からの続きです
Ⅲ.裁きのラッパ:(ヨハネの黙示録8章6節-9章21節 )
4.七つの裁きのラッパが信者に及ぼす影響
主イエス・キリストを信じる者として、私たちは聖なる関心を持って、
来たる艱難期の出来事を慎重に見ることは正しいことです。
私たちは恐れず、主がすべての脅威から私たちを解放してくださるという信仰を
堅く持っていますが、それでも、来たる艱難期に関する警告を心に留めることは
完全に正当なことです。
聖書がこれらの将来の出来事について非常に詳しく説明しているのは、
娯楽としてではなく、艱難期が来たときに霊的に準備できるようにするためです。
たとえ、私たちが艱難期を耐え忍ぶことを免れることが神のみこころであったとしても、
これは正当な行動です。
(「キリストの苦しみを共有」する者として、
私たちも必ず個人的に艱難を経験することになります)
私たちが確信できることの一つは、この七つの裁きのラッパに
(と黙示録16章の鉢の裁き)に関することです。
これらの裁きは、まさに不信仰者の世界に対する神よりの罰であり、
特に反キリストとその政権を積極的に支持する人々に対するものだということです。
ですから、これらの七つの災いは、神の民を害するためのものでも、
そのために意図されたものでもありません。
艱難期は、信者が耐え忍ぶべき歴史上最も困難な時期ですが、
ここで検討されている二組の懲罰的な裁きのどちらも原因となるわけではありません。
ちょうど、144,000人が神による印を受けて
黙示録7章1-3節にある四人の天使によってもたらされる災いを免れるように、
これらの裁きは神の民のためのものではないだけでなく、
私たちもその最悪の結果を免れることができると確信してよいのです。
黙示録9章4節では、額に神の印がない者だけが、
アバドン-アポリオンの悪魔の軍勢のサソリのような刺し傷を受けます。
このことから、信者はこの災いに遭わないことがわかります。
前回の144,000人(本シリーズ第2部B)で見たように、
「額にある」神の印は、厳密に言えば、
そのエリート集団に与えられた特別な権威の印のことを指しています。
しかし、その際に指摘しましたが、すべての信者は神の聖霊の証印を受けています。
また、聖書に神の敵が裁かれても、神の民が保護されるという類似した状況での
神の保護が記されています。(第二コリント1章21-22節; エペソ1章13-14節,4章30節)
1) 来たるべき殺戮から守るためエルサレムの正しい人々の額につけられた印
(エゼキエル9章1-6節)、
2) エジプト人の初子をすべて殺す破壊者から守るため信者の戸口につけられた過越の印
(出エジプト12章7-13節)、などが最も印象的で当てはまる例です。
一つ目のエゼキエル書の例に関して言えば、
印をつけられていない者はすべて滅ぼされますが、
印をつけられている者はすべて助命されるということです。
このように神は、その時代の背信を「嘆き悲しむ」者と、
背信に甘んじて加担する者とを峻別されます。
神の友と神の敵との間のこの鋭い区別は、明らかに黙示録9章4節の要点であり、
二つのカテゴリーだけを考えれば、すべての信者は神を拒む者のカテゴリーではなく、
正しい144,000人と関連するカテゴリーに入ることは同様に明らかです。
二つ目の例の、出エジプト記の箇所については、
戸につけられた印の目的が「わたしがエジプトを打つとき、
あなたがたに破壊的な災いが及ばないようにするため」(出エジプト12章13節)
であることが最も興味深いです。
また、同じような印がなかったとしても、
イスラエルの民はその前に起こった9つの災いの悪影響を免れました。
(出エジプト8章22節,9章4-6節, 9章26節, 10章23節参照)
パロと抵抗するエジプト人に対する裁きにおいて、
神は意図的かつ明瞭にエジプト人と神の民を「区別」しています。
(出エジプト8章23節,9章11節,10章6節,11章7節参照)
特に、出エジプトが艱難期の預言的な「予型」であることを考えると
(一方ではパロとその王国、他方では反キリストとその王国が類似していることを
考慮してください)、
黙示録9章4節の「額に神の印を押された者たち」という言及は、
(この特別な印が彼らだけに適用されるとしても)
144,000人だけに限定されるのではなく、
すべての信者に一般的に当てはまると考えるべきです。
同様に、黙示録9章20-21節では、六つの災いによって殺されなかった人々は、
依然として神を恐れぬ行いを悔い改めません。
ここでは、144,000人は言及もされていませんが、
そのために彼らが冒涜的な行いを続ける「残りの人類」のカテゴリーに
入ることにはならないことは明らかです。
このように、黙示録9章20-21節では、世界が中間のない二つの陣営に峻別されています。
(繰り返し指摘してきたように、これは艱難期の主要テーマであり主要目的です)
ですから、黙示録9章4節は、出エジプトの災い、エルサレム陥落のように、
本当に神に属する者は、たとえその時代が例外的に困難であっても、
神の裁きを受けずに済むという安心感を与えるためのものなのです。
私たちは火と水の中を通らなければならないかもしれませんが、(詩篇66篇12節)
神の恵みと神の憐れみによって、神の敵を焼き尽くす正しい裁きを免れることを
確信していることができます。
あなたが水の中を過ぎるとき、わたしはあなたと共におる。
川の中を過ぎるとき、水はあなたの上にあふれることがない。
あなたが火の中を行くとき、焼かれることもなく、
炎もあなたに燃えつくことがない。
(イザヤ43章2節)
さあ、わが民よ、あなたのへやにはいり、
あなたのうしろの戸を閉じて、憤りの過ぎ去るまで
(艱難期が終わるまで)、しばらく隠れよ。
見よ、主はそのおられる所を出て、地に住む者の不義を罰せられる。
地はその上に流された血をあらわして、殺された者を、
もはやおおうことがない。
(イザヤ26章20-21節)
しかし、主に注意深く従っているすべての信者に当てはまることが、
背教に陥っている人々に保証されるとは限りません。
艱難時代は、神の民と悪魔の従者との間に激しい分裂と区別がある時代であり、
中間の領域はほとんどないでしょう。
上記のイザヤ書からの引用の背景には、広範な背教の結果として
大規模な軍事的敗北があることを思い起こすべきです。(歴代誌下28章参照)
七つのラッパの裁きも同様に、邪悪で不従順で背教的な世界に下りますが、
その影響から守られるのは、真の忠実な、主に従う者たちだけです。
前者に陥らず、後者に属すると心に決めている私たちは、
これらの出来事に対する世の反応にも備える必要があります。
この国の最近の出来事で、攻撃や災害が神の裁きと関係があるかもしれないという
すべての示唆が盲目的な(そして神を恐れぬ)憤怒で迎えられたように、
世界がこの七つのラッパの裁きに対してまったく無反応で、
自らの悪と背教について何らの落ち度も見い出そうとしないことが予期されます。
実際、黙示録9章20-21節には、まさにそのように書かれています。
しかし、私たちイエス・キリストに忠実な信者は、これらのことから守られます。
また、同様に重要なこととして、私たちは、
この世界に降りかかろうとしている困難な時代は、
私たちが引き起こしたものではないという完全な確信を持つことができます。
それどころか、これらの裁きも、艱難期のすべての神の裁きも、
実は信者の益となるものであり、(鉢の裁きについては、
真の教会を迫害した不信仰な世に対する具体的な神の懲罰。黙示録16章を参照)
それゆえ、私たちはそれらを前にして喜ぶべきなのです。
(詩篇97篇8節;黙示録16章5-6節;詩篇48篇11節;黙示録8章3-5節,18章6-7節を参照)
ですから、私たち信者は、これらの出来事が主の再臨と
私たちの究極的な解放が近づいているしるしであることを覚え、
その栄光の日まで信仰を堅く強く持ち続けるよう励まし合う必要があります。
また日と月と星とに、しるしが現れるであろう。
そして、地上では、諸国民が悩み、海と大波とのとどろきにおじ惑い、
人々は世界に起ろうとする事を思い、恐怖と不安で気絶するであろう。
もろもろの天体が[強力に]揺り動かされるからである。
そのとき、大いなる力と栄光とをもって、
人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。
これらの事が起りはじめたら、身を起し頭をもたげなさい。
あなたがたの救が近づいているのだから」。
それから一つの譬を話された、
「いちじくの木を、またすべての木を見なさい。
はや芽を出せば、あなたがたはそれを見て、
夏がすでに近いと、自分で気づくのである。
このようにあなたがたも、これらの事が起るのを見たなら、
神の国が近いのだとさとりなさい。
(ルカ21章25-31節)
あなたがたは弱った手を強くし、よろめくひざを健やかにせよ。
心おののく者に言え、
「強くあれ、恐れてはならない。
見よ、あなたがたの神は報復をもって臨み、
神の報いをもってこられる。神は来て、あなたがたを救われる」と。
(イザヤ35章3-4節)
--パート34に続く
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(備忘録)
昨日は私の誕生日でした
子供たちや兄、姉、友人達からのメールが届いて、
嬉しい気持ちと、ありがたいという感謝の気持ちでいっぱいになりました
みんなありがとう
実は昨日、頭皮に出来た腫瘍で、紹介状を出された大学病院に行ってきました
前日は大雨だったのに、スッキリ晴れて気持ち良かったです
家から往復3時間弱、病院内の滞在5時間、自転車、徒歩、電車、バスと、
一日仕事になりました
担当の先生は、思っていたのと違い女医さんで、若くてチャーミングで明るく
思っていることを自由に話せる器がある方でホッとしました
カルテを見て「あら?今日が誕生日ですね!おめでとうございます!」
大きな病院は初めてなので、勝手も分からずドキドキしたけど
「緊張されますよね、大丈夫ですよ」との声かけに、
いっぺんに心がほどけました
再検査はまた来週になりますが、そこで悪性か良性かは来月の11日に分かります
それにしても、こうして病院に来ている方がこんなに多いのには驚かされます
待っているだけでは退屈なので、病院内をウォーキングしてきました
そして、歩きながら祈ることが出来ました
行く先々で分からないことはいろんな方に声をかけて聞いたので、
聞かれた相手の方もいろんな話をしてくださいました
帰ってきたら長女さんが、私の大好きなオムライスを作ってくれました
お腹にも、心にも、美味しさが沁みわたりました
感謝します
*:..。o○☆゚・:,。*
長男さんが作ったパウンドケーキに
長女さんが作ったクランベリージャムを添えて
甘さと酸味が程よいバランスで、とっても美味しかったよ
どこを歩いても、色とりどりの紫陽花は
晴れの日も、雨の日も美しく
心を明るくしてくれるね
桜並木の遊歩道は、紫陽花の道に変わったよ
*:..。o○☆゚・:,。*
ロジャー君
と、声をかけると・・・
むくっ
よっこらしょっと
からの・・・・
おまたせ~ の、ポーズ
また来るね
今日もありがとう~