することで、自分の意識にあがってきますよね。

 

言語化しないことはあえて意識できないので。

 

 

さて、旧暦10月、現在の11月は「神在祭」出雲大社で行われます。

 

全国の神様が出雲大社に集合して「会議」をされるようですよ。

 

 

11月4日、まさに神在祭が執り行われるその日

行ってまいりました出雲大社

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実は出雲大社へ行く前に、

とある場所に寄りました。

 

 

稲佐の浜

 

 

各地から集まる神様たちは、この浜に到着するとのこと。

 

そして、この浜を砂をいただいて、

出雲大社の中にある、素鵞社(そがのやしろ)というところに置くんですね。

 

それから砂を置いた場所で、新たに砂を持ち帰る、要は砂を交換するんです。

 

お清めの砂です。

 

家に持ち帰ったら、ビンなどにいれて、家の四隅に置くとよいと言われています。

 

 

なので、

早朝に稲佐の浜にまいりました!

 

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朝6時半ごろなのに、もうすでにたくさんの人が!ポーン

 

やはり神在祭を狙って来ている人が多いのですね。

 

 

手を合わせ、砂をせっせとプラスチックスプーンですくい

ジップロックにいれて・・。

 

 

朝7時の時点で、出雲大社に向かわねば

とんでもなく混んで駐車場に停められないかもしれん、

 

ということで急いで出雲大社へ。

 

稲佐の浜からは車ですぐ。

 

 

めっちゃ混んでいる!

 

駐車場はすでに車がいっぱい、ドンドン入ってくるもよう。

 

さすが神在祭・・

 

 

我が家は停めることができました。

 

 

本殿の前の鳥居です。

 

 

 

迫力ですね

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本殿にまいって、右側へまわると

十九社(じゅうくしゃ)という「神様たちのホテル」があります。

 

連日会議をする神在祭のあいだ、宿泊されるんですって。

 

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ふだんは、この扉は閉まってるけど、

神在祭の期間だけ、開いているそうです。

 

 

十九社を過ぎると素鵞社(そがのやしろ)が見えます。

 

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この社の下のところに、砂を置く木箱がいくつかあって、

稲佐の浜からいただいた砂と、交換します。

 

真裏には神聖なる岩がそびえています。

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そして、社の向かいには本殿の真後ろがあります。

ここからは、本殿の神様に近くから祈ることができるので、最高のスポットといえます。

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御朱印もいただき、

隣の北島國造館で、神在祭限定の御朱印長と御守りもいただいて、

無事に出雲大社での参拝をすませました。

 

 

 

と・・これで終わりではないのです!

 

実は神様が会議をなさるのは別の場所。

 

出雲大社から稲佐の浜の方面へ戻り、会議の場所へ。

 

 

それがここです。上宮(うえのみや)

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なんと住宅街にあります。

 

上宮といっしょにお参りするのは、下宮(しものみや)

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うっかり通り過ぎてもおかしくないような場所にあります。

 

さらにもうひとつ、大歳社(おおとせのやしろ)

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長く広い小高い場所にあります。

 

 

この3つに行くには、

道がめちゃくちゃ狭いし住宅街なので

車でつっこんでいくことはできません。

 

仮に車で道に入って行っても、1台分の幅なので停めたら大迷惑。

 

なので、歩いていくのがよいです。

 

 

稲佐の浜、出雲大社、上宮、下宮、大歳社

 

フルコースでばっちり神在祭、おまいりしました。

 

神様には必ず日頃の感謝を伝えましょうね。

 

お願いごとはただひとつ、心底叶えたいことをお祈りしました。

 

 

 

出雲大社の前の通りで買える、俵まんじゅう

老舗の雰囲気感じるたたずまいに、思わず購入。白あんで美味しかったです。

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最後に。

これは稲佐の浜そばの駐車場にあった自販機になります。

神在祭の期間は、この自販機は休みになるみたいです。

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さすが!

「人は変化を恐れる」

これって生存本能からくることであり、

例えばある動物が快適に生息できてた場所を

何らかの理由で追われて

別の場所で生きることを余儀なくされた時、

適応できずに滅んでしまうと。


それを防ぎ安全に生きるために変化をきらう。


極端にいうと変化ってイコール死ぬこと、くらいの大事件なのだ。


だから人は簡単には変われない、

変わりたくても変わろうとしても

それをなかなか許さない自分がいるのだ。


一方で、環境を変えればいい、という方法もうたわれる。

たしかにそれはそうで、

快適に生息してた場所から離れ、

新たな場所にいけば

自然とその環境に適応することができて

生き延びることができ、

そのとき動物は進化している。



環境さえ変えればいいよ、というのは

ラクして変わりたい人にはもってこいの巷

のビジネス塾しかり。

もうこの手の環境が大事ですよアピールで
高額のなんちゃら塾を売るスキームは
お腹いっぱいを通り越してる。

まあそれは別の話。


さてここで、

環境さえ変えれば本当に変わるのか?というと

そうではない。


本能のチカラ以外に

何が重要になってくるかというと、

思考するチカラに他なくて、


けれども「今までの自分の考え方」で

何をどれだけ一生懸命に考えても、

あんまり良い結果は得られない。



自分の考え方そのものが偏っていたら?

自分の当たり前が当たり前でなかったら?

このあたりは、これまた巷でよく言われてそうなことなので、

これ自体も新しくはないであろう。



けどそもそも

自分の当たり前が当たり前ではないとしたら

何が当たり前なのか?という答えを

また探したくなるだろう。


自分の考え方が偏っているとすれば、

何をどうすれば偏らないのか?という答えが

欲しいにちがいない。


その時点で

「ひとつの考え方」に「縛られている」

ということになる。


「答えがほしい」という考え方が

ひとつの考え方だということ。



ここで、

「自分はなぜこのように考えるのか?」

「自分の考え方はどのように形成されたのか?」

を紐解いていく方が視点が高くなる。