東海道東下り 五回目 | 古城 めぐり

古城 めぐり

戦国時代を生きた人々の城を訪ねます

 

東海道 五十三次東下り

                藤川宿~赤坂宿~御油宿

前回は 藤川宿で終了しました。今回はどこまで行けそうか体調はどうか話し合い

赤坂、御油あたりまで行こうと出発しました。

今回は私が非常にたのしみにしているお寺さんがあります。本宿にある法蔵寺さんです

ここは 徳川家康公 幼少のころのお手習いの寺です また東海道と言えば御油の松並木

そんな中歩けること 非常に楽しみにして出かけました。

 

    出発日  2022年 6月 10日 金曜日 晴れ

    経路    愛知県 岡崎市藤川町~豊川市御油町

 

天然記念物 御油の松並木碑 慶長九年1604年植樹された三河黒松600本

 のうち350本が当時のまま残っている

車も通行しなく舗装もなければ大名行列が来そうだ

歴史の貴重な並木です  将来も大切に守ってください

傍示杭と見附石垣が復元されている 藤川宿の京口です

藤川宿の脇本陣門が左側にみえます

現在の本陣公園内にある藤川宿 歴史資料館です 宿場の歴史資料を大切に

残し伝えようと岡崎市教育委員会 地元藤川まちずくり協議会の熱意が伝わります

本陣公園  奥に珍しい むらさき麦がありました 麦自体がむらさき色です

染料になる紺屋麦と呼ばれた

市場町格子造りの町屋  藤川宿の往時をしのぶ町屋です 加宿市場村は

藤川宿が慶長六年 伝馬朱印状が発給され宿場になった。しかし当時から規模が

小さく加宿村が求められ1648年市場村六八戸東に移転させ加宿市場村が出来た

こうして藤川宿は体裁が整のった、

藤川宿 曲手 かねんて と呼びます 直線状に来た街道は90度

右に折れる 通常枡形といい同じ目的です 三河代官作

歌川広重 藤川宿  棒鼻ノ図  藤川宿東棒鼻を通過する 八塑御馬献上

 の行列が描かれている 広重は天保三年1832年この一行に加わり

初めて上京した

石垣見附や傍示杭が再現されている

名残り松  松並木の名残り 東海道の標識あり  

長屋門がある 代々医家を務め七代目龍碩はシーボルトの門人青木周輔に

学んだ蘭方医で安政年間種痘を施術した

 

六月の美しい花が咲いています 紫陽花 ユリ

本宿 陣屋跡  現 富田病院 代官職は富田家が代々世襲し旗本

柴田出雲守勝門 ( 柴田勝家子孫 ) の知行地を支配した

富田家の子孫に 富田 勲 作曲家 編曲家 シンセサイザーアーティスト

法蔵寺   大宝元年 701年行基の創建 参道口に御草紙掛松がある

家康お手習いの寺として江戸期を通じて門前下馬であった。

墓地には徳川家の祖 松平家の一族 三方ヶ原戦死者の墓がある

 

御草紙掛松 徳川家康は 幼少の頃 当寺にて学問 手習いに励んだ。

この松は家康公 手植え松と言われ手習いの際に草紙を掛けたことから

家康公ゆかりの御草紙掛松 とも呼ばれた 現在の松は四代目 周囲の

石柵は1815年旗本 木造清左エ門俊往 が寄進したもの

新選組局長 近藤 勇 首塚

下総流山で官軍に捕らわれ 中山道板橋の刑場で斬首になった。

首級は塩漬けにされ京に送られ三条河原に晒された。三日目の晩に

同士がこれを奪取し密かにここに埋葬したという

赤坂宿 商家 尾関屋  創業明治元年 1868年曲物の老舗

 軒行燈を掲げている

広重画 当時の旅籠の様子が描かれています

イチビキ 安永元年 1772年 創業 味噌 醤油 醸造業を創業した

名鉄電車 御油駅  本日のゴール お疲れさまでした 

 踏破距離 12.4km 無事歩きました

 次回 六月 第四週 予定