MAYUです。


四年前、次女が入院したNICU(新生児集中治療室)では、日々の記録と連絡用に、面会に来たら必ずノートを書く仕組みになっていました。

看護師さんたちが交代で毎日次女の様子を書いてくれて、また私が返事をする。


保育園の連絡帳みたいな感じですね。


毎日面会に行けるわけじゃないので、私がいない間に次女がどんな様子だったかが分かる超重要アイテムでした。






初めてそのノートを用意するよう言われたのが、壮絶出産後に私が初めて次女に会えた、あの切ない初対面の後でした。

まだ大学病院に入院中だった私は、早速翌日ダンナさんと一緒に病院の売店へ出かけました。

次女の連絡ノートを買うためです。





本当は可愛いノートがいいけど、とりあえずここはすぐにでも次女とスタッフさんへ私の思いを書きたい!

背に腹は代えられず、普通の大学ノートを選ぼうとしました。




するとダンナさん。小さいサイズのノートを勧めてきました。B6ぐらいの小さいやつを。

「きっとすぐに退院するから、っていうか、すぐに退院できるようにって気持ちで、書ききれる量のノートがいいんじゃないかな?」


…ニクいよ、アンタ(ノД`)


そんなわけで1冊目のノートはちっさくてシブい普通のリングノートに決定。

シンプルすぎるので、たまたま持ってた長女のキティちゃんのシールを貼り、気持ちだけでも可愛らしくしてみたりして。




そのまた翌日、NICUに持参して書きました。
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とにかく、伝えたかったのは、感謝、感謝、感謝、感謝…。


毎日綱渡りの、重度の障がいのある次女をケアして下さっているスタッフさんたちは、私からみたら神様です。

自分たちじゃこの子を守る技術なんてないけど、ここの方々のおかげで生かしてもらってる。

そう思うと、もう感謝しかないわけです。




それからまた次の面会日。

今度はスタッフさんからのメッセージが。

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〇〇ちゃんお誕生おめでとうございます。
生まれてすぐに離れ離れの入院となり、
パパママ、ご家族の皆様はとても心配されて
いるかと思います。

〇〇ちゃんが入院中、愛情をもって
お世話させて頂きます。
気になることがあれば、いつでも
声をかけて下さいね。
NICUスタッフ一同〜





次女の写真とともに、めちゃくちゃ温かい勇気づけられるメッセージ\(//∇//)\

なにより私の気持ちにぐぐっときたのは、

写真やメッセージの周りに貼られていた、
かわいいシール。


普通に次女の様子だけ淡々と書かれているのかなと思ってたのに、こんなに可愛くデコレーションしてくれてるとは(*´∀`*)




NICUって未知の世界で、もっとピリピリしててギスギスしたところというイメージしかなかったのに、

一気に親しみが湧いてきました。




そのあとのやりとりで
「シール嬉しかったですラブラブ

と書いたら、だんだんシールや装飾が増えていき、

「写真可愛かったですラブラブ

と書いたら、だんだん写真も増えていき、




そのうちだんだん私がオモシロ系OKのヒトだとバレたようで(笑)

「お言葉に甘えて〇〇ちゃんで遊んでみました」

とか言って次女の写真に帽子とか吹き出しとか色々付けて、ワタシ好みに面白くしてくれるようになっていきました( ̄∀ ̄)




ついにはヒゲと帽子が付いてたり


タオルで頭を拭いたついでにターバンみたいになってたり

さらに眼を守るアイマスクをした日にゃ、スイマーみたいになってたり。

もうなんでもあり( ̄∀ ̄)




そんなことばっかりして遊んでて、

「ママ、今日の〇〇ちゃんどうだった?」

「ハイ!めっちゃウケました!ツボです!」

とか、そんなセリフがもはや本人ではなくノートの装飾についての会話だったりしてニヤニヤ

わりとすぐにいい感じに打ち解けていった母とスタッフさんたちでした(笑)

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結局すぐ退院できずNo.6まで( ̄▽ ̄;)


この連絡ノートは私の気持ちを書いたりもできるんだけど、結局ノートに向かうと一発目に湧いてくるのは、

「いつもありがとうございます」

という言葉。だいたいいつもこの言葉から始めていました。


すっごいブルーで落ち込んでる日でもなぜかノートには明るく書いてしまう私でしたが、

逆に可愛くシールを貼ったりすることで、次女へウキウキした愛情エネルギーを送ってたような気もしてます。

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長女もシールてんこ盛りでラブ注入(古い)


そんなことをしながら、

シリアスなNICU生活の中、次女で笑うという楽しみを見つけた母でした。