東海道東下り   四回目 | 古城 めぐり

古城 めぐり

戦国時代を生きた人々の城を訪ねます

東海道五十三次

            岡崎宿~藤川宿

 

前回 知立宿から岡崎宿西口 矢作橋袂まで歩き約一か月

たちました。今回岡崎から出発です。

岡崎藩は小藩であった。『五万石でも岡崎様はお城下まで

船がつく』と唄われ矢作川の舟運が盛んでその賑わいは

駿府に次ぐべくといわれた。天保14年1843年東海道

宿村大概帳では宿内家数 1565軒 本陣三、脇本陣

三、旅籠百十二軒で宿内人口6494人であった。

 

  出発日 2022年五月25日 金曜日 快晴

  経路  愛知県 岡崎西口~藤川宿

 

歌川 広重 画 岡崎 矢はぎ大橋 寛永十一年 1634年 架橋。長さ二百八間 

東海道一の大橋であった

八丁交差点 一号線  岡崎城から八丁の位置 八丁村

『岡崎27曲がり』冠木門前から若宮通り、伝馬通り、簾尺通り、木まち通り

 松葉通りを経由して矢作橋に至る二十七曲りの道のり

秀吉の家臣 岡崎城主 田中吉政が城下に東海道を導き入れたことに始まり

本田康重が伝馬町を創設し道筋が決まった。

二十七曲りは防衛上の機能を果たしなにより商家が長く繋がり城下の繁栄に繋がった。

読みやすい 現在の標識です

城内街道を長くするため街道を曲げ商家の数を増やし岡崎を繁栄させた。

さすがだ 田中吉政 市内に銅像が建てられている 現在引っ越しで見れなかった

冠木門 岡崎城下 江戸口

備前屋 創業 天明二年1782年『 銘菓あわ雪 』の老舗

岡崎の松並木 岡崎インター近く

岡崎インター 入口

東海道の現在様子

大平橋 跡 元禄九年1696年長さ49間の板橋がここに架橋された

この川は乙川 大平川とも呼ばれて三河の巴山に源を発し男川を吸収し

流末は矢作川に至る

この大平地区は名奉行大岡越前守忠相が江戸に生まれ享保二年1717年

江戸南町奉行となり大岡裁きで知られた。1748年寛延元年三河の国

西大平藩一万石が加増され譜代大名となった。江戸時代を通じて町奉行から

大名になったのは大岡忠相のみです。西大平藩陣屋跡がこの近くにありまし

ここより藤川宿に入ります

東海道五十三次 藤川 

藤川の松並木

十王堂と芭蕉句碑

十王堂は十人の王を祀る堂で冥土の行くところにいて裁く十人を言う

本日のゴール 名鉄藤川駅 到着です

近くの道の駅でアイスソーダを飲んで 美味しかった

終わり  次回 六月初めです