中山道 (27) 和田宿~長久保宿~笠取峠 その 1 | 古城 めぐり

古城 めぐり

戦国時代を生きた人々の城を訪ねます

中山道踏破 27回目 です  その 1

 

一年で一番暑い7月の街道歩き ( 8月は休み ) 行ってきました。

今回は前回の和田峠を下った観音橋をスタートします。 から風が吹いて笠が飛ぶ笠取峠

 標高 887m まで標高差およそ200m登ります。

保存状態がよく 整備されている 和田宿、長久保宿 当時も峠を控えおおいに賑わった宿場町と

知られており楽しみに行ってきました。

 

    歩いた日  令和元年 7月24日 ~ 25日  曇り 時々晴れ 

    場所     長野県 小県群 長和町

    歩行距離   19 キロメートル

 

笠取峠の松並木

本日のスタート

和田峠 出口 より出発です 時刻 12時半

本日の昼食  鉄火丼です

佐田川

和田峠付近に源を発した佐田川は上田で千曲川に合流する。清流でヤマメ、ニジマス、イワナな

生息している  今すぐにも川にはいりたくなる。

唐沢の一里塚

1831年以前の街道付け替えにより取り残されたもの。両塚が残されている

一里塚はよく根の張る エノキが選ばれている

山の中は気持ちよく歩けます

国道は一気に暑くなります。でも名古屋とは随分と違います 7月ここで助かります

この町のバス停は茅葺屋根の停留所です。 雰囲気がよいですね 、だれの発想かな

牛宿跡

この付近に二軒の茶屋があった。うち一軒は 塩つけ宿と呼ばれて牛馬宿で信州の特産品を上州

まで運び帰路は貴重な塩を持ち帰った。 バス停が牛宿になっている

梅花藻

滋賀の醒井宿で見た梅花藻の花が咲いています。水が豊富できれいなんだ

和田宿にはいりました

屋号を万屋とよぶ。江戸時代は両替商、質屋を営む  両側に 火かえし壁、うだつを持つ建物

今はよろずやの屋号で酒店を営む ここでしか売らない酒を買いました

旅館 なが井

何件もの中でひときは目につく出格子造りのたてもの。中山道和田宿 旅人御宿本の看板

以前は人気の旅籠今は休んでいいる。再出発の計画中

米屋鉄五郎

上の問屋を勤めた。今は和田宿 休憩所

脇本陣

二件あった脇本陣のひとつ。歴代賽川家が務めた。上段の間や和宮の草履を残している

国史跡 和田宿本陣

文久元年1861年三月 和田宿は大半を火災に遭い失った。11月には皇女和宮を泊めることが決まっていた

一旦は幕府に伺いを立てたが聞き入られず幕府から大変な借金をして復興した。

その時和宮が入った門がこの門です。

一時解体の運命にあったが和田宿における貴重な遺産として認められ昭和61年より五年の歳月を

経て往時の姿に復元された

波田野 蕎麦屋徳田

大火災後復元された平入出桁門付旅籠の伝統的な遺構です。羽田家の役宅です。門、鬼瓦の六文銭は

真田氏の給人であった証か。

山木屋  大黒屋

宿場で力のあった問屋場山木屋です。ここも出桁造り格子がついています

かわちや 歴史資料館

当時の高級旅籠 和宮宿泊時は随行の岩倉具視が泊まった

宿場の中央に追川が流れ宿場の雰囲気を出している

和田宿東の入口 京口終点

三千僧 接待碑

諸国遍歴一千僧の接待を発願して健碑したが三千僧となり一に二を加え三千僧とした

一日目終了

 明日は8時半出発です