私が正しい

 

 

私が世界の全て

 

 

 

 

 

そんなことは、毛頭思っていない。

 

 

 

 

 

ただ

 

 

私が何を思おうと 自由だ

 

 

 

 

そして

 

 

 

 

あなたが

私のことをどう思おうと 自由だ

 

 

 

 

 

とは思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今 勤めている会社に入るときに

決めたことがある。

 

 

 

それは

ゴタゴタが始まったときに、逃げずに踏みとどまること。

 

最後まで、とはいかなくとも

見届けること。

 

 

 

 

 

業界的に

合併、統合なんて話題は日常茶飯事で

新卒で入った会社は1年で吸収合併され

訳の分からないゴタゴタのとばっちりを受け

(今となってはペーペーが受けるとばっちりなんて、

全然大したことないんだけど。)

社内がぐちゃぐちゃになっていく様子、その空気に耐えられず、

私は逃げた。

 

 

 

 

 

でも、たまに思い出していた。

 

 

 

逃げずに踏みとどまっていたら、

どうだったかな?

 

変わっていく様子を中から見るのも、

悪くなかったかも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてそのチャンスがやってきた。

(つまり吸収されるってこと)

 

 

 

 

 

動きはゆっくり。

水面下で進んでいる最中なのか

下々の者(私)の元へやってくる情報は

噂話レベルでしかなく、

その代わりに

確実な話として私の元へやってきたのは

人事異動だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこで聞かされた話が

私には

「捨て駒にされたんだな」

と思える内容だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

捨て駒じゃなくて別の捉え方をしようとか、

会社組織ってそーいうもんとか、

そんな話ではない。

 

 

 

 

 

私は「捨て駒にされた」。

そう感じた。

 

 

 

 

 

でも、捨て駒にだってプライドはある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私にはずっと

逃げてきたものがある。

 

 

 

 

 

それは、

「責任」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私には、子育ては無理。

子育て苦手だから。

子育ては、放棄したから。

 

 

 

 

 

そう言って、子育ての責任から逃げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

派遣だから。

所属年数が短いから。

役職が、下だから。

 

 

 

 

 

そうやって、仕事の責任から逃げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

相手に責任を追求したくなる、という場面はこれまでにもあった。

それでも、

自分が責任を負わないと決めているから、

相手にも求めなかった。

求められなかった、と言う方が正しいのかもしれない。

「そう思っちゃうよね」

「お互い、自由だもんね」

そうやって相手を逃がしてあげていたし、

同時に自分も縛られていないと思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

けれど私は知っている。

 

 

 

逃げれば逃げるほど、

それは自分を追ってくるということを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

責任と 自分の自由とか心地よさって

両立し得ないんじゃないかと思っていたの。

 

 

 

責任を引き受けたら

重くなる。

苦しくなる。

自由じゃなくなる。

 

 

 

そう思っていたから

引き受けたくなかった。

責任から逃げたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分が捨て駒だと思ったとき

責任を引き受けよう。

と思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

責任を取らないままに 何かをするということは

自分ひとりの範疇に留めるということ。

 

 

 

 

 

私さえ良ければいい。

私が幸せならいい。

他の人はどうでもいい。

その人の勝手。

後は、誰かがやってくれる。

 

 

だって

私が幸せなら、みんなも幸せに違いないから。

 

 

 

 

 

こんな言い方は大袈裟かもしれない。

だけど、それに繋がる独りよがりさは

ずっとあった。

そこから逃げていることには

気付かないふりをしていた。

だって気が付いてしまったら

自分が大きな間違いを犯したことを

認めなければいけなくなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分が楽になる仕事の仕方。

自分が楽になって、

それが同時に周りの人も楽にできていたら、良いと思う。

でも私は残念ながらそうじゃなくて

自分だけが楽になって

楽になっているはずなのに、周りに余力を分け与えるどころか

どんどん楽を貪る鬼と化していた。

もっと楽をできないか、と思っていたし

もっと私を楽にしなさいよ、と思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

傍を楽にするから「はたらく」。

この言葉が嫌いだった。

なんで自分以外を楽にしなければならないのだ。

私は自分を楽にしたい。

そう思っていたから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう思っていたんだけど

はたと

自分の幸せの追求だけをしていても

頭打ちがあると 気付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の幸せだけを追求していても

ある程度までは、幸せ度は上がると思う。

でも、頭打ちなんだ。

 

 

 

 

 

なぜなら、自分のために何かをすることよりも

誰かのために何かをすることの方が

何倍も馬力が出るから。

 

 

自分を喜ばせることよりも

誰かに喜んでもらうことの方が

(難しいけど)何倍も嬉しいから。

 

 

自分ひとりで幸せを感じるよりも

誰かと一緒に幸せを感じる方が

何倍も大きな幸せを感じられるから。

 

 

 

 

 

自分ひとりの幸せ、楽、拡大じゃなく

誰かと一緒に、拡大、繁栄。

その道を探りたい。

そういう生き方が、したい。

(そんなことを考えられるまでになった自分に

感慨深くなる。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の楽だけのためだったら

リモートワークを続けていればよかったけど、

私は 自分がそれを続けることはできないと思っていた。

 

たとえ身体が辛くても、

出社して、人と空間を共にして作業をすること、

人と時間を共有することに意味があると感じる。

 

たとえ摩擦が起こっても、

人と対面して何かを成すことが好きだ。

 

そこにエネルギーをかけたい、と思う自分がいる。

 

 

 

 

 

そもそも、

私が家で一人籠っていたところで

何の事件もドラマも起きないのだ。

私は

事件やドラマを傍観者として眺めたいのではなく

自分事として、体感したいのだから、

人と関わることが必須であり、

私が心を動かされる瞬間にはいつも

人が居る。

私を駒扱いした人だって

大事な登場人物であるとは思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰かの考え方、行動の意図、

それを「好きじゃないな」と思ったとしても、

私は糾弾もしないし、裁かない。

そんなことができっこないことも、わかっている。

ただ、「そのやり方には乗らない」ことを選択する。

「ダサい」か「ダサくない」か。

その判断は、一瞬だ。

 

 

 

 

 

「その人にもきっと事情がある」

ということを思慮するのは、こっち主導だから

やりたければやるし、やりたくなければ、やらない。

そこまで思慮させたいのならば、

それ相応のやり方をしてもらわないと。

 

 

 

 

 

結局のところ

愛のあるやり取りで繋がっている人なのかどうか。

それをとても注意深く見ている私なのだと思う。

それでも、同じ人間同士。

こちらが先に愛を放っていれば

相手も返してくれるものなのだという確信めいたものも、

私にはある。

 

 

 

 

 

1年前に嫌われていた人とも

 

 

今は仲良し。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなこんなで

人事異動があって、

仕事がとっても多忙になりました。

でも責任を取ると腹を括ってそっちに向き合うと

不思議と仕事が楽しく感じられてて、頑張れてます。

(アドレナリン出てるんかな)

ずっと、会社の歯車として生きることを蔑んで見てて

私はそうはならない、とも思ってきてたけど、

歯車⚙って、蔑むことでも何でもなかったなぁと思っているところ。

これ、伝わるかなぁ。

 

 

 

私よりもっとずっと仕事してる人を間近で見て

その人を手伝えるようになりたい、と思ったものの

自分のキャパもいっぱいだし

そもそも手伝えるだけのスキルも自分になく

「やりたい」の気持ちだけじゃ何もならないことに

今更ながら愕然としたけど、

愕然としてても仕方がないので、やれることを精一杯!の日々。

周りと一緒に拡大、繁栄を目指す。

と言ったところで

自分に力がないとどうにもならないので、

今は 自分に力をつける時間だと思う。

一緒に頑張れる人がいることもありがたい。

 

 

 

 

 

柱だって

自分のことを叩いて叩いて

柱になるまで強くなったんだ!と

また鬼滅の刃を読みながら心を燃やす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

努力を

大変と捉えるか。

楽しいと捉えるか。

その時の自分の人生の流れなのかなぁって思う。

1年前なら、きっと大変なことはしたくないって思ってた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一瞬 一瞬

今。今。今。

 

その積み重ねが今の私

今の私が常に私史上最高峰で最高

その私が選ぶもの 決めるもの

それが私にとって間違いなはずないだろ?

私は常に自分の美学に則って

その瞬間を選びとるのみ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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