新しい道を選んだ理由シリーズ最終回です。
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★★★★★★
2014年3月のSMILE講座のあと、4月から職場に復帰しました。
そして、次女がNICUから転院。
私の復帰先は、次女と同じように重度の心身障がいがある子のための学校でした。
自分が障がい児ママ当事者となった状態で復帰したこの場所は、なんだか以前と見えかたがガラリと変わっていました。
お母さんたちは、どれほどの思いでここまで育ててこられたんだろう。
そんな想いが心の底から湧いてきました。
一方、私は無理して頑張りすぎてしまい、少しずつ心のバランスを崩し始めていました。
多忙すぎて我が子の面会になかなか行けず、かといって職場では私のプライベートがどうだろうと、生徒さんには全く関係のない話。
だから、職場では常に全力投球。
ママさんたちの気持ちやお子さんたちの気持ちもすごく感じ取ってしまうので、余計になんとか喜んでもらいたくて、頑張っちゃうんですよね…
平日は毎日遅くまで仕事をして、土日に高速で往復2時間かけて面会に行く。
そんな生活を続けているうちに、心身共にすごく疲れてしまったのです。
私はもう限界で
イライラして長男に当たり、
長男は精神的にバランスを崩し、
わざと暴言を吐いたり、
わざと鉛筆を自分の顔に刺そうとしたり、
突然泣き出したりして、
病院でお薬を出してもらうこともありました。
そんなこともあって、障がいのある我が子と向き合いながら子育てをし、かつフルタイムでハードな仕事を続けるのはもう限界だな、と思うようになっていました。
そして、いろんなママさんたちと関わる中で、我が子に障がいがあるからこその苦労や葛藤もたくさん聞いてきました。
そして、1月には強制終了かのように次女が突然天使になり、
自分の生き方はこのままでいいんだろうか?
もっともっと次女のためにできることがあったんじゃないか?
そして私と同じような経験をしてきたママさんたちのために、もっと何かできることがあるんじゃないか?
と、自問自答。
そして、いろいろあって一年後。
生まれた三女はダウン症児…^^
あぁもう、こりゃ、わたし、
このことをやりなさい!って
言われてるんだなぁ…
と、このいろんな重なりっぷりに
いよいよ覚悟を決めました。
そして三女も一歳になった頃、勇気づけ講師の資格を取りました。
そして「自分をもっと大事にした方がいい!」とようやく目覚め、「ほんとうにやりたいこと」を素直に思いつくまま、直感に従ってやっていったら…
師匠の原田綾子さんにお願いされ
「ブルゾンちえみ」風に私の絵を
描いてくれない?(^^)」
と師匠の原田弥子さんに頼まれてできた
「ブルゾンあやこ」笑。
勇気づけを学ぶ仲間たちの間で
「おもしろい!!」と評判になり
「あのイラスト描いているMAYUさんって誰?」
…と、勇気づけ界隈ではちょっと有名人になりました。
そしてまたまた師匠に依頼されて作ったのが…
原田綾子さんが「お母さんへの勇気づけメッセージ」を私に送ってくれて
その言葉に合う絵を私が描く、
という「勇気づけイラスト」ができあがりました。
これは「日めくりカレンダーにしてほしい!」
なりました。
わたしが「本当にやりたいことをやろう!!」
…と制限を外して心の声にしたがって進んだら
まさかイラストレーターまで
やることになろうとは!!笑
(昔からイラストや自由な創作は好きでしたが、決して美術は得意じゃなかった。笑)
そして、
そもそも幼い頃から心の話が好きで、
教師になりたいと思ったのも
「いじめをなくしたい」っていう想いで
心の教育をしたいと思ったからなんですね。
何かと「子どもの心」に興味がある。
卒論も児童文学専攻なのに「子どもの傷が示すもの」みたいなテーマだったし。
あ、わたしが好きなのはやっぱり
「心理」だったんだなぁ、と今頃発覚(笑)
勇気づけ講師になって、
大好きな勇気づけとアドラー心理学で
障がいのある子のママを幸せにしたい!!
(もちろん障がい児以外のママもね^^)
という気持ちが強くなり、自分の心の声を大切にして、本当はどうしたいか聴いてみたら…
やっぱりこの仕事はこれ以上続けられないな、と思ったんですね。
そんなわけで、
すごく怖さも不安もありましたが、
「もらった命、やりたいことにチャレンジしなかった方がもったいない!」精神で
自分の直感を大事にして
このチャレンジを選ぶことにしました!
…ということで、
・重度の心身障がい児ママの経験
・天使ママの経験
・現役ダウン症児ママの経験
・特別支援学校教師の経験
これらをもとにして、新しい道を創りはじめているところです^^
春からの出会いが楽しみです♡
ということで、私が新しい道を選んだ理由を書いてみました。
お読み下さりありがとうございました!