○○ちゃんのママ
○○さんの奥さん
○○さんの娘さん
○○社の社員さん
そういうのじゃなくて
自分を表すもの
自分という人間を表すもの
それがなんなんだろうって
わからなくなる。
自分を表せるものが
ないんじゃないだろうかって
思えてくる。
自分を表せない私は
どんな人間として生きてきて
どんな人間としてこれから生きようとしているのか
それもわからなくなって
自分の輪郭がどんどんなくなっていくような気がした。
だだっ広い宇宙に放り出されたような
足元の、強固だと信じていた地面が急になくなったような
心もとなさを感じて、不安に襲われた。
私は自分の輪郭がはっきりと掴めなくて
それが不安だった。
ちゃこちゃんと出会ってブログを勧めてもらったときから
ずっと私の心に留められていた言葉があって
それは
「自分の言語を使う」。
この記事▼▼▼(もう1年半前なんだね!今読んでもグッとくる。)
私も、アメブロのスピリチュアル自己啓発のブログを漁っていたから
この言語はあの人の言葉だなーとか
見ればわかる部分が少なからずある。
本家のブロガーさんが書いている内容が理解しきれなくて、
その方の認定講師とか、近しい方のブログを読みに行ったりもする。
でも
そこに書いてあることって、
その本家のコピーなんだよね。
もちろん、読み手もそれを期待して読みに行っているわけだから
そこで需要と供給は成り立っていると思うんだけど
それなら、「私が書く必要ないな」って私は思う。
自分がブログを始めた当初から、
誰かの言葉だけを丸々コピーするんじゃなくて
自分の心に響いたものを色々混ぜたり
自分の体験を書いたりしていたのも
完コピは嫌だ
って思いが少なからずあったからなんだ。
もしも本当に自己表現したいのなら
(アイドルタイプの人とかね)
自分の言語を使うのは、マストなはず。
それでも
自分が今まで読んできたブログに引っ張られたり
正解が欲しくて、他のブロガーさんの書き方を真似たりする日も
あるんだよね、正直。
でも別に、それでいい。
大事なのは、それでやめないことなんだと思う。
そういうときもあって、
でもそうじゃないときもあって、
いろんなものが混ぜ合わさって、絶対に「自分」になっていく。
それは1回でそうなりましょう、ってことではなくて
積み重ねてやっていきましょう、ってことなんだ。
仲間がいなかったときは、
ブログを書いていても
自分自身で「自分」が全然掴めていなくて、不安だった。
自己表現しているつもりだけど
見てくれている人がいないから、何も感じられなかった。
満足感も、幸福感も。
(自己満足感は感じてたかな)
でも不安だったからこそ、
パワーブロガーさんの言葉にすがりたかった。
彼らの言葉は、強く見えた。
だから助けてもらった。
でも、本当に自分の言語を使うように意識してから
ちゃこちゃんとブログ上で繋がって(お互いを認識して)から
エデンのメンバーと繋がってから
見てもらえているという安心感を得られたし、
エデンがとってもハートフルなコミュニティだから
みんなすごく褒めてくれて、自分の良さを知ることができたし、
それに伴って自己表現がどんどんスムーズになった。
シンクロ率も上がった。
自分の感じたことを書けば
それがそのまま自分を表してくれると信じられるようになった。
そしてそれを、少なくない数の人が応援して好きと言ってくれることも。
すべて「安心」ベースがあったからこそ
やってこれたとことだと思ってる。
自分の言語を使うためには、
今まで目に入れていた人の言葉から
離れる必要性が出てくるとは思う。
最初は怖かったり、不安だったりするだろうね。
だからこそ、人と繋がって仲間になって
その不安を補っていい。
自己表現は、一人では成り立たない。
見てくれる人、観客がいないと、成立しないものなんだ。
あなたのことを見てくれる人と一緒に
「あなた」をくっきりと形作っていくものなんだ。
あなたは
あなたを見てくれる人の力も貸してもらって、
自分の輪郭を掴むことができるんだ。
だから、自分が何者かなんて
ちゃんと答えられなくていい。
肩書なんて、今すぐ決めなくてもいい。
それは自分でできなかったら
仲間と一緒に見つけて、決めていってもいいものなんだ。
私たちは人と人の間で生きていく生き物、「人間」なんだから。
誰かと繋がって、誰かに助けてもらって
「自分」という存在を活かしていけたら
それはすごく幸せなことだと思う。
自分の言語は捨てるな。
自分の言語を取り戻せ。
ちゃこちゃんのフィクサー・プロジェクトに参加しています。