からの続きです
サタンの反乱 艱難期への序章 第三部 パート4
I. 人間の目的
3. 人は神の栄光のために創造されました:
サタンとその追随者が、喜んで崇拝する者に取って代わられ、
罪深い人間を救うために御子を犠牲にして神の愛と義が十分に示されたことは、
大いに神に栄光を帰すことになります。
人間の歴史の出来事を見た後、選ばれた天使たち(事実、すべての被造物)は、
全能の主の無比の恵みを賛美しています(詩篇148篇-150篇参照)。
御座にいますかたと小羊とに、さんびと、ほまれと、
栄光と、権力とが、世々限りなくあるように。
(黙示録 5章13節後半)
私たちが創造されたのは、神の賛美のため、神の栄光のためです
(イザヤ60章21節; ヨハネ17章10節; 21章19節; ローマ9章23節)。
私たちを造られ、キリストによって救って下さることによって、
神はご自身の愛を示し、悪魔の嘘を暴かれます。
私たちの中に、私たちのためにして下さったことの中に、
神の栄光が輝いていて、神を愛する者は神を賛美せずにはいられません:
わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、
御旨のよしとするところに従い、
[神の]愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。
これは、その愛する御子によって賜わった栄光ある恵みを、
わたしたちがほめたたえるためである。
(エペソ 1章5-6節)
わたしたちは、御旨の欲するままにすべての事をなさるかたの目的の下に、
キリストにあってあらかじめ定められ、神の民として選ばれたのである。
それは、早くからキリストに望みをおいているわたしたちが、
神の栄光をほめたたえる者となるためである。
(エペソ 1章11-12節)
すべてわが名をもってとなえられる者をこさせよ。
わたしは彼らをわが栄光のために創造し、
これを造り、これを仕立てた」。
(イザヤ 43章7節)
上記の文章が示すように、堕落した天使の種類に代わって形成される階級は、
再生した人間(すなわち、キリストを信じる者)だけです。
神の恵みであるイエス・キリストの贈り物を拒むことを選んだ人間は、
火の池で悪魔とその従者たちと運命を共にすることになります(黙示録20章11-15節)。
これもまた、神の義を示す一部であり、
神の偉大な栄光につながるものです。
全宇宙が、神に立ち返るすべての人に対して
神が慈悲をもって備えておられるのを目にするだけでなく、
神の御心に逆らうすべての者、サタンとすべての反逆者は、
天使であれ人間であれ、物質的にも(裁きにおいて)、
また霊的にも(人間の歴史の中での実証を通して)撃ち砕かれることになります
(詩篇76篇10節参照)。
そして、反逆者であれ再生者であれ、
すべての人が最終的に神の威厳、義、栄光を認めるようになります。
わたしは自分にかけて誓う。
わたしの口から恵みの言葉が出されたならば、その言葉は決して取り消されない。
わたしの前に、すべての膝はかがみ、
すべての舌は誓いを立て恵みの御業と力は主にある、とわたしに言う。
主に対して怒りを燃やした者はことごとく主に服し、恥を受ける。
(イザヤ45章23,24節)
神のご性質は、嘘を見逃すことではなく、
すべての嘘を真実のまばゆい光の中にさらすことです。
人間の歴史は、事実上、堕落した天使たちの「最後の審判」であり、
彼らの誤りと完全な罪深さをあからさまに示すものです。
その過程で、「すべての口がふさがれ」
(すなわち、どんな弁明も破られます:
ローマ3章19節; 詩篇107篇42節; ミカ7章16節参照)、
最終的に、すべての膝はかがみ、
すべての舌が、神の御子であり私たちの主イエス・キリストの賜物である
神の恵みと神の栄光を讃えることになります(ローマ14章11節; ピリピ2章10-11節)。
続く
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(7/30最新のオーディオ 友人の奥様の「病を通しての恵みの賜物」のお話です
今、病の中にある方の励ましとなりますように、お祈りしています)
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私達が主の御声を聞くことにおいても成長できますように。
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昨日は一日曇り空で、夜になって急に雷と激しい雨が降り出しました
ニュースで各地の災害の様子を見ていた実家の兄から電話が来て
「そっちは大丈夫か?!」と心配してくれた
確かに近くでは川が氾濫したり、床下浸水したりと大変な様子でしたが
私の住んでいる地域は何事もなく「うん、大丈夫だよ~」と言うと
ほっとして、兄としては珍しく長話の電話になった
きっと兄の方が何となく不安を抱えていたのかも知れない
今まで健康にも自信があったけど、ちょっとしたミスでケガをしたり
何と言っても、毎日どこかで救急車が止まり、昨日も近い知人が亡くなったそうで
「明日は我が身」とばかりに、不安になるようだ
(普段強気の人ほど、ちょっとしたことで弱気になるものですよね)
そんな時、私の呑気な声を聞くだけで、少しは安心するらしく
そんなところも、前とは少し変わってきたなぁ・・・と感じます
(二言目には説教を聞かされてましたから)
「みんな幸せか?」と聞くので「うん、みんな元気で幸せだよ~」と言うと
「だったら良かった、それが一番だ」って
兄がこんなことを口にするのも珍しい(それから花火大会の話や色々して)
どんなに分かり合えないことも、いつかは分かり合える日がくるんだな・・・
そんなことを感じた日でした
隣の部屋で聞きつけた三男さんが
「おじさんは、なんか心がざわざわしたときお母さんに電話かけてくるね?
それでおじさんはストレスが消えるけど、お母さんは誰に電話したらストレス消えるの?」
良い質問だ!
『もちろん、イエス様!』
しかも、祈りの電話は、どんな遠距離でも無料です(*^-^*)v
感謝します
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雨に打たれても
風に煽られても
今日もありがとう~