ジーコジャパンがヒディンク・オーストラリアに敗れたのは必然だった | ギタリスター誕生~ギター500年の歴史がここから変わる~

 ブラジルワールドカップ記念として日本の過去のワールドカップを振り返る企画第3弾。今回は2006年大会ではじめに戦ったオーストラリアについて語りたいと思います。

 

 
 1998年大会ではオランダを、2002年大会では韓国をベスト4に導いた現代最高の名将のひとり、ヒディンク。彼に率いられたオーストラリアはグループステージを突破し、決勝トーナメント1回戦で優勝国イタリアと対決。敗れたもののベスト16を達成しました。

 

 
 このイタリアvsオーストラリア戦。2006年のときテレビで観たのですが、当時はサッカーの知識が浅い状態だったので試合内容を分析することはできませんでした。

 

 
 それから8年たった先日、ヨウツベで改めてイタリアvsオーストラリア戦を観た私は衝撃に襲われました。

 

 
 世界的には弱小のオーストラリアが、優勝国イタリアを崖っぷちまで追いつめていたのです。

 

 
 マテラッツィの退場は関係ありません。オーストラリアのワンサイドゲームになったのはたしかにマテラッツィの退場からですが、たとえマテラッツィの退場がなかったとしてもオーストラリアは互角以上の好勝負を演じていたでしょう。ヒディンク監督恐るべしというところです。

 

 
 そして試合を観終えた私はやや呆然しながらこのようなことを思いました。『こんなすごいチームに、当時日本国民の大半が勝てると思い込んでいたのか……?』と。

 

 
 そういう私も当時、メディアのいい加減な情報に洗脳されていたためか『いくらなんでもオーストラリア戦くらいはなんとかなるだろう』と楽観視していたのです。本当に恥ずかしい限りです。

 

 
 当時、日本のメディアは『ブラジル以外は横並びだ』といっていましたが、それはとんでもない誤解です。クロアチアはよくわかりませんが、イタリア戦のオーストラリアを見る限り、ヒディンク率いるオーストラリアはジーコジャパンの遥か上を行くチームでした。ジーコジャパンが敗れたのは必然だったのです。

 

 
 日本のメディアはネガティヴな情報を広めないため、『日本はオーストラリアには勝てる』という誤った意識が浸透してしまいましたが、これからは客観的に戦力を分析して真の情報を広めてもらいたいと思います。

 

 
 余談ですが、戦い方をもっとシンプルにしていれば、オーストラリアはイタリアに勝てていたと思います。

 

 
 マテラッッィの退場からオーストラリアがずっとボールを支配。しかし、さすがに世界の強豪と比べると引き出しは多くないため、世界最高の堅固を誇るイタリアのゴールをこじ開けることはなかなかできませんでした。 

 

 
 そこでサイドをえぐってからシンプルにハイクロスを放り込み、最大の武器である“高さ”をいかした攻めをコツコツくり返せばよかったように思います。たとえ失敗に終わってボールを奪われても、イタリアの前線にはひとりくらいしかいなかったため怖いカウンターはもらいにくいです。このへんが少し残念な気がしました。

 

 

 

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