中山道踏破 (33)本庄宿~深谷宿~熊谷宿~北鴻巣 その1 | 古城 めぐり

古城 めぐり

戦国時代を生きた人々の城を訪ねます

中山道踏破 33回目  その1です

 

一年で一番寒い季節を迎える2月に入りました。比較的暖かい日がおおく

今年も暖冬かなと思いそれが普通になってしまうのが怖く思えるこの頃です

今年は中国発新型コロナウィルスが先月より発症し世界が大変なことになっています

日本にも何人かの人がすでに感染し政府は必死に水際対策で食い止めています。

これ以上の拡散を防止して早い終息を願うばかりです。

そんななか2月9日~11日 2泊三日の予定で中山道行ってきました。

三日間とも最高の冬晴れ 埼玉県 上州路 歩きました 渋沢栄一翁 出身の深谷宿

また中山道が 八木橋デパートの中を歩くと言う めずらしい熊谷宿 です

 

 歩いた日   令和二年二月九日 日曜日 ~ 11日火曜日

 歩行距離   一日目  7キロメートル

          二日目  16キロメートル

          三日目  12キロメートル  一里塚 日本橋まで21里~13里  8里

           計    35キロ  街道以外含む   街道 32キロ

 

今回が最後の木曽路景色です 信濃号 車窓

寝覚の床付近

もうすぐ塩尻付近 雪が降ってました

諏訪 付近

今日最初のランチ このほかに厚いうどんです

傍示堂

武蔵と上野の国境に標識があったところ。当時はここに市がたち

おおいに賑わった。商業が繁栄した

総勢 26名 平均 70 歳越えてます 最高82歳 元気です

宝珠寺

慶安二年家光より御朱印石高十石を賜う 現在の本堂は文政二年の再建

岡廻宮神社

豊見坂 百庚申

幕末万延元年1860年建立。 黒船来航や桜田門外の変など世情

騒然のなか行われた

奈良時代の武蔵国21郡の一つ榛澤郡の年貢一時保管した

校倉造りの倉庫が復元されている

 

 

岡部六弥太 忠澄の墓

五輪塔が三体並んでいる。左が夫人玉ノ井、右が父幸忠

忠澄の墓石を煎じて飲むと子のない人は授かり、母乳の出ない人は

出るようにと迷信がある。五輪塔は削られ変形している

普済寺

岡部六弥太忠澄が開山した。源義家の家人 武蔵七党の猪俣党の出身

源頼朝が挙兵すると出陣。木曽義仲を追討、一の谷の平家との合戦で

平家の名将 平忠度を打ち取った

高島秋帆 幽閉の地

幕末の砲術家、 1841年幕命により西洋砲術の演習を行った

幕府の守旧派の反目を買い追放となった 岡部藩預かり

渋沢栄一 記念館

新一万円の顔に決定 地元深谷市出身。 幕末 明治 大正 昭和

近代日本経済の父 日本の株式会社 経済を発展させた  設立した

携わった 関与した企業は実に500社を超える。論語と算盤を教えた

慈悲のこころ 社会福祉活動にも熱心に取り組んだ 

  

一日目が終わりました。 大きなお月様が迎えてくれました

源勝院

岡部藩二万石菩提寺。 歴代藩主屋根付き位牌型墓碑が世代順

に並んでいる

 

源勝院 本堂

深谷宿 京口 常夜灯

1840年建立 富士講の人々によって建てた 高さ4m 街道筋最大級

飯島本陣跡

現在 飯島印刷所 1753年から明治三年まで務めた。

上段の間、次の間、入側を残している

煉瓦の煙突 蔵元