お江戸史跡巡り④~会津藩上屋敷跡~ | はらりはらりさくら舞い散るように・・・

はらりはらりさくら舞い散るように・・・

ゲーム、アニメ、ワンコ、映画、史跡巡りなどを中心に日々のことなど備忘録を兼ね気まぐれに書いてます。

今晩は。

前回のつづき。皇居外苑の和田倉噴水公園を目指します。
ここら辺一帯に9000坪の会津藩上屋敷がありました。


会津藩上屋敷跡

江戸時代、会津藩の上屋敷は和田倉門内に9150坪の敷地がありました。三代正容の代、宝永6年にこの和田倉門内に屋敷を賜り、それから戊辰戦争までの160年間の間、江戸における会津藩の政事の中心でした。 松平の姓を名乗ったのは3代正容(まさかた)の時に松平の姓を名乗るようになりました。

【和田倉噴水公園】
昭和36年に天皇皇后陛下ご成婚を記念して作られました。その後、平成7年に皇太子殿下のご成婚を記念して、大噴水を再整備し、新しく造られた落水施設やモ二ュメン卜を流水施設で結んでいます。 (千代田観光協会HP)







奥の洒落た流線が美しい建物はレストランでした。今年4月にクローズしてしまったそうで残念。ただ今公募中だとか。


こんな素敵なレストランでした。また営業してくれたらぜひ行ってみたいです♪


公園から皇居を望む。


向かいには江戸城の巽櫓(たつみやぐら)があります。辰巳櫓とも書くそうです。


和田倉門交差点に向かってぐるっとひと回りしてみます。


和田倉門跡


和田倉橋
この橋を渡って和田倉噴水公園へ行けます。


説明板


皇居外苑に楠木正成公の像がある公園があり、そこの売店で買った地図です。実はこの後、坂下門まで行ってこようと思ったのですが、気がつくと通り越してしまっていて再び砂利道を戻ることにwww やはり地図がないとダメだと思い、女性の警備?の方に聞いたら昔の地図が売店で買えることを教えてもらいました(^v^)




比べてみるとわかりやすい!


途中にこんな案内地図もありました(^^;


坂下門



坂下門外の変
坂下門外の変(さかしたもんがいのへん)は、文久2年1月15日(1862年2月13日)に、江戸城坂下門外にて、尊攘派の水戸浪士6人が老中安藤信正を襲撃し、負傷させた事件。

桜田門外の変で大老・井伊直弼が暗殺された後、老中久世広周と共に幕閣を主導した信正は、直弼の開国路線を継承し、幕威を取り戻すため公武合体を推進した。この政策に基づき、幕府は和宮降嫁を決定したが、尊王攘夷派志士らはこれに反発、信正らに対し憤激したことが背景にあります。


そして、すぐお隣の二重橋
※注意!手前の橋と間違わないように。奥にある橋です。

皇居前広場側から見て、石で造られた手前の「正門石橋」と、鉄で作られた奥の「正門鉄橋」という2つの橋があります。
昔は木の橋で、強度を保つために橋桁を二重に組んでいたところから 二重橋と呼ばれるようになったそうです。現在は鉄の橋になっています。

やはり絵になりますね。二重橋の後方に見えるのが伏見櫓です。
流石にここは人気のあるスポットみたいでアジア系の観光客が入れ替わり立ち替わり見に来ていました。

この後、桜田門外の変の舞台となった桜田門へ・・・行くはずでしたが時間がなかったので今回は断念。


取り敢えず、年内の史跡巡り記事はこれにて終了・・・かな?(^-^;
ギリで間に合ったwww

本当に2014年もあと1日を残すのみとなりました。

明日はちょこっと用事がありますが、あとはグダグダしてるのでまたもう1回くらいアップ予定してます。

ではでは。ご挨拶はまたその時にでも( ´ ▽ ` )ノ