” 何かに分類されていれば
はじめからその分類が正しいと思うこと ”
うちの犬は
チワワとパピヨンの合いの子。
見た感じはまぁチワワ
ただ、パピヨンの血なのか
耳が他のチワワより大きく、フサフサ長い毛が伸びている。
尻尾が特別かわいくて、
まるで、結婚式に使うような天使の羽のペンか
はたまたガマの穂か
尻尾振ってネコの前を通ったら飛びつかれるんじゃないかと思うく
威力の高いふーっさふっさなのである
それにお尻の毛も
ドラゴンボールのかめはめ波みたいに
集まった「気」のような形をしている
こいつを
パピヨンとチワワのどちらにも分類されないものとし、
両者をとって 「パピチワ」 という新たな分類にカテゴライズされているようだが
なんなら、全く新しい語感の名称でもよかったわけだ。
要は、「分類」 というのは
単なる 「名づけ」 なのだ
はじめから、分類があるわけではなく
名前を付けることで分類する。
分類したいからした、に過ぎない。ということ。
何かの大元からどんどん細分化して、種類が増えて
世の中の色々なカテゴリが生まれている
人間と猿は分類されているけれど
動物と静物でいえばどちらも動物であり、
その動物と静物であっても
朽ちたり、生まれたり、
動きのない無機質な対象物はあとから人間の手によって作られた。
後付の概念はつまり、下位概念として上位概念に帰属する。
つまり生命体に帰属する。
突き詰めていくと、
世の中のあらゆる物質は一つの上位概念に集約されるといえる。
そこで、
犬も自分も、みんな同じ生き物なんだ!などという発想はどうでもよくて、
世の中は そういう風に作られている
ということを認識すること、に一つの視点がある。
今日もガマの穂はふっさふっさ