----------------------------------------------------------------------------------
(抜粋)
~友人からのメール~
賛美しつつ荒野を歩む
出エジプト記を読んでいると、いかに人は簡単に神様から頂いた恵みを忘れ、
不平とつぶやきを口にしてしまうも のかということがわかります。
イスラエルの民は、エジプト人の奴隷となっていまし た。
もともとイスラエル人はカナンの地に住んでいました。
そのカナンにいたヨセフが、兄たちの策略によりエジプトに奴隷として売られ、
後に王の夢解きをして大飢饉からエジプトを救ったのがきっかけで、
王パロに取り立てられ、王に次ぐ地位を持つことになりました。
飢饉に苦しむカナンからは、食糧を得るために、
多くの人たちがエジプトにやってきました。
その時、ヨセフは自分を陥れた兄たちと対面するのです。
そして兄たちを許し、ヨセフの父ヤコブと兄弟、 一族をエジプトに呼んで住まわせ、
カナン人は次第にその数を増していったのでした。
しかし、ヨセフがこの世を去り、ヨセフのことを知らない者がエジプトの王になった時、
イスラエルの民は、奴隷となって苦役を課せられるようになったのです。
そんな彼らを、神はモーセを導き手として立て、エジプトの地から脱出させ、
約束の地へと導こうとされます。 (出エジプト)
主はモーセにこう語られました。
「...イスラエルの人々の叫びがわたしに届いた。
わたしはまたエジプトびとが彼らをしえたげる、そのしえたげを見た。
さあ、わたしは、あなたをパロにつかわして、
わたしの民、イスラエルの人々をエジプトから導き出させよう」
(出エジプト記3:9,10)
主は、海を分けて、何百万ものイスラエルの民に乾いた地を歩ませ、
また荒野では、 天からマナという食物や肉を降らせ、あらゆる奇跡を行って、
彼らを助け導かれたのでした。
しかし、イスラエルの民は、そんな主からの奇跡も祝福もすぐに忘れ、
何かにつけ、不平をつぶやいたのでした。
「彼らのうちにいた多くの寄り集まりびとは欲心を起 し、
イスラエルの人々もまた再び泣いて言った、
『ああ、肉が食べたい。
われわれは思い起すが、エジプトでは、ただで、魚を食べた。
きゅうりも、すいかも、にらも、たまねぎも、そして、 にんにくも。
しかし、いま、われわれの精根は尽きた。
われわれの目の前には、このマナのほか何もない』。
(民数記11:4-6)
「さて、モーセはイスラエルを紅海から旅立たせた。
彼らはシュルの荒野に入り、三日 のあいだ荒野を歩いたが、水を得なかった。
彼らはメラに着いたが、メラの水は苦くて飲むことができなかった。
それで、その所の名はメラと呼ばれた。
ときに、民はモーセにつぶやいて言った、
『わたしたちは何を飲むのですか』。
モーセは主に叫んだ。
主は彼に一本の木を示されたので、それを水に投げ入れると、 水は甘くなった。
その所で主は民のために定めと、おきてを立てられ、彼らを試みて、言われた、
『あなたが、もしあなたの神、主の声に良く聞き従い、
その目に正しいと見られることを行い、その戒めに耳を傾け、
すべての定めを守るならば、わたしは、かつてエジプトびとに下した病を
一つもあなたに下さないであろう。
わたしは主であって、あなたをいやすものである』。
こうして彼らはエリムに着いた。
そこには水の泉十二と、なつめやしの木七十本があった。
その所で彼らは水のほとりに宿営した。」
(出エジプト15:22-27)
このように彼らは主からの祝福を何度も受けながらも、不平と不信仰によって、
神に試みられ続け、最終的には、
神様が約束しておられた地に着くには40年かかってしまったのでした。
それも大人世代の者はヨシュアとカレブ以外、皆死に絶え、
約束の地に入ることはできませんでした。
彼らは、何と哀れで愚かなのかと思ってしまいます。
ただ素直に神様に信頼し、神様の導きに従ってさえいれば、
もっとずっと早くに約束の地に入れたというのに。
しかし、私たちはこのイスラエル人たちのことを決して笑えないと思います。
私たちも、自分を振り返ってみると、あと一歩というところで、神様の約束を疑い、
主の愛や真実を忘れてしまうことがよくあるのではないでしょうか?
こんなにも神様の恩恵に与っていながら、
ちょっとした試練に遭うとたちまち神様を疑ったり、
過去を振り返って、昔は良かったと不平をつぶやいてしまうのです。
しかし、覚えていなければならないことは、
通過している試練は、実はとても意味深いもので、
神様はこの試練を通してさらに良いところへと導いておられるのだということです。
それは皆それぞれが、今までの経験の内によくわかっていることだと思います。
私も荒野に導かれているように感じることが幾度もありました。
気にいっている環境や状況からの変化はいつも受け入れ難いものでした。
しかし、後になればわかるのです。
主がより良い所へと導いて下さったのだということが。
この主の導きをいつまでも拒み、不平を言い続けるなら、それがわかる時はないでしょう。
あったとしてもずっと後になってのことかも知れません。
イスラエル人が約束の地に入るのに40年もかかったように。
私たちは、彼らの失敗から学ばなければならないと思います。
それは、どんな試練の最中にあっても、主を賛美するのは正しいことであるということ。
そして、そんな試練の最中にあっても主の助けや恵みが常に伴うこと、
また試練の時とは、約束の地に続く道のりの過程にある、試みと訓練の時であるということ。
これらのことをしっかり学び、絶えず賛美の唇をもって、
荒野を歩んで行くことができますように。
「全地よ、主にむかって喜ばしき声をあげよ。
喜びをもって主に仕えよ。
歌いつつ、そのみ前にきたれ。
主こそ神であることを知れ。
われらを造られたものは主であって、われらは主のものである。
われらはその民、その牧の羊である。
感謝しつつ、その門に入り、ほめたたえつつ、その大庭に入れ。
主に感謝し、そのみ名をほめまつれ。
主は恵みふかく、そのいつくしみはかぎりなく、
そのまことはよろず代に及ぶからである。」
(詩篇100:1-5)
(抜粋おわり)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
日々のデボーションの為には【休息と癒し】のサイトに毎日掲載されている
過去記事の「ひとしずく」も、どうぞお役立てくださることをおすすめします
はじめての方へ | 休息と癒し (kyusokutoiyashi.jp)
「ダーク・トゥ・ライト」https://darktolight.jp
私達が主の御声を聞くことにおいても成長できますように。
また、ご意見、ご感想、またオーディオクラスに関心のある方などは、 shizuku365@proton.me までご連絡ください。
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..
先日次男さんが突然仕事帰りに顔を出してくれたので
長女さんが家にあるものをみつくろい
6月に漬けた梅酒も少し持たせてあげました
昨日は暑かったので炭酸割りに今日、明日は冬になる寒さでお湯割りに
嫁の○○ちゃんからも「いろいろ頂いてありがとうございます
明日お休みなので早速梅酒今夜いただきます」とメール
夕べは長女さんとパソコンから映画を一緒に観ました
数奇な運命を背負いながらも、関わっていく人の愛と優しさの中で
しあわせになっていくお話でした
笑っていると、いつか幸せが転がり込んでくるというのですが
もし同じ境遇でも、自分の境遇を恨んだり妬んだり、不平を言っているなら
そのしあわせは無かったんだろうなぁ…と思いました
それと、夕食の時に三男さんとウォーキングの時の話していたら
「じゃあ、今度一緒に歩いてみようかな」と言いました
あれだけ拒否していたのに(笑)
一緒にお散歩券、ようやく使える日が来るかも・・・
(最近、都合によりバイク通勤から電車通勤になって
最寄り駅まで歩くようになったので色んな発見があったようで・・
まぁ、気まぐれなので期待はあまりしないけど)
「おはよう」「おやすみ」「ありがとう」
笑顔で言えたらそれだけでしあわせです
感謝します
*:..。o○☆゚・:,。*
モミジがステンドグラスみたいだね
*:..。o○☆゚・:,。*
(2018年11月ももちゃん)
今日もありがとう~