中山道踏破 (30-1) 軽井沢~碓氷峠~坂本宿 | 古城 めぐり

古城 めぐり

戦国時代を生きた人々の城を訪ねます

中山道踏破30回目です

                その 1

 歩いた日  令和元年 11月19日 20日  快晴

 場所     長野県 軽井沢町

         群馬県 松井田町横川

 歩行距離  一日目 6キロメートル

         二日目 10キロメートル

          計   16キロメートル

前回は軽井沢銀座ロータリーが最後でした。今日そこから出発すると真っ暗の碓氷峠

に入り込んで出てこれなくなってしまう恐れがあるため 今日はその出口がスタートで

坂本宿から松井田宿をめざして16時30分頃まで歩きます。

最初は中山道を少し外れて明治の時代に作った土木芸術品 碓氷第三橋梁 通称めがね橋

を見学に行きます。

明治25年12月竣工 煉瓦造りアーチ橋 87,7 m

高崎 横川間は明治18年10月開業、軽井沢、新潟 直江津間は明治21年開業

しているが 横川、軽井沢間は碓氷峠をはさんで急こう配で難航を極めた。

そこでドイツの山岳鉄道で採用されているアプト式鉄道をドイツの設計に依頼した。

1000 / 66.7 と 日本でもっとも急こう配の鉄道でレールの間に歯車でかみ

ながら 登っていく列車でした。横川、軽井沢間 11.2キロメートル 26本のトンネル

とめがね橋のような高架橋を走る明治の時代に作ったのに感動しました

トンネルの内部 ここにもなんと煉瓦で作られていました

碓氷峠 出口より スタートです

坂本八幡宮

碓氷峠の鎮守 の分霊を勧進したもの

坂本宿 京口です

元旅籠 かぎや

坂本宿の面影をのこす代表的な建物  370年前ここの先祖は高崎藩納戸役鍵番をしていた

酒屋脇本陣

現在は公民館

佐藤本陣

当時は碓氷峠を控え非常に賑わった。本陣も 上、下 二軒あった

坂本宿 江戸口

安政遠足

安政二年1855年安中藩主板倉勝昭が藩士の鍛錬のため遠足 とをあし 長距離走を行った

これにちなんで五月安中から碓氷峠熊野神社まで七里半の遠足が行われている

正面の小高い山の丸く穴が開いているのが 微かに見えます 穴は実際に丸く開いています

これを昔の人は大男がおおきな矢でもって開けた という不思議な話が残っています

その大男が足で踏ん張って開けた跡と言われている

夜泣き地蔵、茶釜石

馬方が左右の荷物のバランスを取るため地蔵のくびを取ってしまった。深谷で用が済むと

捨ててしまった。夜ごと五料恋しきと泣き憐れんだ深谷の人が五料に届けた。

茶釜石はたたくと茶釜のような金属音がした。

戻された お地蔵さんのくび

本日の終点 五料茶屋本陣です

次回

12月2,3,4日 街道歩きです