”(ひとしずく・ いやしの力-御言葉の中に パート2)~僕(しもべ)の信仰~” | sarah‐mercy

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イエスの愛と共に
猫にも花にも愛は注がれている

 

(ひとしずく・ 癒しの証 1)祈りのリクエスト からの続きです

(抜粋)2022-07-02

~友人からのメール~

 

 いやしの力-御言葉の中に パート2

 

長い間、慣れ親しんだ生活が信仰生活だと錯覚するほどになっていた状態から、

主が、憐みと御計画のうちにそうした状態から引き出して下さり、

生活様式でも、人の解釈でもなく、生ける神御自身と聖書の御言葉により頼むことこそ

大切であることを改めて教えて頂くことになった始まりが、

12年ほど前のことでした。

 

 それまではいつも信仰の仲間と一緒でしたが、

その時からひとりで自分の家族だけで新しい場所で始まることになりました。

神と神の導きがあればそれで十分と頭ではわかっていたつもりでも、

自分のうちから信仰ではないものを叩きだして頂くには、

色々なことを通過する必要がありました。

 

 そんな時、「メッセージを書くなら毎日でも読みます」と言ってくれた

一人の信仰の友がいました。

これは、自分の人生に起こっている大きな変化の中で、

信仰を見つめなおす機会を与えてくれました。

一日一滴ということで「ひとしずく」という名前をつけて配信はじめました。

 

 文章を書くのが苦手である私を、他の友人たちが色々と指導してくれたり、

校正を助けてくれました。

それは今もそうですが、それら一つひとつが神様からの恵みであり、

御計画であったと思います。

 

 深く心を探らされたのが、ひとしずくを始めて間もなく、

東日本大震災が起こったことです。

その時には、被災地の近くに住んでいましたから、

何度か被災地を訪問したりする中で、

「命」 「神の愛」 「世のはかなさ」 「突然の変化」 「真の奉仕」

「この世の社会」 「預言のことば」 など

色々なことについて、向き合わざるを得ない状態でした。

 

 自分が生涯信じてきた聖書の言葉はそれらについて何を告げているのか、

そんな究極の時に本当に頼りになる「真理」なのか。

それを探求し綴ることが、私にとって霊的な支えにもなってきたと思います。

そしてそれを長い間、支えてきてくれたのは、

親愛なる友人たちと共に、愛する妻です。

 

 その妻が、最近、心臓の不調で、動けなくなっていましたが、

友人の方々の祈りと励ましに支えられて、

また彼女の聖書の言葉の学びと信仰による祈りを通して、

再び健康になり、元気になりました。

そして彼女が、その癒しの過程で学ぶことができたのは、

過去十年間にわたって配信されてきた「ひとしずく」を改めて読み直し、

学ぶことからだったと証していました。

 

 その妻の証と、彼女が引用した聖句とひとしずくを紹介させていただきます。

困難な時、神は道を開かれ、また真理の光である聖書の言葉が道を照らして下さいます。

そして神様にとって暗すぎる闇も、乗り越えることのできない障害もありません。

神様は永遠の愛で私たちを愛して下さっています。

イエス・キリストは、私たちの心の永遠の友としていつまでも一緒です。

たとえ大患難の間でも。

恐れることはありません。

 

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(抜粋)2018‐01‐21

 「ひとしずく・僕(しもべ)の信仰」

 

 使徒たちは主に

「わたしたちの信仰を増してください」と言った。

 そこで主が言われた、

 「もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、

 『抜け出して海に植われ』と言ったとしても、その言葉どおりになるであろう。

 あなたがたのうちのだれかに、耕作か牧畜かをする僕があるとする。

 その僕が畑から帰って来たとき、彼に

 『すぐきて、食卓につきなさい』と言うだろうか。

 かえって、

 『夕食の用意をしてくれ。

 そしてわたしが飲み食いするあいだ、帯をしめて給仕をしなさい。

 そのあとで、飲み食いをするがよい』

 と、言うではないか。

 

 僕が命じられたことをしたからといって、主人は彼に感謝するだろうか。

 同様にあなたがたも、命じられたことを皆してしまったとき、

 『わたしたちはふつつかな僕です。すべき事をしたに過ぎません』

 と言いなさい」。

           (ルカによる福音書17章5~10節)

 

イエス様は、「わたしたちの信仰を増し加えてください」と言う弟子たちに対し、

信仰が増し加わる方法や秘訣を教えたり、または信仰を増し加えてあげよう、

というようにはお答えになりませんでした。

 

そうではなく、「からし種ひと粒ほどの信仰でもあれば..」と言われました。

からし種は本当に小さな種です。

つまり小さくても信仰があるなら何でもできることを説明されました。

 

そして主は、そのまま僕と主人についての話をします。

 

 "その話は一体、信仰と何のつながりがあるのだろう??"と思っていたのですが、

突然一つの思いがひらめきました。

聖霊が教えてくださったのだと思いますが、

 "ああ、そうか、そういうことを主はお語りになられたかったのか…"と思ったのです。

その私の気づきについて分け合いたいと思います。

 

 私たちの思考、言動はかなり自己中心で、自分の思い、感情、

意思にどれだけ支配されているか知る由もありませんが、

私たちはその視点から「信仰を増し加えてください」と求め、

「そのためにどうしたらいいのか?」と主に尋ねているのではないかと思います。

 

しかし、自分中心的な思いを捨てて、新しく生まれ、神の国を求める神の民として、

神の御心がなりますようにという、完全に神に委ねている信仰を持つことこそ

大切であることを主は教えられていたのではないかと思います。

そう考えるなら、もっとわかりやすいですし、

私たちの持つべき当然の信仰の態度が浮き上がってくるように思えます。

つまり、この箇所も肉の思いではなく、

御霊の思いをもって読む必要があると思います。

 

 ところで、僕と主人という組み合わせ、そしてプラス信仰というと、

私は自動的にあの病気のしもべを抱えた百卒長が

イエス様に「癒してください」とお願いに行った話を思い出します。

 

 ある百卒長の頼みにしていた僕が、病気になって死にかかっていた。

 この百卒長はイエスのことを聞いて、

 ユダヤ人の長老たちをイエスのところにつかわし、

 自分の僕を助けにきてくださるようにと、お願いした。

 彼らはイエスのところにきて、熱心に願って言った、

「あの人はそうしていただくねうちがございます。

 わたしたちの国民を愛し、わたしたちのために会堂を建ててくれたのです」。

 

 そこで、イエスは彼らと連れだってお出かけになった。

 ところが、その家からほど遠くないあたりまでこられたとき、

 百卒長は友だちを送ってイエスに言わせた、

 

 「主よ、どうぞ、ご足労くださいませんように。

 わたしの屋根の下にあなたをお入れする資格は、わたしにはございません。

 それですから、自分でお迎えにあがるねうちさえないと思っていたのです。

 ただ、お言葉を下さい。

 そして、わたしの僕をなおしてください。

 わたしも権威の下に服している者ですが、わたしの下にも兵卒がいまして、

 ひとりの者に『行け』と言えば行き、ほかの者に『こい』と言えばきますし、

 また、僕に『これをせよ』と言えば、してくれるのです」。

 

 イエスはこれを聞いて非常に感心され、ついてきた群衆の方に振り向いて言われた、

  「あなたがたに言っておくが、

   これほどの信仰は、イスラエルの中でも見たことがない」。

                             (ルカの福音書7章2~9節)

 

神の御意志、神の言われたことは必ずなされる、

これが信仰の根本的なことであると思います。

ですから、神様のお言葉どおりになると信じている者にとっては、

ただ語っていただければ、それは成されたと見なすのです。

この世界でさえ、神のみ言葉によって創造され、また保持されています。

 

 …地は神の言によって…成った…その時の世界は、御言により…滅んでしまった…

 しかし、今の天と地とは、同じ御言によって保存され、不信仰な人々がさばかれ、

 滅ぼさるべき日に火で焼かれる時まで、そのまま保たれているのである。

 愛する者たちよ。

 この一事を忘れてはならない。

 主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。

                             (第二ペテロ3章5~8節)

 

この世界を造られ、時間さえも超えられる神様・・・

その偉大なる神様の関心ごとは、私たちの心の在り方信仰なのです。

神様を信じているのか? 疑っているのか?

自我を通そうとしているのか?

神のみ旨を求めているのか?

服従しているのか、背いているのか?です。

 

イエス様が百卒長を褒められたのは、

神の語られる言葉の絶対的な力を心底認める信仰でした。

そして、その信仰に伴ってくるのが、その権威に服従して従うということです。

 

この宇宙全体が神の言に従って創造され、維持されています。

そして愛をもって造られた私たちも、この神の権威の下に服従することが、

神にふさわしい栄光を現すことです。

 

神は主人であり、私たちはその主人に心から従うべきであり、

そして従って当たり前の立場なのです。

 

僕と主人の話に戻りますが、

普通、畑の仕事は日中の明るい時、暑い盛りになされます。

家に帰るのは夕方です。僕にとっては、一日働いたからといって、

「今日は、畑をかなり耕すことができた、ゆっくりして体を休めるとしよう」

ということにはなりません。

主人の畑を耕した後には、主人の夕食の準備をするのです。

そして、一つ仕事を終えたら、「次は何をいたしましょうか?」

というのが僕としての当然の態度です。

 

現代でも、どこかに雇われている場合、

「今、一つ仕事を終えたばかりなのに、また次の仕事を言いつけられた。

あれもやらねばならないし、これもやらねばならない!」

と言って不平をつぶやいていたら、解雇されてしまうでしょう。

 

私たちは、みな僕、つまり主のために仕えるように召されている者です。

イエス様がその愛ゆえに、御自分の血の代価を払って、罪からあがなって頂いた者です。

 

ですから、私たちは自分のために生きているのではなく、

買い取ってくださったイエス様のために生きるのです。

それが、イエス様の血によるあがないによって罪ゆるされ、

神の子としての新しい命と権威を与えられた者としての立場なのです。

 

しかし私たちは、日常、いかに簡単につぶやいていることでしょう。

「自分はこれだけのことをしてきたのに、

 さらに困難、さらに大仕事が待っている…

 もう主のために働くことは、割に合わない、これではやっていけない!」と。

 

それは御主人様に目を留めることを忘れ、

また僕としての自分の立場を忘れてしまっているからです。

それは全部、自分中心の独りよがりの考えです。

 

自分を買い取ってくださった主人の思いを中心に物事を考え、御心を求めるなら、

主人の思いがもっとわかってきて、別の見方ができるようになると思います。

 

私たちの仕える主人、全知全能の愛なる神は、

この僕の弱さや必要を知っておられる方です。

僕によい休息を与え、どんな気晴らしや励まし、慰めが必要かを良く知っておられる方です。

そして、仕事が終わると、

「あなたは帯をしめて給仕をしてくれた。

 さあ、あなたも飲み、食いしなさい」と言ってくださるのです。

 

僕として帯をしっかりしめ、この御主人様に仕えることができますように。

 

 わたしたちは、御子にあって、神の豊かな恵みのゆえに、

 その血によるあがない、すなわち、罪過のゆるしを受けたのである。

                               (エペソ1章7節)

 

 あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。

 それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。

                             (第一コリント6章20節)

 

 「わたしは主のはしためです。

    お言葉どおりこの身に成りますように」

                   (ルカの福音書1章38節)

(抜粋おわり)

 

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日が出たり、曇ったり、激しく雨が降ったり、夜には雷が鳴ったり

昨日は忙しいお天気でしたが

出かけたときは晴れて、帰ってくると雨になり、

タイミングよく守られて感謝です

 

でも、数年前に、四男さんに買ってもらったドライヤーが

突然壊れてしまいました

当たり前にあるものが、突然使えなくなっただけで

結構不便を感じてしまいましたが、

さて、たくさんの目にみえない神さまから頂いている恵みを

私は一体、どれだけ感謝しているのだろうか?

と、思いを探らされました

 

すべての恵みを

心から感謝しますハート

 

 

    

    冬に白鳥さんが来ていた調整池

     今年の冬も来てねおすましスワン

    

 

 

          

           カシワバアジサイが、鉄塔に負けないくらい咲いてるね

 

 

 

 

 

 

          

          あじさい 紫陽花の彩りも綺麗 

 

 

    

 

 

 

         あじさい *:..。o○☆゚・:,。* あじさい

  

 

 

 

      シロちゃん、いいお顔音符

                   また来るねバイバイ

      

      今日もありがとう~ラブラブ