(ひとしずく・黙示録シリーズ・クラス1 パート10)<7つの教会>エペソ | sarah‐mercy

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右差し(ひとしずく・黙示録シリーズ・クラス1 パート9)<預言について③>からの続きです

 

黙示録シリーズ・クラス1 パート10

 

(4月29日 午後のクラス)

 

<7つの教会>エペソ

 

黙示録2章3章は、皆さんもよく知っていると思いますが、

7つの教会について書かれています。

この7つの教会というのは、ヨハネがいた1世紀、小アジアに実在した教会で、

小アジアは現在のトルコのアナトリア半島にあたります。

7つの教会しかなかったというわけではなく、ほかにも教会はありました。

ただ、イエス様が語られていることなので、

この7つの教会の選びにも深い意味があるのだと思います。

この7つの教会にイエス様が話されている内容を見ると、

どの時代のどの教会にも当てはまることであるかと思います。

 

ところで、2章から3章で7つの教会のことが語られていますが、

その前の1章19節を見ると、

「あなたの見たこと、現在のこと、今後起ろうとすることを、書きとめなさい。」

とあります。

それから2章3章で7つの教会のことが話されていて、それが終わると、

4章1節に、「その後」とあります。その後・・・「ここに上ってきなさい。

そうしたら、これから後に起るべきことを、見せてあげよう」と。

 

つまり、何が言いたいかというと、1章から2章、3章、4章と、

時間の流れの順に述べられているということです。

4章の後は、天の御座などが出て来て、

5章から7つの封印が解かれることが始まるわけですね。

この7つの封印というのは、白い馬から始まって、最後の7年間の患難期と続いています。

 

この時の流れの順に書かれているというように見て行くと、

7つの教会というのも、語られる順番が時代順で並べられていると

考えることができるわけです。

エペソから始まってスミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、

ヒラデルヒヤ、ラオデキヤ、と、キリスト教会の歴史の流れと解釈するのです。

つまり、各教会に語られていることは、その時代にあった教会の特徴であるということです。

これは絶対そうであるというわけではありません。

しかしこれは幾人もの聖書学者の間で言われていることで、参考にできることかと思います。

 

前にも話しましたが、それぞれの7つの教会に神さまが語られていることを、

それは昔小アジアにあった教会に言われていることなので私には関係ない、

と捉えるのではなく、

「御霊が諸教会に語ることを聞くが良い」とありますので、

私たちはここから大切なことを学んで行けるわけです。

 

このエペソ、スミルナ、ぺルガモ、テアテラ、サルデス、ヒラデルヒヤ、ラオデキヤと、

時代の順に並べられていると見て解釈している方の言っていることを学んでみると、

とても意味深いものがあります。

今回はそこを少し紹介します。

 

神さまは意味あって、この7つの教会を取り上げておられます。

またこの教会の「7」という数も、聖なる数であり、

ほかにも1章に出て来る御座の前の7つの御霊とか7つの金の燭台、7つの星、

後に出て来る7つの封印、7つのラッパ、7つの鉢というのがありますが、

7という数にも意味があります。

また、それぞれの教会の名前にも意味があるのではないかと思います。

 

それでは7つの教会の最初に出てくるエペソの教会から見て行きたいと思います。

 

 エペソにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。

『右の手に七つの星を持つ者、七つの金の燭台の間を歩く者が、次のように言われる。

 わたしは、あなたのわざと労苦と忍耐とを知っている。

 また、あなたが、悪い者たちをゆるしておくことができず、

 使徒と自称してはいるが、その実、使徒でない者たちをためしてみて、

 にせ者であると見抜いたことも、知っている。

 あなたは忍耐をし続け、わたしの名のために忍びとおして、

 弱り果てることがなかった。

 

 しかし、あなたに対して責むべきことがある。

 あなたは初めの愛から離れてしまった。

 

 そこで、あなたはどこから落ちたかを思い起し、

 悔い改めて初めのわざを行いなさい。

 もしもし、そうしないで悔い改めなければ、わたしはあなたのところにきて、

 あなたの燭台をその場所から取りのけよう。

 

 しかし、こういうことはある、あなたはニコライ宗の人々のわざを憎んでおり、

 わたしもそれを憎んでいる。

 耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。

 勝利を得る者には、神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べることをゆるそう』。

                                 (黙示録2章1~7節)

 

エペソというのはギリシャ語で、「上に座る」という意味だそうです。

教会の最初の時代というのは、使徒たちから教会に移行する時期です。

イエス・キリストの教えや、またイエス・キリストについての話などは

使徒たちによって宣べ伝えられました。

そして、使徒たちが世を去ると、使徒たちを知っている残された者たちに

バトンが渡されて行きます。

その頃はまだ聖書が確立されていませんので、

使徒のわずかな書簡や説教から教えられたことを学び、それを守っていたわけです。

でも、使徒たちがいた間、またしばらくの間は大丈夫だったのですが、

使徒たちが設置してくれた基礎にあぐらをかいてしまうと問題になるわけです。

「上に座る」というのはそういうことではないかと思います。

 

それがどんなに素晴らしいリーダーであっても、

それまでやってきたことをただやっていれば、うまく行くかというと、

そういうことではないと思います。

もちろん、使徒たちから教えられたことは神の教えなので、

それを守るのは良いことなのですが、ただ使徒の教えを守っているからそれでいいんだ、

というのではうまく行かないのです。

 

イエス様は、エペソの人たちのわざと忍耐、苦悩、

そしてニコライ宗の人々のわざを憎んでいることを知っていると言って下さっています。

エペソの教会はよくやっていました。

でも、業(わざ)に熱心だから大丈夫かというとそうではないです。

かえってその業(わざ)が霊的に命取りになることがあります。

 

自分は神への奉仕、慈善事業など、何でもそれをよくやっていると思っていると、

大切なものを逃してしまうことがあります。

イエス様はそんなエペソの教会に、

「あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。

 そこで、あなたはどこから落ちたかを思い起し、

 悔い改めて初めのわざを行いなさい。」

と言われています。

エペソの教会はわざは熱心で、偽使徒や真理でない教えを見分ける識別力もありました。

しかし、最も大切な神への愛から離れてしまっていたのでした。

大切なもの、主をないがしろにして、体だけは忙しく動いているということはあり得ます。

 

ところで、ここに「ニコライ宗の人々のわざを憎んでいる」とあります。

「ニコライ」というのは「神の征服者」という意味らしいですが、

人の意思が神の意思に勝る教義になってしまうこと。

 

例えば、神様の御心にそっていないけれど、多数決や人間の考えによって

決めて推し進めてしまうというようなことです。

神の御心を第一にしないなら、どんどん真理から外れて行ってしまいます。

自分たちは良い組織を作ってうまく運営していると思っているけれども、

神を含めないで、あるいは神から聞かないで、

自分たちの組織で決めて物事を進めて行こうとする、

これは昔から悪魔が人間を誘惑する方法です。

 

バベルの塔の建設もそうです。

彼らは天まで届く立派な塔を建てて名をはせようとしました。

しかし神はそれに反対して、その計画は阻止されました。

神の御心を無視して、神の御意思でないことをする全てのことというのは

むなしいことです。

もしかしたら自分も今、神が忍耐をもって悲しんで、

心痛めているということをやっているかもしれません。

もうこれは介入して止めないと、と神さまが思われているものがあるかもしれません。

この世にはそういう誘惑がたくさんあります。

 

でもこれが教会の中にも入り込むということです。

これは教会の役員会で決めたことですからとか、

多数決で決めたことですからというのではなく、

それが主の御心であるのかどうかということを、もっと優先にしていくべきです。

 

エペソの教会は、使徒たちが一緒にいて指導してくれていた間というのは、

使徒の指導というものに依存していたと思います。

そして、そういう偉大なリーダーに寄りかかって、

自分は立派な信仰生活をしていると思っているなら、それはちょっと違います。

 

一人ひとりに神様のための召しがあります。

私たちは一人ひとりがとつながり、それによって互いがつながっている、

それがエクレシア(教会)なのです。

しかし、それが簡単にこの世の考え方と置き換えられてしまうのです。

私たちが主に近くないと、簡単にこの世的な知恵

やり方をエクレシアの中に持ち込んでしまうことになります。

そしてそれは人間的に見たら、正しくもっともらしく見えるのです。

 

でも、それを神様が認めているのどうか、というのが大切なことだと思います。

一人ひとりが自分の思いではなく、ただ神に完全に従いたい、

そして実際従うというようなエクレシアでないと、組織が優先され、

神のためではなく組織のための奉仕、

組織の意向に沿ったメッセージということになってしまいます。

 

これは気をつけていなければならないことです。

私たちが何より第一とするものは、

主への愛主の御声を聞き、それに従うということなのです。

 

右差し続く(ひとしずく・クラス1 パート11)<7つの教会>スミルナ

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関東地方は昨日から梅雨に入りました

昨日も一日雨降りとなり気温も低くなりましたが、

今朝は太陽の光を見ることができて、ほんの少しの間でも嬉しいですね

 

長野の姉から、家庭菜園の大きな玉ねぎが送られてきました

野菜が高騰している中で、とても嬉しいですね

早速、新玉しゃきしゃきサラダ美味しく頂きました

ありがとう~飛び出すハート

 

午後からまた急な雨が降りそうです

突然気候が変化し、先日の雹の被害も各地であったようですから

お出かけの際は、どうぞお気をつけてください

お祈りしていますお願い

 

 

(2020年6月ももちゃん

 

 

 *:..。o○☆゚・:,。*:..。oキラキラ

 

 

今日もありがとう~ラブラブ