二日目 本日は 笠取峠 越えです
中山道 街道歩きでもうすぐ二年を迎えます。少しも歩かなかったときから こんなに約300キロ踏破
しました。 体もウオーキング様になれた気がします。5キロ、10キロ歩くのはあまり抵抗がなくなりました。
でも坂道 峠越えは力が入ります。 前回の和田峠越えを経験したとは言え今回も少し心配です。
何が心配かと言えば集団で自分のペースでなく遅れることなくかなり早いペースで登ることです
もっとゆっくり行ってとお願いするが・・・・ これも体力向上の訓練と思えばいいのか
今までの峠越え
滋賀県 摺針峠 岐阜県 うとう峠 十石峠 十三峠 馬籠峠 長野県 鳥居峠 塩尻峠 和田峠
本日の行程 水明の里出発 長久保宿 笠取峠 松並木 ゴール
歩行距離 本日分 6キロメートル
今回の宿泊ホテル です
二日目のスタート地点
前方の山が笠取峠 麓が長久保宿です
賽の河原
三途の川を渡るには石を10段に積み上げ鬼の許可を得ないと渡れません。鬼はわざと意地悪を
して倒してしまいます。幼くして亡くなった我が子を思いここで人々は石を積み無事渡れるよう
お祈りした。 今日も石が積み上げられています
安藤広重 木曽街道六十九次 長久保宿 風景画を描いたとされる地点です
広重は満月と依田川 依田橋を遠景に手前は和田宿に戻る帰り馬、犬と童 石置き屋根の家を描いている
長久保宿が見えてきました 国道と並走は神経を使います
旧旅籠 辰野屋
出桁造り総二階建て 母屋は江戸時代末期の建築
ずいずいずっころばし ごまみそずい ちゃつぼに追われれて とっぴんしゃん 抜けたらどんどこしょ
わらべ歌にうたわれた とっぴんしゃんの 戸が中央にみえます
枡形 直角に街道が折れている 角は旅籠 濱田屋 現在も営業しています
釜鳴屋 竹内家
母屋の端部には本うだつがみられる 江戸初期より酒造業を営み宿場の役職をつとめる。建築年代は
享保16年1731年の祈祷札がありそれ以前の建築と思われます。県内でも最も古い建物と言われている
本陣 石合家
真田家の家老を代々務めた石合家が本陣と問屋 名主を兼ねた
真田信繁 (幸村)の娘 おすえが嫁いだ。1749年作成された絵図と現在間取りが同じで
中山道本陣建築遺構のなかでもっとも古いとされている
歴史民俗資料館 濱屋
当時の旅人が使用していた
吾一庵
江戸末期から明治初期の農家建築が残っている 大八車の消火器です ポンプ式
松尾神社
祭神は大山昨命 京都嵐山と同じ 酒造守護の神
笠取峠への入口 始まりました
先日同コースにて マムシが出て女性にとびかかったとのこと慎重に足元見てのぼります
枝垂桜
推定樹齢 150年 長和町指定保存樹木
当時の立場茶屋跡を描いたレリーフ 峠の様子がわかります
笠取峠 松並木に来ました
天然記念物 笠取峠の松並木 慶長7年 1602年徳川幕府が小諸藩に赤松苗木 753本を
下付し芦田宿外れから頂上まで約2キロメートル風よけ、日よけに植えさせた
本日のランチ とんかつ定食
お昼の最後 お風呂もいただき 最良の一日でした。
おわり
次回 街道歩き 9月25日 26日 芦田宿 望月宿 です