土手を走ってきました。
(自転車で)
気持ちよかった
こういうことって、言って伝わるか分かんないけど
自転車こいでいる最中にね、なんだかすごく愛されているような感覚になっちゃってね、ずっと気持ちよくペダルを回してた。
不思議だよね、周りには誰もいないのに、いったい誰に愛されているような気がしたんだろね(^^;)
自転車で走っている最中、ずっと頭の中に浮かんでいた言葉が
「大したことなくていいじゃない」
という言葉。
なんでこのタイミングで「大したことなくていいじゃない」という言葉が、何度も何度も浮かんできたのかは分からないけれど、
今日の半日を、大したことなくてもいいについて考えながら過ごした。
私たちは
立派な自分と、大したことのない自分
二つの自分を比べると、立派な自分の方が素晴らしいと思いがちだ。
だけど〝大したことがない〟っていうのは、実は人を引きつける魅力でもあって
大したことないからこそ、助けてもらえる。
大したことないからこそ、守ってもらえる。
大したことないからこそ、仲間になれる。
大したことないからこそ、好かれる。
…という良い側面があるんだ。
逆に
立派な人っていうのは、人の上に立つ立場だから、助けてもらえる機会は少なくなるし
普通に過ごしている人たちと比べると、友達の数も圧倒的に少ないだろう。(これは偏見か)
期待をされているならば、プレッシャーだって大きいだろうし
羨ましがられるほど、いいことばかりではない。
その人が立派であればあるほど、守ってくれる人も少なくなるんじゃないかな?
もともとその人の器が立派であって、立派な立場に慣れている、というのなら別にいいのだが
気がかりなのが
本当は大したことないのに立派な振りをしている人たちだ。
大したことがないのに立派な振りをしている人とは、どういう人か?
それは
立派な振りをしていなくてはならないと思い込んでいる人
だったり、
立派ではない自分には価値がないと信じている人
のことだ。
こういう人たちは、本当はすぐにでも助けてもらいたいくらい苦しんでいたとしても、なかなか助けてもらえない。
どうしてかというと、周りの人が気づいてくれないからだ。
立派な振りをしているせいで(本当は大したことないのに)、周りの人は あの人は今助けを必要としているんだ…! と気づくことができない。
自分は今日、
「大したことなくてもいいじゃない」
と半日つぶやいていた人生だった。
半日つぶやいていたら、なんだか心が楽になった。
大したことのない自分を受け入れることは、
誰かに助けてもらってもいいと、自分に許可をすることだ。
誰かに守ってもらってもいいと、自分に許可をすることだ。
1人で頑張って生きなくてもいいと、自分に許可をすることだ。
その許可を、今日はのんびりと…半日…時間をかけてやっていた。
そんな日だった。
なんだか満たされた一日になった。
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※ 2019.1/4 まで…