昨日の病院 | 心の羽

心の羽

2014年12月に漿液性卵巣がんⅢCの診断。2015年5月に手術。術前術後にddTCを4クールずつ受け、2015年9月に終了。8ヶ月の経過観察を経て、2016年5月脳に腫瘍、10月縦隔リンパ節と肝臓に転移。10月~2017.3 DC+アバスチン。現在はアバスチンのみ3週毎の投与中。

こんにちは。

昨日は病院デイでした。

 

まず、婦人科で金曜に取ったCTの結果。

「肺の入り口のリンパ節が少し腫れてるの。肝臓の囊胞は前と変りません。縦隔リンパ節は特にレポートがないわね。まずは脳が先ね。」

 

昨日脳外科の先生とお話をしてくれたらしく、「髄液の検査は擬陽性だって。今日この後もう一回髄液を取って、病理に出そうか、って話になっています。次の診察は、今は予約がいっぱいで入らないから、こちらから電話をしますね。」と主治医。

とにかく脳の治療が決まらないと、婦人科は動けない。

 

この日、主治医に治験の相談をしたくて事前に調べた。

九州では久留米大病院で二ボルマブの治験をやっていて、そちらに相談をしたら「脳の治療がある人は受付できない。」と言われ、沈没。

 

次にしてみたい相談は、大阪のカテーテル治療。

このお話をすると、主治医は初めて聞いた事らしく、「聞く限りではそういうの、効果があるとはとても思えない。言ってるように、今の大事な時間をそういうことに使うのではなくて・・・」と言われる。

私は「先生の言われること、よく分かってます。だから自分でもいろいろ考えたんです。でも、目が見えにくい。ふらつく。運転もできない。この状態で私がしたい事はなかなかできない。話だけでも聞きに行きたいから、お願いですから紹介状を書いてください。」と拝み倒したら、書いてくださることにはなりましたが、頭冷やしてよく考えたら、今は動けないな~。脳が終わってからの話だな~。

先生、ごめんなさい。

 

次は、緩和。

症状を聞き、画像を見て、「今は脳ですね。体の方はまだちっちゃい。これが悪さをするにはまだ時間があるから。この後脳外科?そこで詳しく話をしてね。」と。他は緩和病棟の入り方とか、出方とか。

 

私の胸のうちを洗いざらいお話しよう!とか思っていたのに、そんな話もなくさらりと終わりました。

末期のための科、ではなくて(でもあるのですが)治療をスムーズに進めるための科でもありました。

 

次は脳外科。

ま~た髄液取るのか。嫌だなぁ。と思いながら診察室に入りましたが。

「この前の検査ね、擬陽性だったんですよ。で、今日また髄液を取って検査にだそうか、って婦人科の先生と話してたんだけど、また痛い思いさせるのかわいそうだし、こんなに近い日にちで取ってもそう変らないのでは?と思うんだよね。」

「放射線科の先生は、もう症状が出てるから放射線(全脳照射)を始めてしまっては?と言われるけど、どうしましょうか?」

 

私の髄液の検査は、5段階の3だそうで・・・

はっきりと陽性なら進んで行くけど、もし陰性だったら・・・の思いが頭に浮かぶ。

決心がつかない。

全脳照射のリスクは、高齢の人には認知症の症状がでやすい。

どこからが高齢で、どこからが症状が出やすいのかよく分からないが、主治医は「すぐには出ないけど、半年くらいから徐々に出たりする・・・」と言う。

 

家族は「そうなっても生きてて欲しい。」と言うけど、家族に迷惑をかけるのが死ぬほどつらい。

自分が自分でなくなるのがとても怖い。

 

決めきらない私に、先生が放射線科の予約を入れてくれた。

「放射線の先生と話をして、詳しく聞いてみてね。僕が話すよりもいろいろ聞けると思うから。」

脳外科の治療は、31日に再度MRIを撮り、画像に見えたら放射線にGO。

その時に顔の症状がよくなってなければ、見えなくても多分GOだろうな。

 

冷たいな、と思っていた婦人科の主治医、昨日は一生懸命説明をしてくれて、ありがたかった。

主人も娘も「あの先生、感じが変ったね。」と言う。

脳外科の主治医は、最初からとても優しい。

その二人に緩和と放射線科の先生が加わり、4人もの先生が私に関わってくれている。

ありがたくない事態だけど、とてもありがたい。

こうなったらもう、頼るしかない。

一つ一つ治療をクリアして、なんとか年を越すんだ!

 

そうそう、こちらの脳外科の主治医。

放射線後の髄注治療も視野に入れてくれてました。

先生がしてくれるんだって。

「ただこれはね、たまに効く人がいるんだけど、データとしてはあんまり効果がないんですよ。」とは言ってましたが。

効く人がいるのなら、やりますわ、私。多分。

 

今日も長々とごめんなさい。