中山道 踏破 (30)軽井沢~碓氷峠~坂本宿 | 古城 めぐり

古城 めぐり

戦国時代を生きた人々の城を訪ねます

中山道踏破 30回目です

 いよいよ今回から長野県を越え  上州 群馬県にはいります

 滋賀県草津を平成29年11月にはじめ 早2年が経ちました。

 あと5回で日本橋です。 

 今回は最大の難所 碓氷峠を越えます。 木曽のかけはし、太田の渡し、碓氷峠がなくばよい

 と江戸時代の人々から言われた 碓氷峠になりました。

 のぼり 3.5キロ 下り 6,5キロメートル 標高差江戸口で約900メートルです

群馬の岩山  

岩が欠けやすく滑落事故がおおい

二日目 旧軽井沢 ロータリー

一日目活動時間がなく先に群馬を歩いたためです

おしゃれな街 旧軽井沢

中山道沿いの町並み

往時からの茶屋

明治以降は旅館となり芥川龍之介、堀辰雄など多くの文人が宿泊した

カナダ生まれの英国人 ショー氏胸像、礼拝堂

明治時代軽井沢を避暑地として広めた

別荘の原型

朝立ちの旅人が飯盛女に送られここで東西に分かれた、二手橋

いよいよ碓氷峠登坂が始まります

碓氷峠 頂上までここから2.9キロメートルです

始めは素晴らしい街道です。

だんだん険しくなってきました。 最後は2名ダウンしました。

頂上見晴台に着きました   標高 1,188メートル 

頂上からの景色

手前の山は ハナレ山、和宮にはコマチヤマと命名しました

頂上は県境が走ってます

本日の昼食ランチをいただきました。

クルミをまぶした力持ちです、あとお蕎麦がでました

頂上の熊野神社  県境にある

新宮は上州側、本宮は信州側に建っている。

御神木は樹齢800年

12時10分 碓氷峠を下ります

 

いきなり 沢がありました

人馬施工所 跡

江戸呉服町の豪商かせや与兵衛が金千両を幕府に寄付し運用益の100両を二分し和田峠

とここ碓氷峠に施工所を設け11月から3月まで旅人に粥と焚火、牛馬には桶一杯の煮麦を施した

貴重な遺物の保存が残念です

サムライ マラソン発祥の道   和宮降嫁の時作った。現在も安中市によって毎年行われている

 登るのも大変なのに走って頂上まで 元気な人がいる

誰が作ったか ツリーハウスの後

山中坂

陣場が原まで坂道がつずき飯食い坂と言われた。腹が減っては登れない 山中茶屋で腹ごしらえ

つかの間の歩きやすいところです

紅葉が素晴らしい所にでました

足元からは一時も目を離せません

進行方向左は崖っぷちがつずきます

碓氷峠は幾たびか合戦がありました。 堀が各所見られます

弘法の井戸

湧き水が今も沸いています

風穴

溶岩の割れ目から水蒸気が噴き出ている

馬頭観音

江戸時代の人々が街道を守るため築いた石垣

歩くのが大変なところ  右は 何十メートルも崖になっている

もう少しです

川が見え 国道にでました  長いながい 碓氷峠踏破がおわりました。 15時40分終了 

その2  終わり