金沢は雨のち曇り。
ちょっと肌寒い日曜です。


車で通りがかったケーキ屋さんの前に、派手な仮装した人が立っていました。
一瞬、わからずにガン見しちゃったけど、そうだハロウィンだったよね(笑)
あとで聞いたら、お客さまも子供に仮装させて来店するらしい。
そういうの楽しくてイイな。

ハロウィンですね
(行きつけの美容院でもハロウィン仕様でお菓子を頂きました。
大人になってもなにげに楽しい。)


10月中旬からようやく準備を始めた家の引っ越し。
何とか無事に新居に落ち着きました。


ベランダで

仕事で時間がない中、たった一人の荷作りも大変だったのですが、
さらに気を使ったのが3匹の猫たちの移動と環境作り。

今回、以前の失敗を踏まえ、臆病で気難しいメスの1匹だけは、
引っ越し1週間前からゲージ飼いをしました。
(2段ある大きめの猫用ゲージです。システムトイレがすっぽり入ります。)
猫トイレや猫ベットの置き場所、環境作りも意外と大変です。

$Mergeひとりごとブログ


あれやこれや、なんとか一つずつクリアして、猫たちも落ち着いてきました。
私も昨日からようやく料理できる環境になり、ホッとしました。


あとは少しづつ片付けていきます。

抱っこしてー
(落ち着いたら次は散歩コースの確認だね、ピース。)




$Mergeひとりごとブログ
金沢は晴れ。

天気が良いと、秋の夜はほんとうに月が美しい。
帰り道は空を見上げて見惚れています。


ヘルパー講座をはじめてそろそろ2年近く。

これまでは、それこそカリキュラムをこなすだけで精いっぱいでした。
これからは講師と共に次の新しい1歩。


短い時間の中ではあるけれど、「知識」だけじゃない何かを、
たくさんの「気付き」を持って卒業して欲しい。
「共感力」「コミニュケーション力」ってどんなことなのか?
そもそも何を磨けばいいのか?

決まられたカリキュラム、時間数の中でもできることはあるはず。
そう思って、悩みながらも自分なりの光を探しています。

夕暮れの散歩

時間がとれない中、実は来週引っ越しです。
まだ家の中はちっとも準備が出来ていません。

できるんかなー?ダイジョウブカーわたし。
いやいや、出来ますとも!頑張ります。

てことで、落ち着いたらまた、ゆっくりUP作業致しますね。

金沢は雨。
朝晩冷え込んで、すっかり肌寒くなってきました。


朝、玄関を出ると庭の金木犀の香りがしました。
秋は少しづつ深まっています。

今年もあと3カ月を切りましたね。

陶庵にて


ヘルパー講座の新しい講師も何人か決まり、
また新たなスタートです。
カリキュラムも講師達と相談してより良いものに変えて行きたい。


やってみたいことはまだまだたくさんあります。
でも出来る事は意外と少ない。

ゴールはまだ遠くにあって、最短で行けるバイパスなどはなく、
効果も目に見えない、それでも
こつこつと回り道しながらの道のりが続きます。




道程    (高村光太郎)

僕の前に道はない        
僕の後ろに道は出来る      
ああ、自然よ 父よ              
僕を一人立ちにさせた廣大な父よ 
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の氣魄を僕に充たせよ   
この遠い道程のため       
この遠い道程のため       
(処女詩集『道程』から)


高村光太郎のこの有名な「詩」、実は原形があります。


道程(原形)

どこかに通じてゐる大道を僕は歩いてゐるのぢやない
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
道は僕のふみしだいて来た足あとだ
だから
道の最端にいつでも僕は立つてゐる
何という曲がりくねり
迷ひまよつた道だらう
自堕落に消え滅びかけたあの道
絶望に閉ぢ込められたあの道
幼い苦悩にもみつぶされたあの道
ふり返つてみると
自分の道は戦慄に値ひする
四離滅裂な
又むざんな此の光景を見て
誰がこれを
生命の道と信ずるだらう
それだのに
やつぱり此が生命に導く道だつた
そして僕は此処まで来てしまつた
此のさんたんたる自分の道を見て
僕は自然の廣大ないつくしみに涙を流すのだ
あのやくざに見えた道の中から
生命の意味をはつきり見せてくれたのは自然だ
僕を引き廻しては眼をはぢき
もう此処と思ふところで
さめよ、さめよと叫んだのは自然だ
これこそ厳格な父の愛だ
子供になり切つたありがたさを僕はしみじみと思つた
どんな時にも自然の手を離さなかつた僕は
たうとう自分をつかまへたのだ
恰度その時事態は一変した
俄かに眼前にあるものは光りを放射し
空も地面も沸く様に動き出した
そのまに
自然は微笑をのこして僕の手から
永遠の地平線へ姿をかくした
そして其の氣魄が宇宙に充ちみちた
驚いてゐる僕の魂は
いきなり「歩け」といふ声につらぬかれた
僕は武者ぶるひをした
僕は子供の使命を全身に感じた
子供の使命!
僕の肩は重くなった
そして僕はもうたよる手が無くなつた
無意識にたよってゐた手が無くなつた
ただ此の宇宙に充ちみちてゐる父を信じて
自分の全身をなげうつのだ
僕ははじめ一歩も歩けない事を経験した
かなり長い間
冷たい油の汗を流しながら
一つのところに立ちつくして居た
僕は心を集めて父の胸にふれた
すると
僕の足はひとりでに動き出した
不思議に僕は或る自憑の境を得た
僕はどう行かうとも思はない
どの道をとらうとも思はない
僕の前には廣漠とした岩畳な一面の風景がひろがつてゐる
その間に花が咲き水が流れてゐる
石があり絶壁がある
それがみないきいきとしてゐる
僕はただあの不思議な自憑の督促のまま歩いてゆく
しかし四方は氣味の悪い程静かだ
恐ろしい世界の果へ行つてしまふのかと思ふ時もある
寂しさはつんぼのやうに苦しいものだ
僕は其の時又父にいのる
父は其の風景の間に僅しながら勇ましく同じ方へ歩いてゆく人間を僕に見せてくれる
同属を喜ぶ人間の性に僕はふるへ立つ
声をあげて祝福を伝へる
そしてあの永遠の地平線を前にして胸のすく程深い呼吸をするのだ
僕の眼が開けるに従って
四方の風景は其の部分を明らかに僕に示す
生育のいい草の陰に小さい人間のうぢやうぢや匍いまわつて居るのも見える
彼等も僕も
大きな人類といふものの一部分だ
しかし人間は無駄なものを棄て腐らしても惜しまない
人間は鮭の卵だ
千万人の中で百人も残れば
人類は永久に絶えやしない
棄て腐らすのを見越して
自然は人類の為め人間を沢山つくるのだ
腐るものは腐れ
自然に背いたものはみな腐る
僕は今のところ彼等にかまつてゐられない
もっと此の風景に育まれて
自分を自分らしく伸ばさねばならぬ
子供は父のいつくしみに報いたい氣を燃やしてゐるのだ
ああ
人類の道程は遠い
そして其の大道はない
自然は子供達が全身の力で拓いて行かねばならないのだ
歩け、歩け
どんなものが出て来ても乗り越して歩け
この光り輝やく風景の中に踏み込んでゆけ
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ父よ
僕を一人立ちにさせた父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の氣魄を僕に充たせよ
この遠い道程の為め
(「美の廃墟」に発表)



あまりに長い、
でも読んでいるとき言いようもない気持がして涙が出ました。

上の短い「道程」になるまでにはここまでの想いがあるのです。
そう思うと、私のやっている事など無駄でもなんでもなくて、
むしろまだ何もやっていないほどで、
また頑張ろう!と勇気を奮い立たせることができるのです。


金沢は終日雨、室内にいると少し蒸し暑い。
あっという間に9月も最終日、明日からは10月です。



ピースの散歩


今朝、参加したセミナーで

「啐啄同時」(そったくどうじ)という禅語を教わりました。
そのまま訳すと鶏の卵の話で、卵から雛がかえる際、
中から雛がこつこつと殻を叩くことを、すなわち「啐」。
親鳥が外から殻を叩くことを、すなわち「啄」というのだそうです。

鳥の卵というのは、殻を破る時機を誤ると雛鳥は生まれない、
あまり早く破れば中は水のみ、遅すぎると腐ってしまう。
「啐」と「啄」が同時に成されることによって、
まさしく絶好の機となる、すなわち、
物事において絶好の機会のことを啐啄同時というのだそうです。

$Mergeひとりごとブログ

人間関係においても、相互の啐啄が時間的に間髪入れずに合うならば、
うまくいくでしょう。ですがその「機」というものは、おのずと訪れるものであって、
つくろうとしてもつくれるものでもありません。

機とは熟するもので、この機が熟した時こそ、
啐の時であり、啄の時なのでしょう。

親と子も、そして世の中の人間関係においても、
人と人との関係が疎外されている現代社会においては、
この「啐啄同時」、とても意味深い言葉ですね。

$Mergeひとりごとブログ

調べているうち、面白い話もありました。
武田信玄が家康に、表に「啐啄」と大きく書いてあるが、
特別重大な中身のない暗号のような書状を送り、
信玄が今川を討つにあたって、家康を共闘するに足る人物なのかを試したと。

電話もメールも会う事さえもままならない時代、他の者に知られず、
暗号のような手紙で正しく相手の器量を推し量ろうとする武将とは、
なんともスゴイ。歴史には学ぶことがたくさんありますね。




実はおととい、プライベートな女子会をしていたのですが、
私にとってはこちらのメンバーも、戦国に負けず劣らず男社会で戦う
スゴイ器量も気風もある「つわものぞろい」

めったに揃わないけれど彼女達には「啐啄」の呼吸あり。

女子会4人組
(4人組、もう一人は訳あって姿出せない、、、笑)



私は本当に友に恵まれているとつくづく感じた夜でした。