からの続きです
来たる艱難期<パート89>:黙示録の歴史 第二部-A
2.「このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、
あなたを口から吐き出そう。
あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、
実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、
目の見えない者、裸な者であることに気がついていない。
そこで、あなたに勧める。
富む者となるために、わたしから火で精錬された金を買い、
また、あなたの裸の恥をさらさないため身に着けるように、白い衣を買いなさい。
また、見えるようになるため、目にぬる目薬を買いなさい。」:
ラオデキヤは自分たちの霊的状況を全く正しく認識していません。
パウロの謙遜さとは対照的です。
パウロは用心深く、自分の霊的な地位(第一コリント4章3-5節; ピリピ3章10-14節)を
過信することを避けましたが、
ラオデキヤの時代の信者は、霊的な状況が正反対であるにもかかわらず、
自分たちは最善であると思い込む傾向があります。(第一コリント4章7-8節参照)
ラオデキヤは、自分には喜ぶべきことがあり、
他の人々からうらやましがられるべきだと思い込んでいますが、
霊的には惨めな姿であり、物事を正しく見るすべての人々にとって哀れみの対象です。
ラオデキヤは自分たちの物質的な豊かさから、
自分達は霊的にも豊かであると思い込んでいますが、
実際には物質的な豊かさにもかかわらず(そして、物質的な豊かさのゆえに)、
霊的な貧しさにあえいでいるのです。
彼らは巨大で印象的な教会堂を建てたかもしれませんが、
そこで行われていることの霊的内容は、主からしたら嘆かわしいものです。
ラオデキヤは身なりを整えていると思い込んでいますが、
その行いは神に受け入れられず、知らず知らずのうちに裸で歩き回っており、
霊的な感覚を持っているすべての人にはその恥が見えているのです。
要するに、ラオデキヤは自分がすべてを知っていると思い込んでいるのですが、
実際には自分の霊的状態の本質が見えておらず、
その傲慢な自己評価はまったく見当違いなのです。
全体的に言えば、ラオデキヤはイエス・キリストの裁きの座で
かなりのショックを受けることになります。
それゆえ、この時代の信者の一員として、私たちはこれらの節に注意を払い、
ラオデキヤに特徴的なこの恥ずべきパターンに従わないようにする必要があります。
そのためには、キリストの具体的な指示に従う必要があります。
主は私たち皆に、金(きん)、衣服、眼に塗る薬を
「わたし<イエス>から買いなさい」と命じておられます。
火で精錬された「金(きん)」(私たちの業績を表す)は、本物の霊的な業績、
つまり神に受け入れられる実をもたらすことを意味します。
(マタイ6章19-21,22-24節; 第一コリント3章12-15節参照)
「白い衣」(恥を隠すため)は、個人の聖化、
すなわち、非難されるよりも主に誉れをもたらすクリスチャンの歩みを表しています。
黙示録3章4-5節,7章9-14節, 16章15節,19章14節)[1]
「目に塗る薬」(視界を明瞭にするため)は、霊的な識別力、
すなわち、霊的な成熟から来る真の知恵と悟りを象徴しています。(マタイ6章22-23節)
これら三つの「買いもの」
(神のために行った真のわざに対する報い、聖なる生活、知恵)は
すべて霊的成長の結果であり、霊的成長の過程はそれらを得るための「貨幣」です。
クリスチャン生活で最も大切なものは、お金で買うことはできません。
イエス・キリストのために成熟したクリスチャンの生活の一部である、
本物の実り、聖別された歩み、霊的識別を達成するためには、
霊的成長の丹念なプロセスへの献身とコミットメントが必要なのです。
一貫して、規律正しく、心を込めて聖書を読み、祈り、聖書を学び、
聖書の原則を生活に適用し、霊的賜物から来る実り豊かさをもって
キリストのからだである他の人々を助けることが、このプロセスの基本なのです。
それぞれの課題においてキリストに近く歩めば歩むほど、
深く、効果的になり、恵まれるのです。
悲劇的なことに、物質的な豊かさに頼るあまり、
私たちのラオデキヤの時代のあまりに多くの人々が、
単なる見かけを優先して、この明らかに厳しいプロセスを(作為または不作為に)
拒否しています。
彼らに対する主の言葉は、明確な戒めです。
神の御言葉を拒絶し、ないがしろにすることは、
(神のみことばを読み、神のみことばに従って祈り、神のみことばに教えられ、
神のみことばに従って生き、神のみことばに従って仕えることをしない)
人生を楽にし、世間から見れば「賢い」ように見えるかもしれませんが、
そのような行動は、実のところ、完全な愚行です。
(ヨブ5章13節;エレミヤ8章9節;第一コリント3章19節)
[1] 黙示録16章15節では、衣服はまさにそのような個人的な聖別を表し、
衣服の欠如は恥をもたらします。
―パート90に続く
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目はからだのあかりである。
だから、あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいだろう。
しかし、あなたの目が悪ければ、全身も暗いだろう。
だから、もしあなたの内なる光が暗ければ、
その暗さは、どんなであろう。
(マタイ6:22-23)
※霊的な目を明るくしているという事
梅が、目を覚ましたみたい 春だよ
蕾がいっぱい膨らんでいたよ
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昨日も風が強くて、外壁の薄い白い外装ベニヤが一分剥がれて駐車場に落ちてきました
前から風が吹くたびにパタパタ揺れていたのですが
築50年ともなると日に焼けて薄くなって、剥がれてしまいますね
雪深い、昔の家の造りは、太い梁で組まれていて
大雪の重さでもつぶれないのが不思議に思っていましたが
当時の大工職人さんは、後の後のことまで予測して作っていたのが分かります
父がよく言っていました(材木関係の仕事をしていたので)
「この辺の家は、大雪が降ったらみんな潰れてしまうなぁ・・・
隣の庭に陰になってしまうような造りばかりだし、考えなしの仕事だなぁ・・・」って・・
まぁ、地域がら、コスト、事情は様々ですが
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今夜は満月ですね
奇麗に見れそうです
どこにいても、同じ月が見れると思うと
繋がっているということに嬉しさを感じます
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ユキちゃんは最初から白い衣を着てるんだよね
今日もありがとう~