(ひとしずく・ペテロの手紙シリーズ#14 信仰と霊的成長-C)   | sarah‐mercy

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からの続きです

 

ペテロの手紙シリーズ#14 信仰と霊的成長-C  

                        ロバート・D・ルギンビル博士著より

 

(6) 聖霊は私たちの信仰を築くパートナーです:  

  

 ところが、わたしたちが受けたのは、

 この世の霊ではなく、神からの霊である。

 それによって、神から賜わった恵みを悟るためである。

                           (第一コリント2章12節)  

  

霊的成長に必要な真理の原理を学ぶことは、

私たちの知性に依存するものではありません。 

神はすべての信者に聖霊をお与えになり、私たちの魂に真理の土台を築き、

神が私たちのためにしてくださったことがどんなに偉大なことであるかを知り、

感謝するようになるという重要な仕事を助けてくださっているのです

1コリント2章12節)。 

問題における神の助け(私たちの内におられる聖霊の働き)がなければ、

私たちのI.Q.がどんなに高くても、神の真理を学ぶことは不可能です。

 

 真理の原理を含む聖書の情報は、

学問的な意味で「学ぶ」ことができないわけではありませんが、

信仰がなければ、また聖霊の教えの働きがなければ、そのような学びは無意味であり、

霊的な成長をもたらさないからです。 

聖霊が私たちの信仰とともに働かなければ、聖書の教えの内容は私たちのにではなく、

思考にしか届かず、私たちは「異言で語る」人の話を聞く人のようになってしまいます。

その人の言うことは善良で真実かもしれませんが、

私たちには意味がなく、実際何の役にも立ちません

第一コリント14章4節)。  

  

聖霊がなければ、人は

「神の御霊の賜物を受けいれない。

 それは彼には愚かなものだからである。

 また、御霊によって判断されるべきである」

                    1コリント2章15節

 

 ここでパウロが使っている「判断する」と訳されているギリシャ語はアナクリーノで、

「注意深く吟味する」という意味です。

 人は聖句に精通していても、聖霊の啓蒙の働きがなければ、

聖句の意味と重要性を完全に理解することはできません。  

  

一方、私たち信者は「キリストの思い」、すなわち聖霊を持っており、

聖霊は私たちが聖典に含まれている神の真理を理解するのを助けてくださいます

1コリント2章16節)。

 ですから、神の完全な御心を知りたいと願う私たちは、

人間の知性や教師の限界に依存することはありません

ローマ12章2節)。 

神の御言葉を学ぶことによって信仰を高めようとする私たちの探求に、

傲慢さやフラストレーションは許されません。

なぜなら、私たちは独学でもなく、他の誤りやすい人間に完全に依存するのでもなく、

神の聖霊を師としているからです

ヨハネ14章17節17章26節第一テサロニケ4章9節第一ヨハネ2章27節)。  

  

(7) 真の信仰は必ず結果をもたらします:  

  

 霊魂のないからだが死んだものであると同様に、

 行いのない信仰も死んだものなのである。

                      (ヤコブ2章26節)  

  

ヤコブ書の上記の箇所は、広く誤解されている箇所です。

 この箇所は、私たちが「天国への道を働きによって辿らなければならない」

という意味に解釈されがちです。 

しかし、これ以上に真理から遠いものはありません。

 

 ただ信仰による恵みによる救いの原則は、

エペソ2章8-10節はっきりと述べられています。 

さらに、パウロはその中で

(救いは)決して行いによるのではない。

 それは誰も誇ることがないためなのである」

と明言しています。

 (これがなければ信仰は死んだものだという)ヤコブの言う「行い」とは、

パウロがエペソ2章10節で述べている

「神がそうするようにとあらかじめ備えてくださった」

「良い行い」と同じものです。  

  

ですから、私たちは善い行いを自分たちが計画して実行するものと考えるべきではありません。むしろ、私たちの信仰を実践し、示すために

神が機会を用意して下さっていると見るべきです。  

  

また、周りにある仕事において、自分たちの信仰を行動に移そうとして

「一人で」行う必要もありません。 

キリスト教会の成長を助けるために、神はすべてのクリスチャンに

何らかの霊的賜物を与えておられ、それは聖霊によって分配され、力を与えられています

第一コリント12章1-11節)。  

 

私たちは、この人生で神のために果たすべきミニストリーの正確な方向性を

選ぶことはできません。 

それは神がなさることです。

 むしろ、私たちの特定の賜物が明らかになり、

与えられたものを効果的に用いることができる霊的成熟さにまで霊的に成長することが、

私たちの責任なのです。 

クリスチャンのミニストリーの基盤としての神から与えられた霊的賜物という原則は、

私たちが行うかもしれない良いわざを誇る根拠をすべて取り除くだけでなく、

私たちがこの人生で神に仕える真の奉仕の性質、力、

具体的な方向性を支配するのは神であることを確証しています

第一コリント12章4節, 11節)。  

  

アブラハムの信仰が死んでいなかったことを証明する「良いわざ」は、

慈善行為ではなく、神への絶大な信仰と従順の行為でしたヤコブ2章21節)。 

アブラハムはその信仰の行いによって神を賛美しました。

 

そのような<行いによって表される>賛美こそが、

霊的賜物、クリスチャンとしての奉仕、そして私たち個々のクリスチャンの

信仰が確かなものであることを示すために求められている、

あらゆる善行の背後にある核心なのです

イザヤ43章7節第一ペテロ4章10-11節)。

 

神への積極的で生きた信仰が暗闇の世界で光として輝き、神に栄光を帰し、

人々が神の愛に引き寄せられて、それは本当にそうなのだということを

すべての人に証明するのです

マタイ5章15-16節)。  

 

次回 ペテロの手紙シリーズ#15 Aへ続く下差し

 

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聖霊がパートナーだと思うと

心強いですね

 

 万物の終りが近づいている。

だから、心を確かにし、

身を慎んで、努めて祈りなさい。

 何よりもまず、互の愛を熱く保ちなさい。

愛は多くの罪をおおうものである。

 不平を言わずに、互にもてなし合いなさい。

(第一ペテロ4:7-9)

 

感謝します

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今日は節分ですね

1月があっという間に過ぎ、寒さも厳しくなっていますが

陽も長くなり明るくなってきました

もう春に向かっていますね

 

最近、仔狸が庭に来て日向ぼっこしていました

ほんの10分休むとまたどこかに行ってしまいましたが

次の日、別の子が来て(たぶん兄妹かな?)

3日目にはもう姿を現さなくなりました

食べ物があるもっと安全な場所を見つけられたのかな?

動物も人間も仲良く暮らせる時が

早く来ますように

お祈りしますハート

 

 

 

 

 

 

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(2018年2月ももちゃん)

今日もありがとう~ラブラブ