中山道踏破 (32)高崎宿~倉賀野宿~本庄宿 その2 | 古城 めぐり

古城 めぐり

戦国時代を生きた人々の城を訪ねます

 

 

 

二日目です

 

今日も有難く快晴です。気温も少し寒いですがダウンはぬいで

ベストで歩きます。

今回のホテルです  連泊

目立たなく二階建て 部屋は最高に広くのんびり出来ました。

今日は倉賀野宿から烏川の渡し場を見て群馬県の最後の宿場

新町宿を越え埼玉県へ入ります

女性に大変人気な お菓子の工場見学も予定しております

ホテルを9時出発です

安楽寺

倉賀野での最初の寺院 本堂の裏山は古墳です

写真は異形板碑 梵字で阿弥陀三尊が書かれている

倉賀野城址

南北朝時代武州児玉党一族倉賀野氏の居城 戦国時代上杉、武田

北条の勢力争いに巻き込まれた。天正15年1590年豊臣秀吉の

小田原城攻めの際落城した。

烏川

倉賀野城の前は烏川が流れている 江戸時代は舟問屋を開設して

物資の輸送 1650年頃より大変栄えたところ 全盛期には76の

業者が集まり 米 麦 煙草 織物 木材 を運び 帰り船で

干魚 油 茶 塩 砂糖 など運んだ 明治17年 上野 高崎間に

鉄道が開通して舟運の役割は急速になくなった。

幕末徳川幕府御用金 埋蔵伝説はここから荷揚げされ赤城山に

運ばれた との話です

倉賀野本陣跡

倉賀野16騎 に数えられ 滅亡後も当地にとまり勅使河原氏が務めた。

現在なにも残ってなくマンションの工事中です

日光例幣使街道と中山道 追分

是従右 江戸道、左 日光道 の道標 文化14年 1814年の常夜灯

高砂屋文之助の建立で雷電為衛門、松本幸四郎、市川団十郎の寄進

 

宿場そば屋 昼食

かけうどんです。 

弁財天

天明3年 1783年の建立。境内には芭蕉句碑がある

明治11年1878年明治天皇北陸、東海巡幸の際宿泊した。

新町八坂神社

疫病の侵入と蔓延を防ぎ諸悪から身を守り長寿を祈願する神社として

建立した   新町宿茶屋としておおいに賑わった。

ガトー・フェスタ 原田

 人気の洋菓子 ラスク の工場です

神流川 古戦場跡碑

天正10年1582年 織田信長は本能寺で倒れた。滝川一益は

一万六千の兵でもって仇を討たんと立ち上がった。これに対し

北条氏は五万の兵で阻止 神流川流域で激突。滝川軍は

3,760名の死者を出し敗退した。

ここから埼玉県です

群馬県 埼玉県境に建設される橋。 20年近くなかなか進まない

陽雲寺

武田信玄の正室がいた  武田に関わり深いお寺

二日目終了です

 

三日目出発です。 昨日の最後陽雲寺からです

信玄の正室三條の方 陽雲院のお墓

金窪城址

平安末期加治家治が築城、新田義貞が修築 神流川の合戦で落城

徳川時代は川窪氏が入場  丹波転封で廃城

本庄宿に入りました

本日の昼食会場

かぶとや さん 海鮮丼です

 

本庄レンガ倉庫

明治29年1896年旧本庄商業銀行寄棟瓦葺二階建煉瓦造りの倉庫です

本庄は絹と繭の町としておおいに賑わい発展した。当行は融資の

担保として取った大量の繭の保管所として建てられた

本庄町の繁栄を伝える 貴重な建物です

武州本庄七福神 めぐり を行いました

金さな神社

 

御神木

1639年改修時に植栽

 

安養院

開善寺

普寛霊場

慈恩寺

銭洗い弁財天 

田村本陣門

当時の門 和宮もくぐった 宿泊した門

歴史民俗資料館

明治16年に建築された本格的洋風建築 昭和10年まで本庄警察署

 

円心寺 山門

     天明年間 1781年~89年の建立

 

城山稲荷神社

一本の大ケヤキが築城当時献木されたもの

本庄 市庁舎

本庄城址

弘治二年1556年本庄実忠が築城

北条氏の配下。1590年豊臣秀吉の攻撃で落城。徳川時代は

小笠原信嶺が城主 古川に転封となり廃城

ここより 20分あるいて 15時30分 今回の街道歩き終了です

 

次回 2月9日、10日、11日 街道歩きです