氣付いた人

@YAPDNA369

裏庭で薪割りを続けていたところ、近所の方々が声をかけてくださり、いつの間にか町中の人が薪を提供してくれるようになりました🌳

 

とんでもない量の薪が舞い込むので大変ですが、今後必要ということでしょうから、皆さんに感謝しながら薪を割り続けています。

 

分かりにくいよう巧妙に作られてはいますが、結局のところ現代においても、私たちを従わせるために使われているのは「不安と恐怖」の感情です。

 

どのような事象に対して私たちがこの感情を抱くかは、作られた社会を通して既に一人一人にプログラムされており、その後どのような思考・行動をしたくなるか、までがワンセットになっている。

 

なので、一つ一つの起こりを見ずに、「なんとなく怖い」「なんとなく不安だ」、という状態で思考・行動しているならば、プログラマーの思惑通りということになる。

 

私は

何が怖いのか?

何が不安なのか?

 

一つ一つ、丁寧に紐解いていき、それが見えてきたならば、外側を力ずくで今の自分に都合よく変えようとするのではなく、外側がどうあっても

 

私は

どう在りたいのか?

どう生きたいのか?

そのために今自分が変えられることは何か?

を導き出して行動していく

 

正解など分からないが、動けば勝手に展開するということは分かるようになってくる。

 

展開から学ぶことも多くなってくる。

 

そのうちに、展開を感じて行動が起こるようになってくる。

 

外から取り入れてきたプログラムからの反応ではなく、常に自分の感覚を通して動いていれば、最初は不安と恐怖からの行動だったものでも、展開の中で信頼に変わり、安心に変わり、全ては流れの中の出来事なのだという感覚になってくる。

 

その時に初めて、不安と恐怖が小さくなっていたことに氣付く。

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午後8:29 · 2024年6月14日

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■この『法華経が語った未来世』を わたし達ひとりひとりが 今体験する■

 

 

 

 

法華経とは、聖徳太子の時代に伝来したと言われる大乗仏教の経典で、サンスクリットでは『サッダルマ・プンダリーカ・スートラ』(正しい教えである白い蓮の花の経典)という。今から2千年くらい前に成立したという説が有力である。

 

 聖徳太子、最澄、日蓮、道元なども、みなこの鳩摩羅什訳「法華経」を学んだ。そして、日本仏教の特徴だが、なぜかこの「妙法蓮華経」が中心的経典に据えられた。

 他国では見られない日本独特の現象だが、その理由として「如来」(にょらい)になる道が万人に開かれていると説いている点が大きいという研究者が多い。如来というのは「ブッダ」(ガウタマ・シッダールタ)のことであり、「悟りを開いて真理に達した者」である。この分け隔てのないところが「日本で大人気」の理由のようだ。

 

 経の内容は長大なため、とても単純には言い表せない。物語と教えがセットになっている部分がほとんどで、多種多様なエピソードに満ちている。時にはファンタスティックでスピリチュアル、そしてオカルト要素満載である。

 

 

■まるで『未知との遭遇』のワンシーンのような法華経の場面

 

 さて、その摩訶不思議な記述を紹介しよう。

 

 第10「法師品」(ほっしほん)において、釈迦牟尼如来(ブッダ)は、特定の菩薩のみならず、さまざまな階層の人々(鬼霊も含め)に向かって、繰り返し「未来世において必ずや如来となる」という予言をするようになる。

 

 第11「見宝塔品」(けんほうとうほん)に入ると、突然、巨大な色とりどりの美しい宝塔が地中から出現し、空中に静止する。ただし、高さと幅の比が2:1なので、巨大だが短躯の「塔」である。無数の宝石の環があり、鈴が吊るされている。そして、その宝塔から「素晴らしい、その通りだ」とブッダと法華経を褒め称える大音声がする。

 

 この多宝如来と釈迦牟尼如来にはある約束事があった。それは彼が出現する時、ブッダが全宇宙に派遣している法華経伝道の分身如来を呼び戻すことである。

 

 

“娑婆世界”が一挙に浄化されるとともに、彼らがこの場に参集し始めた。だが、娑婆世界だけでは足りないので、周辺八方の二百万億の世界も浄化された。

 

■地涌の菩薩(じゆのぼさつ)とは何者なのか?

 

 その後、ブッダ入滅後の末法の悪世と人心荒廃ぶりが語られ、まさに教えが滅びようとする時代にあって、法華経の求法者を迫害する者たちと、彼らが守るべき四つの戒めなどが語られる。むろん、菩薩たちは大難を覚悟しての布教を固く誓う。

 

 さて、ここから地底人や地底文明を彷彿とさせる記述が登場する。

 

 第15「従地湧出品」(じゅうじゆじゅつほん)だ。

 

 突然、大地の至る所に亀裂が走った。そこから無数の、それこそ幾千万億という求法者の大集団が出現し、次々と空中にとどまった。

 

 彼らの身体はみな金色で、偉人が持つとされる32の特徴を備えていた。そして、釈迦牟尼如来と多宝如来を礼拝し、ブッダの分身たる如来たちにも礼拝した。

 

 しかも、驚くべきことに、一人ひとりが偉大な聖仙で、大神通力と前世の記憶を持ち、多数の随伴者を連れ、見た目も美しい。これが「地涌の菩薩」である。

 

 先に参集していた如来たちが、「こんな様子はいまだかつて見たことがない。彼らは何者で、どこからの来たのか?」と、不思議に思ったのも無理はない。ブッダはみんなの疑問に次のように応える。

 

「此諸菩薩。皆於是。娑婆世界之下。此界虚空中住。」(漢文)

 

「これらの求法者たちはこの世界の大地の下にある中空の世界の境域に住んでいる」(サンスクリット原典現代語訳)

 

 大地から出現した無数の菩薩たちは「地下の虚空界」の住人だった! 彼らもまた、かつてブッダが仏の教えに到達できるように教化した者たちだ。彼らは神々と人間の近くには寄らず、隠棲し、仏の知恵に没頭している。彼らこそブッダ入滅後の末法において法華経を真に託された者たちだった。

 

 さて、以上に対して、当然ながら長年の仏教的な解釈や学説がある。

 

ただ、単純に言ってしまえば、悟りを得たい衆生に対して、ブッダが「未来世において君たちは必ずや如来になれるんだよ」という予言を行った後、

 

巨大な宝塔が出現して空中に静止した、という話である。

 

そして、次に地底から超人間的な存在が大量に出現して、ブッダが末法の悪世における“真理の担い”を彼らに託した、という話である。

 

 むしろ、現代人だから、この様子を率直に解釈できるのではないだろうか。つまり、これは大勢の人々が一挙にブッダやキリストのレベルに到達するという、近未来における集団的な変革の予言のようにも受け取れる。ちなみに、この見方は、他の予言や体外離脱情報とも一致する。

 

 そもそもこのビジョン自体が、ブッダの時代のものというより、未来の光景を描写したもののように思える。時空を超越できる者が書き留めた場面というわけだ。

 

 

 

 

 そして、地球人(地上人)の集団的な変革を手助けするのが「地底人」である。ブッダが彼らに真理を託すということは、人類の指導係と認めたということだろう。だとしたら、われわれが彼らの姿を目撃する日が近い将来やって来るのかもしれない。

 

文=山田高明

 

 

https://ameblo.jp/vimon/entry-12856573201.html

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ウジが涌く利権主義と

ハエが飛び交う旧世代の全体主義

民主主義は「多数決という正義」に換骨奪胎されて

多数の声というでっち上げをマスメディアが繰り返す

金で繋がる支配者側のイリュージョン

(幻影、幻想、錯覚)

 

普通の感性があれば

おかしいと気が付くものだが

常識と言う名の一般人の多数の声の下に黙らされる

 

そして、民衆の反政府、反マスメディアが主流になったら

過激なスパイを送り込んで過熱化させて

全体が違法行為になった時点で粛清される

2021年の1月6日がそれだったよね🤗

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

https://ameblo.jp/meru-koro/entry-12856585304.html

 

 

 

https://ameblo.jp/meru-koro/entry-12856295961.html

 

 

 

 

 

https://ameblo.jp/meru-koro/entry-12849066004.html

 

 

 

https://ameblo.jp/meru-koro/entry-12848427137.html