つづきです。

 

 

 

 

 

 

 

去年、私はブログ講座を開催した。

 

 

この講座の中身を作ったのは私ではないけど、

内容はいわば「当て書き」。

私のやりたいことと、

私の得意なことそのままを講座という形に作ってもらった。

だからこの講座は私の全部が詰まっていた。

本当に良い内容だったと思うし

この講座の前後の自分のブログは、今読んでも

私の素直な想いがパンパンに込められていて

楽しそうだなぁと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

深く繋がりたい。

 

 

 

 

 

深く繋がろう。

 

 

 

 

 

この講座は、そんな想いだけでできていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

講座をしていた時間は

自分の中にある本気の想い

熱い気持ちが

伝わるかな?

伝わって欲しいな

そんな気持ちで

自分の全力を出して臨んだ。

 

 

 

自分が講座をすることで、

受講してくれた人に

それが伝わったんじゃないかと思っていた。

 

 

 

あぁこれで、

周りの人たちと

もっと深く繋がれるね。

もっともっと深く繋がれる人が

周りに増えるね。

嬉しい。

嬉しい。

 

 

 

パワーが湧いてきた。

希望で満たされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だから、それが幻だったことは

私を打ちのめすには十分すぎた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ある人は、ブログそのものを消した。

 

 

 

 

ある人は、インスタントなHow to に飛びついた。

 

 

 

 

ある人は、誰かや何かの模倣を発信し始めて

「自分」であることをやめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういう人たちのことを

悪く言いたいとか、傷つけたいとか

そういうことではなく、

 

私の言葉は

 

何にも伝わっていなかったんだ、と思った。

 

伝わったと思っていたのは私だけで。

 

伝わったと思っていたのは、幻想で。

 

 

 

 

 

実際には、

何も響いていなかったんだ。

 

 

 

 

 

講座を受けてくれた人と響かせ合うことが

私にはできなかった。

 

 

 

私の想いをただ一方的にぶつけただけだったのかもしれないと

初めてわかった。

 

 

 

 

 

そのことが

とてもショックで

とても悲しかった。

 

 

 

 

 

私に影響力がないからだ、と言われれば

まったくその通りだし

なにを選ぶかは、それぞれの自由だし

何かを強制することもできない

私がとやかく言うことではないことを重々承知していながらも

私は、とやかく言いたかった。

 

 

 

 

 

みんなで手を取り合おうよ

みんなで繋がろうよ

分かち合って

理解し合って

何者でもない自分のままで

丸裸のままで

受け入れられる安心感を思い出して

 

 

 

分け合って

与え合って

その安心感を揺るぎないものに

そこから自分らしく

自分の人生を明るく照らそうよ

自分の色を、もっと出していこうよ

 

 

 

 

 

その声が届かないもどかしさ。

透明なサランラップのような、薄いフィルムみたいな膜に隔たれて

こっち側とあっち側では、もう言語そのものが違うかのように

話が通じなくなった。

私は誰と話しているんだろう?

私は何を見ているんだろう?

そう思う瞬間が

いくつもあった。

 

 

 

 

これが、「目が眩む」という状態なのかな、と思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本物を追及すること

自分が本物であろうとすること

そういうことに

私が異様にこだわりはじめたのは、そこからだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「目が眩む」

という姿は

とても怖い。

そして品がないと思った。

特定の誰かがそうだ、というよりも

まとっている空気みたいなものが

私には理解できない「気持ち悪いもの」と感じるようになった。

見るに堪えない。

自分がそうなりたいと思えない。

逆に「絶対にそうなりたくない」という「欲」を見出したぐらいだ。

 

 

 

 

 

でもそれは結局、自分以外のすべてをニセモノだと設定している

自分の器の小さいだけの話なんじゃないか?

 

 

 

 

 

すべていい

なんでもいい

なんだって、あっていい

みんな素晴らしい

 

そう言えない自分のせい。

 

 

 

 

 

自分と同じように

本気であること

熱量を持って、命を燃やしていること

本物を追及しているかどうか

そんなことを、相手(誰か)に求めること自体が

おかしいことなのかもしれない。

 

 

 

 

 

そんなことを求めている人なんか

私以外にいないのかもしれない。

だから、一人で勝手にやるしかない。

 

 

 

 

 

こんな私が、誰かと分かり合える、理解しあえることなんて

深く繋がることを求めること自体が

初めから無理な話なのかもしれない。

 

 

 

 

自分を信じられなかったり

繋がれない人ばかりの世の中にがっかりしたり

そんなことを繰り返して、

殻に閉じこもるみたいに

口も閉ざした。

私が何か言うと、間違っているかのように思われるみたいな

恐怖もあった。

そんな自覚はなくても、

たくさん傷付いていたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

繋がれないのなら、伝えることに意味もない。

伝えたい誰かもいない。

そんな気持ちで

ブログに向かうこともなくなった。

ブログに吐き出さなくなった分

自家中毒のように、自分の中でぐるぐるぐるぐる

行き場のない想いと、問答と、感情が

なみなみと溢れて

息が詰まる。

 

 

 

 

 

それを

やめればいいだけの話。

 

 

 

わざわざ、懲りずに自分以外の誰かに深く入ろうとしたり

物事を深く考えたり

裏からも表からも見ようとしたり。

自分を削るような想いで

そんなことをして居そうな人なんて

全然いない。

自分のことだけ考えて

自分が楽しいこと、自分の得になることをして過ごせれば、

それでいい。

面倒なことは、早く、簡単に済ませられれば、それでいい。

そうしたら、今より軽くなれる?

だったら、私もそうすればいい。

 

 

 

 

 

でも、それを自分で自分に許せない。

やっぱりそこは、私にとっては手放しちゃいけない域で

どれだけ自分を傷付けても苦しくても

陰気で重くても

私の構成要素だと思うから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

由香さんとのやり取りは

ここまでの言葉を交わしたわけではなくて、

もっと簡単で、少ない言葉数だった。

それでも、由香さんが私と深く繋がってくれて

由香さん自身が感じることを言葉にしてくれることで

それを聞けたことで

私はとても癒された。

 

 

 

 

 

あぁ、この感覚だ。

人と深く繋がる感覚。

これがないと、私はダメなんだ。

そう思った。

 

 

 

 

 

きっと私の中には

どうせ届かないなら、初めから伝えない。

って拗ねとか意固地になっていたところもあったと思う。

人魚だっけ?イルカだっけ?

歌声で、仲間を呼ぶんだよね。

歌声が届かないから

どうせ誰も聞いていないから

歌わない。

って思ってた。

歌っても無駄だって。

 

 

 

 

 

でも歌わないと、届かない。

届かなくても、歌わないと。

誰にも届かなくても、

私は自分に響かせることができる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一昨日からひさしぶりに

ノートではなく表現の場であるブログを書いて、

歌声を響かせる、この感じを思い出した。

誰のためでもなく、自分のために書いていたこと。

賞賛を得ることではなく、表現できることがもう喜びであること。

伝わることも嬉しいけど、伝わらなくても

既に幸せ、そんな感覚。

すっかり忘れていた。

 

 

 

 

 

それに、

「おかえり」って言ってくれる、

いつも私のことを大きな愛で包んでくれる存在がいたことも

思い出せた。

 

 

 

 

 

 

愛ちゃん、いつもいつも

本当にどうもありがとうえーんえーんえーん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分で、出すことを留めて私は孤独・・・って

勝手に苦しんでいただけなのかな笑い泣き

コントだね。

 

 

 

 

 

でも、自分の中の原点に還ることがことができた。

自分にとってなにが大切だったかを思い出せた。

どこまでいっても、私は私にしかなれないし

深く考えたり、深いつながりを求めることを

やめることはないだろう。

それが辛くならないように

いいバランス、いい塩梅を探っていけたらいいなと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歌よ

導いて

 

どんなことが起きてもいい!