三日目 安中宿~板鼻宿 その2 です
初めての体験となります街道歩き 三日目です。 少し疲れてるようですが
歩きました。
連泊のホテルです 何故か軽井沢に戻って泊まりました。 2階しかありません
安中藩 武家長屋
中級 下級 武士の 4軒 長屋です 移設復元 外観のみ
大泉寺
井伊直政 徳川四天王の一人 正室 唐梅院のお墓がある
チャンコロリン石
夜更けの安中宿を大きな丸い石がチャンコロリン、チャンコロリンと賑やかに囃し立て
転がりまわったとさ。役人が刀で切っても鉄砲を撃ってもその石は止まる様子がなかった。
恐れをなし人々は大泉寺の住職に助けを申し出 住職は南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
とお念仏を唱えながら石に針を打ち込み封じ込めた。
いまではお寺の境内の隅に鎮まり街道を見守っている。そのときの傷が今も残っているとか
井伊直政の正室のお墓
井伊直政には二人の男子がいた。1602年直政は関ケ原の合戦の怪我がもとでなくなった。
長男直勝は病弱で大阪冬の陣、夏の陣は弟の直孝が出陣 のちに彦根藩主に直勝は
安中城主3万石で藩内初代城主となった。以来江戸防衛の要 碓氷関所をまもるに力を注いだ
熊野神社
安中城鬼門の総鎮守。 歴代藩主に厚く崇敬された 境内の大ケヤキは推定樹齢 1000年を
越える。安中市天然記念物
大ケヤキ
西廣寺の椿 推定樹齢 300年
国道18 号線に出てきました 高崎はすぐそこです
碓氷川です
もう山は通りません
木島本陣跡 板鼻公民館
皇女和宮 資料館があります
和宮が板鼻宿に泊まった部屋
意外と質素な当時のままです
伊賀忍者 二人が和宮の寝室の下に穴を掘り警護した床下
和宮が実際に使用した 草履
各藩で用意しました。 幕末動乱期のなか有栖川家に許嫁となっていた。公武合体 世論のもと
家茂 和宮17歳の若さで結婚。結婚生活も5年しかなく夫家茂は大阪城内21歳で病死してしまった
その後も徳川家に残り江戸城明け渡しなど徳川家のために働きなんと徳川幕府を攻める
東征大総督が有栖川で和宮の気持ちを思うとこの上ない悲惨な時を過ごした。
31歳の若さでこの世を去り 自分の遺骸は皇室ではなく必ず徳川家に埋めるように遺言された
中山道を歩くなか各所で和宮に会い 気持ちまで伝わってくるような空気に触れあえる街道歩きです
旧旅籠 角菱屋 四代つずく かつ丼の老舗 本日のランチ 頂きました
国道 18 号線に出てきました 東京 113キロ 案内表示が出ました
藤塚の一里塚
塚木 榎 推定樹齢 200年以上 江戸時代当時のものです。群馬県指定史跡
飯野茶屋本陣跡
大名の参勤交代 上級武士、公卿など昼食、喫茶に賑わった
茶屋本陣を所有してきたのは飯野家
1741年 五代目佳久は高崎藩 御城方御材木御用卸仏米ご用達 を命じられた。1754年御持ち方
十人扶持 帯刀御免 1763年には江戸表郡奉行に知行200石 高崎城内に屋敷を拝領するなど
次々ととりたてられた。
茶屋庭
若宮八幡宮
日露戦争 乃木希典 将軍も訪れている
最終日 ゴール
12月 街道歩き 終了です。 次回 1月13日 14日 15日です