(ひとしずく・52‐V.艱難期の始まり 第3部A)‐未完成の仕事‐ | sarah‐mercy

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艱難期の始まり 第3部A パート 52

 

V.二人の証人と144,000人の働き。(ヨハネの黙示録11:1-14)                                                                               ロバート・Ⅾ・ルギンビル博士著より

 

7.未完成の仕事

もう一つ、この二人の偉大な信仰者に共通する重要な要素は、

彼らの働きが途中で終了してしまったことです。

モーセは約束の地に入らず、イスラエルの民をカナンに定住させるのは

ヨシュアに委ねられました。

 

エリヤはリバイバル(信仰復興)と奇跡的な証しの働きを完了せず、

エリシャがその働きを引き継ぎました。

両者とも、特別に奉仕した聴衆から大きな霊的反応を得られず、

主への壮大な奉仕における一瞬の過ちによって、

事実上、神によって「交代」させられました。

(その行動の動機の多くは、この人々の無反応な態度に対するものでした)[1]

 

モーセは頑固な部下から浴びせられた侮辱に怒り、

カデシ(すなわちメリバ)で神の指示に背いてしまいました。

民数記20章1-13節詩篇95篇8節

エリヤはカルメル山での奇跡の後、民衆が覆すことをしなかった異教の政府から

命を狙われて恐れ、一時的に任務を放棄し、砂漠に退きました。

列王記上19章1-4節

どちらの場合も、一時的に自分の性格に反する行動をとっています。

(普段は最も謙虚なモーセ民数記12章3節参照)が傲慢な怒りで反応し、

 普段は勇気のあるエリヤ列王記上18章8-19節参照)が自己憐憫と恐れで反応したのです)

 

しかし、彼らの失敗の結果としてこれらの偉大なミニストリーが中断されたことは、

聖書の重要な原則を示しています:

多く与えられた者からは、多くを期待されるのです。ルカ12章48節

おそらく、世界の歴史の中で、この二人のような霊性に到達した信者はほんの一握りで、

彼らが享受したような大きな働きを任された者はさらに少ないでしょう。

 

このような大きな特権には、大きな責任が伴います。

聖書は、二人の使命が早々に中断されてしまったことを明確に記しています。

民数記20章12節;申命記1章37節,3章23-26節32章48-52節

列王記上19章15-18節列王記下2章9-10節詩篇106篇32-33節

 

イエス・キリストのために献身している人であっても、

予期せぬ事態に不適切に反応すると、抑えきれない恐れ怒りが生じます。

(その結果、クリスチャンらしくない、自己破壊的な行動や言動が引き起こされます)

 

恐れと怒りのどちらから罪に陥ったとしても、両方の感情が抑制されない場合、

神のなさることに対する信仰の欠如を示唆しています。

恐怖にかられると、私たちが突然の危険に陥ったとき、

神は守ってくださらないと(誤って)思い込ませられ、

(エリヤの場合、彼は普段から並外れた熱意ある人でした:列王記上19章10節

怒りに駆られると、私たちが並外れた罵倒を受けても神は擁護して下さらないと(誤って)

思い込ませられます。

(モーセの場合、彼は普段は並外れて謙遜な人でした:民数記12章3節) 

 

モーセとエリヤの帰還において、

私たちは再び神の素晴らしい恵みが働いているのを見ることができます。

この二人には、いわば「セカンド・チャンス」が与えられているのです。

(ただし、この新しいチャンスがなくても、彼らがすでに得ている報酬は、

 比べるまでもなく、ほとんど誰も上回ることはないでしょう)

こう見ると、二人の証人の<立っている>姿勢の意味がわかってきます。

列王記上18章15節<欽定訳では、「立って」という言葉が入っています>

ルカ23章33節;ヨハネ19章18節;出エジプト33章21節;列王記上19章11節を参照)

 

オリーブの木、燭台、柱と同様に、座しているのではなく、立っているのです。

ちょうど、小羊が父の手から巻物を受け取るために立ち上がり、

栄光の帰還で終わる艱難期を始める時のように、(黙示録5章6節;詩篇110篇1節参照)、

 

上記の引用と例えにおけるモーセとエリヤの立っている姿勢は、

彼らの仕事がまだ終わっていないことを示しています[2]

彼らはもう一度地上に戻って、主に仕えた信者の歴史上最も華々しい二つの業績に、

冠石を据えることになります。 

 

モーセとエリヤの四十二ヶ月の宣教の間の主な任務は、主に上記に要約され、

このシリーズの前回で取り上げられています。

彼らは、以下のことをします。 

 

    1) 神殿の再建を実現する。(上記参照) 

 

    2) 神殿の礼拝を復興する。(上記参照) 

 

    3) 14万4千人の働きを指導する。(本シリーズの第二部Bを参照) 

 

    4) ラッパの裁きの災い、および他の多くの限定された範囲の災害の地上での指揮に携わる。(下記参照) 

 

14万4千人の指導に関して、モーセとエリヤがその名声によって、

その務めが容易になることをここで述べておく必要があります。

モーセとエリヤは、その時に神が地上にもたらされる災いに対する

世界の怒りの「避雷針<受け皿的存在>となることによって、

その激怒した世界の注意を72,000組の証人からそらします。[3]

 

この二人が標的となるので黙示録11章7-10節)、

モーセとエリヤが最後に天に呼び戻されるまで黙示録14章1-5節)、

世界の怒りは14万4千人に迫ることがないのです。

彼らの奉仕の期間、彼らもまた世の光である神に代わってイスラエルの光を再点灯させ、

暗くなり続ける世界、特に自分たちの同胞に対して光の道しるべになります。

イザヤ42章6節,49章6節と ヨハネ8章12節,9章5節,11章9節を参照) 

 

ここで強調すべきモーセとエリヤの最初の働きの最後の類似点は、

彼ら自身の主への並外れた献身と、それぞれの働きの例外的な性質にもかかわらず、

両者とも奉仕した人々から良い応答を受けることがなかったという、上記の指摘です。

モーセの場合は、イスラエルの全会衆の中でヨシュアとカレブだけが信仰を証明し、

民数記26章65節参照)

エリヤの場合も、リバイバルはせいぜい限定的で、民衆全体に浸透した形跡はありません。

(カルメル山での出来事の後にもアハブとイゼベルの政権が終焉しなかった事実を参照:

 列王記上19章1-3節

さらに、二人の失敗は、この人々が彼らに応じることをしなかったことの直接の結果でした。民数記20章10-11節列王記上19章10節を参照)

 

ですから、この二人の偉大な信仰者が、

彼らの働きと彼らの仲間である14万4千人の働きによって、

イスラエルの大部分がイエス・キリストに立ち返り、

ついに彼らの宣教の努力に対する大きな肯定的反応を経験することが許されるのは、

主の憐みと恵みと誠実さの証しなのです。 

 


[1] ちなみに、二人ともキリストのような人物に「継がれる」ことになります。

(ちょうどメシアが再臨する時にそうするように)

 モーセを引き継ぐヨシュアがイスラエルの民をその地に導き、

 エリヤは、彼以上の奇跡を行うことになるエリシャによって引き継がれます。

(私たちの主が初降臨の時に成し遂げられた奇跡を思い出させます)

 さらに、ヨシュアとエリシャという名前は非常に近く、

 それぞれ「主は救われる」、「わが神は救いである」という意味で、

 へブル語の「ヨシュア」という名前はギリシャ語の「イエス」に相当します。 

[2] 「来たる艱難期」第二部B:「艱難期への天の前奏曲」II「小羊と巻物」参照。 

[3] 洗礼者ヨハネがヘロデによって処刑されるまで、

 主の宣教のために及ぼした同様の効果と比較してください:

 「サタンの反乱」第5部:「裁き、回復、置き換え」、II.9.3「キリストの十字架刑」参照。 

 

--パート53に続く下差し

 

 

 

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(備忘録)

昨日は朝8時過ぎに家を出て、帰って来たのが午後3時になりました

予約していても、やはり病院は混み合いますね

雨はそれほどでもなかったので助かりました

 

再び血液検査(7本)、尿検査、CT、心電図、レントゲン、

そして、抜糸が済んでから、検査結果を聞きました

『頭部基底細胞癌』という事です

手術予定は8月1日、前日に入院して経過次第で一週間ほどだそうです

来週17日に超音波検査をした後で、

執刀医と麻酔科の先生からの説明を聞きに行きます

手術は、人口真皮植皮、又は、皮弁(縫い合わせる)もののどちらかという事ですが

人口真皮植皮の場合は2度の手術を受けなければならないので

出きれば皮弁でとお願いしましたが、

切除してみないと分からないこともあるという事です

 

担当の女医さんが9月1日出産予定日なので明日から産休に入られるそうで

最後にお会いできて良かったと言って下さいました

私も、無事に出産しますようにとお祈りしました

 

血液検査の時に、採血している間に腕を見たくないので

パーテーションを見ると、子犬と仔猫が寄り添っている寝顔の写真が・・・

「これ、癒されます」と言うと

「少しの間でも、そう言って下さると嬉しいです」と笑顔で・・・

終わると「よく頑張りましたね、帰ったら好きな物を食べて下さいね」

と、声をかけて下さいました

緊張が一瞬でほぐれます

 

6月19日の誕生日に病院に行ってから、約一か月近く

得体の知れないもやもやから解放された気分音符

 

 

 

そして主は言われた、

「見よ、わたしのかたわらに一つの所がある。

あなたは岩の上に立ちなさい。
わたしの栄光がそこを通り過ぎるとき、

わたしはあなたを岩の裂け目に入れて、

わたしが通り過ぎるまで、

手であなたをおおうであろう。

(出エジプト33:21-22)

 

感謝します

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スイカも、ステーキも、オニオンサラダも、とろたく巻も、ホタテのお刺身も、

美味しかったよ飛び出すハート

ありがとう~ハート

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日もありがとう~ラブラブ