魔法が使えたらいいのに…
そんなことを少しでも
考えたり思ったりした事は
ないだろうか?


沢山仕事を抱えているのに
あれもこれもと上司からの
追加の仕事を命じられ
パニック寸前…
とまではいかなくても
もう一人自分が
この時間に居合わせたら
どんなに楽であろうと
思う時に
この「魔法」という
言葉が
頭に過ぎると
いうものである。

この場合だけでは無い。
人は沢山の物を望み
望みは尽きるものでは
無いのだから。

ただ一つだけ
本当に魔法に
掛かる事柄がある。

それは「恋」というもの。
覚めれば跡形も無く
自分の中から消えていたり
逆にある瞬間から
特定の異性の全てを
受け入れたくなり
全てを受け入れ許して
しまえるのである。

そう「魔法」に
掛かったかのように。

限り無く不可思議であり
感情を操作する上で
実に厄介な「魔法」の
効力の結果のようにも
思える。


誰しもが使え
また誰しもが
掛かる可能性のある
唯一、人に与えられた
魔法なのである。
人は望遠鏡で物事を
見ようとする。

ある一部の自分の見たい
物だけを見ようとする。
探そうとする。

見たくて
知りたくて
掴んでみたくて
必死に望遠鏡を覗く。

でも
その望遠鏡には
見たい物を見ようと
するあまりに
一つの視点しか見えては
いない。

もしかすると
本当に自分が見たい物
探している物は
望遠鏡のレンズからは
見えていない他の場所に
あるかもしれない。

物事の見方を変えてみる。
視野を広めてみる。

そしたら
自分が
見たい物、
探している物の
答えやヒント

あるいは
第三者が自分に求めて
いる事がわかりやすく
探しやすくなるのかも
しれない。

人は悩みを抱えると
広い視野で物事を考える
事が難しくなり
悩みをより深い物に
してしまうものだから…
朝早くに目が覚め時計を
見る。

いい時間帯なのに
まだ辺りは日が登っても
いない。

せっかく早くに目が
覚めたのだから
河原にでも散歩に出ようと
出掛けてみた。


河原の土手には数色の
コスモスが一面に
咲き乱れていた。


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秋の桜と書いて
コスモス…

秋に咲く桜と良く
名付けた物だと関心する。


花言葉は
乙女(少女)の純心
乙女(少女)の真心


察するに
清純なイメージに
相応しい花なのだろう。


その可憐な花は
今年もそろそろ終わりに
近付いている事を
さりげなく伝えている
ように見えた。


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