感謝の気持ちを忘れている
時はないだろうか?

人に親切にされた時に
感謝の気持ちを伝える
他に日常的に常に感謝の
気持ちを忘れないこと。

日常的に常にとなると
実に難しい事では
ないだろうか?

人は感情があるぶん
特に平常心でいない限り
実に難しいのでは
ないだろうか?

苛立っている時
腹が立っている時
悲しい時
辛い時
苦しい時

不の感情がある場合は
到底感謝の気持ちなど
湧かないのでは
ないだろうか?

その不の感情の中でも
実は感謝するべき事も
ある。

例えば
長蛇の行列に並んで
待たないといけない。
そこには不の感情が
生まれ易くなっている。

順番がなかなか来ない
事での苛立ちや
アクシデントがあった
場合の腹ただしさ等が
潜んでいるであろう。

その例の中にパターンが
ある。


1順番など待たずに帰り
次の機会に改める。

2順番を無視して割り込む。

3きちんと順番を守る。

これは辛抱強さや根気
あるいは気持ちにゆとり
が無ければ出来ない事
である。
急いでいる時は
気持ちにゆとりが
無い時で到底無理な
話しになる。

ゆとりの時間がある事に
感謝。

辛抱する事、根気を
高めるチャンスを頂いた
事に感謝。

行列に並んだ後にやって
来るであろう目的達成の
喜びや幸せに感謝。

どんな行為にも感謝は
隠れている。

順番飛ばしをした人を
見たりされたりしたら
どういう気持ちになる
だろうか?

反面教師に少なからず
なって頂いているのでは
ないだろうか?

それについても感謝。
自分の代わりになって
教えてくれてありがとう。
要領よく次の機会を
うかがった場合
その日の目的達成には
至らなかったが
その日の時間にゆとりを
与えて頂いた事に感謝。

次の機会には行列も無く
すぐに目的達成ができればその事に感謝。

人は生きているのではなく全てにおいて
生かされている事を
心の隅に常に置いておけば普段より多くの感謝に
気付けるかもしれない。

今日は朝から外が騒がしい



毎年の恒例行事である
地区の子供祭である。

祭と言っても露店などは
無い。
ただ近所中を子供用の
小さな神輿を子供達が
担いで練り歩く。
という行事である。

何が面白いのかは
今の自分には
到底理解しがたいが
あの頃は凄く楽しくて
法被をきた自分に
誇りすら感じていた
あの頃の懐かしい
気持ちが蘇った。

担ぐ時の祭ならではの
子供達の掛け声と
練り歩く際に叩く
太鼓の音であの頃を
思い出し今の子供も
あの頃の自分と同じ
気持ちでいてくれれば
幸いだとも感じた。

今の子供達と
自分が子供だった頃とでは
同じ子供でも価値観は
おそらく大分違うのでは
ないだろうか。

時代の環境で価値観の
ズレはあるとしても
あの頃の良き物は
廃れないで欲しいと願う
立場になった事に
時の流れを感じた。

幸せについて考えてみる。
人はどんな時に1番
幸せを感じるのだろう…

幸せとは永遠に続く物
なのだろうか…

確実に言えることは
絶対なる幸せは確実に
存在しているということ。

何をもって幸せなのかは
人の価値観で異なるが
それを手に入れる事が
出来た時に幸せだと
感じるのだろう…

今だかって幸せになった
事はない…
そういう人もいる。
それが幸せの価値観で
あったり身近にありすぎて
気付かなかったりする。

人は必ず幸せになりたい
ものだから。

幸せになりたい。

幸せになりたいと願い
未来には幸せになるための
チャンスがある事を願う。
未来には沢山の希望の
連鎖が待っていると
信じてみる。

人との新な出会い。
仕事での新な展望。
人生の転機。

今はそれほど幸せを
感じなくても
未来には幸せはある。
何個も何個も連なって
いると考えてみる。
それが希望。

幸せになるための
源だと思う。

もし今の望みが
叶わなかったとしても
未来にはまだまだ
自分の知らない違った
幸せが待っているから…

だだボタンを掛け違えた
だけで
ボタンがきちんと
掛けられた時、幸せは
そこに用意されていると
考えてみる。

そしたら
失敗して心が折れても
未来に希望と
いう幸せの源を
取り戻せるはず…