「人は変化を恐れる」
これって生存本能からくることであり、
例えばある動物が快適に生息できてた場所を
何らかの理由で追われて
別の場所で生きることを余儀なくされた時、
適応できずに滅んでしまうと。
それを防ぎ安全に生きるために変化をきらう。
極端にいうと変化ってイコール死ぬこと、くらいの大事件なのだ。
だから人は簡単には変われない、
変わりたくても変わろうとしても
それをなかなか許さない自分がいるのだ。
一方で、環境を変えればいい、という方法もうたわれる。
たしかにそれはそうで、
快適に生息してた場所から離れ、
新たな場所にいけば
自然とその環境に適応することができて
生き延びることができ、
そのとき動物は進化している。
環境さえ変えればいいよ、というのは
ラクして変わりたい人にはもってこいの巷
のビジネス塾しかり。
もうこの手の環境が大事ですよアピールで
高額のなんちゃら塾を売るスキームは
お腹いっぱいを通り越してる。
まあそれは別の話。
さてここで、
環境さえ変えれば本当に変わるのか?というと
そうではない。
本能のチカラ以外に
何が重要になってくるかというと、
思考するチカラに他なくて、
けれども「今までの自分の考え方」で
何をどれだけ一生懸命に考えても、
あんまり良い結果は得られない。
自分の考え方そのものが偏っていたら?
自分の当たり前が当たり前でなかったら?
このあたりは、これまた巷でよく言われてそうなことなので、
これ自体も新しくはないであろう。
けどそもそも
自分の当たり前が当たり前ではないとしたら
何が当たり前なのか?という答えを
また探したくなるだろう。
自分の考え方が偏っているとすれば、
何をどうすれば偏らないのか?という答えが
欲しいにちがいない。
その時点で
「ひとつの考え方」に「縛られている」
ということになる。
「答えがほしい」という考え方が
ひとつの考え方だということ。
ここで、
「自分はなぜこのように考えるのか?」
「自分の考え方はどのように形成されたのか?」
を紐解いていく方が視点が高くなる。