東海道東下り  六回目 | 古城 めぐり

古城 めぐり

戦国時代を生きた人々の城を訪ねます

東海道東下り 六回目

               御油宿~吉田宿

 

久方の東海道歩き行って来ました。

六月十日以来です。体調は良く今思うとなんでかなと理由がはっきり

しない、でも少しずつでよいから始め いつか日本橋 目指します。

快晴の秋晴れ前回の御油宿 松並木を過ぎたあたりからです

 

    出発日  2022年 11月2日 ( 火曜日 ) 快晴

    経路   名鉄本線 御油駅~豊橋駅  約12キロ

 

御油の松並木資料館勇んで来たらがっかり10時からで 今九時十五分

四十五分も待てない、見ずにスタートです。

東海道 御油橋東 音羽川 です

橋のたもとにあった東海道五十三次 広重画 当時の御油橋 人足が

裸で担いで板橋を渡っている

御油宿は城下町の 堅ぐるしさを避けた旅人や姫街道の追分を控え

おおいに賑わい、参勤交代に随行する武士は御油に赤坂吉田がなくば

何のよしみで江戸通いと詠い 飯盛りが盛んであった

広重画 御油 旅人留女

姫街道 追分  浜名湖北岸を経由して遠州見附に至る

安永三年 1774年建立の秋葉山常夜灯 三尺坊大権現道標など

大社神社 三河国府の総鎮守 国司大江定元が三河守として 在任中

の安泰を祈念し 出雲大社より大国主命を勧請したのがはじまり

徳川14代将軍家茂が長州征伐に際し戦勝を祈願し短刀を奉納した

薬師堂  母を亡くした姉妹が篤く信仰したところから 二子寺

と 呼ばれた

冷泉為村卿 歌碑

『散り残る花もやあると桜村 青葉のこかげ立ちぞやすらふ』冷泉家

中興の祖といわれる 為村の歌碑 徳川家重 九代将軍継承の

祝賀に朝廷の使者として下向する際桜村で詠んだ

速須佐之男神社  伊ノ奈村新町の氏神 1770年創建

伊奈村立場茶屋跡 貞享四年 1687年吉田藩主小笠原壱岐守長亮

がご馳走御茶屋をここに設けた。間の宿で加藤家が務めた

兎足神社  白鳳15年 686年創建の古社

雀12羽生贄としている。歴代吉田城主から崇敬されている

境内から縄文後期の土器など発掘されている

子だが橋の碑

その昔兎足神社には大祭の初日最初に橋を渡る女性を生贄にする

習慣があった。ある年の大祭の日最初に渡る娘をみるとわが娘であった。

しかし子だが止むを得ん と言って生贄として神に奉った

豊川放水路 昭和40年水害対策として掘削された人口河川

瓜郷遺跡  弥生から古墳時代前期にかけての集落跡 

      集落跡が復元されている  国指定史跡

とよはし から吉田城を望む

吉田大橋 (とよはし)は矢作橋 瀬田の唐橋と共に

      東海道 三大大橋と呼ばれた

おわり