中山道  踏破 (31) 松井田宿~安中宿~板鼻宿 その1 | 古城 めぐり

古城 めぐり

戦国時代を生きた人々の城を訪ねます

中山道踏破 31回目です

 

今年最後の街道歩き行ってきました。 12月となり今年もたくさん歩きました。

調べると一月 8 日 木曽の上松町 小野の滝がスタートでした。

 萩原の一里塚 73里目から 本日の藤塚の一里塚 28里目 まで 45里 180キロメートル

踏破したことになりました。 あと28里 112キロになりました。なんか長いような、短いような  

 和田峠、碓氷峠が思い出されます

 

歩いた日  令和元年 12月 2日 雨 曇り 、3日、4日 快晴 

場所     群馬県 安中市 松井田町 ほか

歩行距離  一日目 約 4キロ

        二日目 約 15キロ

        三日目 約 7キロ   計 26キロメートル

 

最初は ランチ 有名な おぎのや さんの釜めし御飯 です

赤穂浪士 47 義士石像

この地方出身の 赤穂義士 片岡源五右衛門に仕えた 忠義の子分 元助は義士の冥福を

祈り 後世に47義士を伝えるため 石像を彫りここに残し祀った

 

中山道 遅い スタートです   12月2日 14時40分

補蛇寺

松井田城主 大道寺政繁の墓がある。秀吉小田原攻めの時前田利家の攻撃にあい落城

後に自刃した。加賀前田家が参勤交代で門前を通ると悔し汗をかいたと言われた。

大道寺政繁の墓

繭 生糸商家 

 

安中市松井田 商工会

松井田八幡宮

一日目 終了です

 

五料茶屋本陣

小休止に碓氷峠を控えおおいに賑わった。参勤交代に中山道を通行する各大名が利用した

上段の間

大名は駕籠から降りるとこの部屋に入った

当時の者が掲示してあります

 

五料から見える妙義山

松井田宿 

安政遠足の図

貯水塔に描かれた武士による長距離走の様子

新島襄 旧宅

天保14年1843年 安中藩士の長男として生まれる。21歳でアメリカへキリスト教徒となり

明治八年 帰国。一時家族と再会、教育と布教に務め京都に同志社英学校を設立

教育家、宗教家としての情熱は湯浅次郎、徳富蘇峰、柏j木義円など受け継がれた

県下初の 安中教会

新島襄 昇天 三十周年記念の建築

安中の杉並木

龍昌寺

参道に百八の梵鐘  これを一つひとつ開運こずちでたたく。

 

二日目最後は 安中城主が遠足 長距離走を覗いた大石がありました。 碓氷峠の頂上が

見えます。

一日目、二日目終了