(ひとしずく・①変化を求めて「みこころでしたら...」)信仰をもって求める | sarah‐mercy

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イエスの愛と共に
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~友人からのメール~

 

変化を求めて「みこころでしたら...」パート1

 

 あなたがたがわたしを選んだのではない。

 わたしがあなたがたを選んだのである。

 そして、あなたがたを立てた。

 それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、

 また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、

 父が与えて下さるためである。

                     (ヨハネの福音書 15章16節)

 

 その日には、あなたがたがわたしに問うことは、何もないであろう。

 よくよくあなたがたに言っておく。

 あなたがたが父に求めるものはなんでも、わたしの名によって下さるであろう。

                                                (ヨハネの福音書 16章23節)

 

 

何でも、イエス様の名によって求めるものは、天の父が与えて下さる、すばらしいことですね。

私は、天の父なる神様が、御自分に一生懸命従おうとしている子供達に

良くして下さる方であることを知ってほしいと思っておられると思います。

 

ただ、私達は、何を求めているかをはっきりと自分でもわからずにいる時があります。

あるいは何を求めたらいいかわからずにいる場合もあるかもしれません。

そして、自分自身を見つめて、現状に落胆してしまうというのはよくあることではないでしょうか? 

 

 

 それから、イエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った。 

 すると突然、海上に激しい暴風が起って、舟は波にのまれそうになった。

 ところが、イエスは眠っておられた。

 そこで弟子たちはみそばに寄ってきてイエスを起し、

 「主よ、お助けください、わたしたちは死にそうです」と言った。

 するとイエスは彼らに言われた、

 「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちよ」。

 それから起きあがって、風と海とをおしかりになると、大なぎになった。

  彼らは驚いて言った、

 「このかたはどういう人なのだろう。風も海も従わせるとは」。

                                      (マタイの福音書 8章23-27節)

 

人によって、それぞれ「こわがっている」ものが違うことでしょう。

今、「あらし」と思えることは、

もしかしたら、一緒にいる手ごわい人物に何を言われるかということかもしれません。

あるいは経済的なことかもしれません。

あるいは病気、将来の不安、あるいは幾つか重なったものかもしれません。

主が揺れる舟の中で弟子たちが体だけではなく、心も動揺していた時、

いましめられたのは、神がいっさいの権威を持っておられることをどうして忘れてしまうのか、

ということでした。

 

主は私達の弱さや、もろさを御存知です。

そして主は私達を救い出そうと思っておられます。

しかし、私達に「求める」こと、信仰をもって求めることを求めておられます。

 

 ただ、疑わないで、信仰をもって願い求めなさい。

 疑う人は、風の吹くままに揺れ動く海の波に似ている。

                                    (ヤコブの手紙 1章6節)

 

疑っているなら平安がありません。

そして自分が救い出されるという確信もありません。

 

 よく聞いておくがよい。

 だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、

 その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、

 そのとおりに成るであろう。

                   (マルコの福音書 11章23節)

 

この主の言葉は、とても明確です。

しかし、「心に疑わない」信仰をもって山に命じることができているかということが課題です。

ある人は、神にではなく、直接、山に命じていないからだ、ということを問題点にしていますが、

イエスの御名で父に祈るのも、イエスの御名で山に命じるのも、

イエス様に直接お願いするのも、どちらも働くと私は信じます。

 

問題は、疑いが心にあれば、なされないということです。

しかしどうしたら完全に疑いのない信仰を持てるでしょうか?

それが神の御心(御旨)だと確信できる時です。

 

神の「御旨」という言葉を聖書の検索プログラムを使って探してみました。

幾つかここに引用します。

 

 わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、

 ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。

                                           (マタイの福音書7章21節)

 

 わたしは、祈のたびごとに、絶えずあなたがたを覚え、

 いつかは御旨にかなって道が開かれ、

 どうにかして、あなたがたの所に行けるようにと願っている…

                                        (ローマ人への手紙 1章10節)

 

 そして、人の心を探り知るかたは、御霊の思うところがなんであるかを知っておられる。

 なぜなら、御霊は、聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである。

                                               (ローマ人への手紙 8章27節)

 

 あなたがたは、この世と妥協してはならない。

 むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、

 何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、

 かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである

                                 (ローマ人への手紙 12章2節)

 

 そこで神は御旨のままに、肢体をそれぞれ、からだに備えられたのである。

                                              (コリント第一の手紙 12章18節)

 

 神の御旨を行って約束のものを受けるため、

 あなたがたに必要なのは、忍耐である。 

                         (ヘブル人への手紙 10章36節)

 

 それは、肉における残りの生涯を、もはや人間の欲情によらず、

 神の御旨によって過ごすためである。

                          (ペテロ第一の手紙 4章2節)

 

 だから、神の御旨に従って苦しみを受ける人々は、善をおこない、

 そして、真実であられる創造者に、自分のたましいをゆだねるがよい。

                                             (ペテロ第一の手紙 4章19節)

 

 わたしたちが神に対していだいている確信は、こうである。

 すなわち、わたしたちが何事でも神の御旨に従って願い求めるなら、

 神はそれを聞きいれて下さるということである。

                               (ヨハネの手紙第一 5章14節)

 

私達は、神の御旨によって救われ、選ばれた者となりました。

神は私達を愛しておられます。

だから、私達は神の御旨を行いたいのです。

神の御旨は、引き続き、いかに神がひとりひとりを愛しておられるかを

示そうとしておられることだと私は信じます。

神は、私達のことを気にかけておられます。

 

 わたしたちは、御旨の欲するままにすべての事をなさるかたの目的の下に、

 キリストにあってあらかじめ定められ、神の民として選ばれたのである。

                                              (エペソ 1章11節)

 

 二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。

 しかもあなたがたの父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない。

                                                (マタイの福音書 10章29節)

 

 …求めなさい、そうすれば、与えられるであろう。

 そして、あなたがたの喜びが満ちあふれるであろう。

                                    (ヨハネの福音書16章24節)

 

 

ところで、私達は、長い間の困難な状況、抑圧の下での環境や、長引く病などによって、

それが神のみ旨であると思ってしまいやすいです。

確かに神の御心を行いながら、そうした状況下で忍耐し続けることが求められる時もあることでしょう。

それを通して私達は御心に服従することを学びます。

 

しかし、御心がしっかりと明らかでないように感じる時があります。

そしてその時こそ、神様の自分に対する思いを熟考する時ではないでしょうか。

そして「神は愛」であることを信じるからこそ、

救出」「変化」を真剣に、集中して求める時であるのかもしれません。

 

以下は変化と救出を求めた人の例です。

 

 イエスがイエスが山をお降りになると、おびただしい群衆がついてきた。

 すると、そのとき、ひとりのらい病人がイエスのところにきて、ひれ伏して言った、

 「主よ、みこころでしたら、きよめていただけるのですが」。

 

 イエスは手を伸ばして、彼にさわり、

 「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われた。

 すると、らい病は直ちにきよめられた。

                          (マタイの福音書 8章1-3節)

 

 

このらい病の人は、どれだけの期間らい病であったかは明記されていませんが、

全身らい病で、人から避けられ大変な状態だったことは察します。

「ひれ伏して言った、『主よ、みこころでしたら... 』という箇所から、

病にあっても尚、癒されるのも、そうでないのも「みこころ」次第という彼の信仰がわかります。

彼は、イエスのもとに来て嘆願するということによって、

信仰によって求めることをしました。

彼の信じていたことは、神よりのこの方は、自分の状況に介入して下さる、

この大変な状況も、病も解決して下さるかもしれない、

という望みをもってイエスに来たのだと思います。

 

人は、よくそこまで神にせまることをせずに、早々にあきらめてしまいます。

そして病気でいることがおそらくみこころで、

自分はこの状態からどうしようもないのだとあきらめてしまう傾向があるのではないかと思います。

天の父は、イエス・キリストを通して、御自身がどのような方であるかを示されました。

 

 神を見た者はまだひとりもいない。

 ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわしたのである。

                                                (ヨハネの福音書 1章18節)

 

 

天の父は、イエス様を通して、御自身が憐み深い救いの神であることを示されたのです。

人類に対する神の御旨は、罪におちいってしまった完璧からほど遠い、

問題を抱えた状態から救い出すということです。

この神の愛に対する、私達の側の信仰の表明を神は喜ばれます。

 

 

 信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。

 なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自身を求める者に報いて下さることとを、

 必ず信じるはずだからである。

                    (ヘブル人への手紙 11章6節)

 

あなたには、「主よ、みこころでしたら...」

イエス様のもとにたずさえて嘆願する事柄はありますか? 

あなた自身の状況、あるいは身近な人の状況のために。

 

 

パート2に続く↓

 

 

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たくさん『御旨』についての御言葉がありましたね

 

疑いがあるために、求めることさえしなかったり

あるいは現状維持するだけの中で「これがみこころだったんだ」と思い込んで納得したり

ただ、主の権威に対する確信も、それを求めて待つ忍耐もなくてあきらめてしまうこともあります

私たちは弱い存在なので、自分自身に対しても、周りの人に対しても

確かに、求める信仰がないために、ただあきらめてしまうことがありますね

私もそうです

 

それでも、神様は求めてほしいと望んでおられるし

もっと愛を受け取ってほしいと願っておられることがわかります

天の窓を開いて注ぐことのできる方に、もっと甘えていいはずです

 

さて、私は何を求めよう・・・

☆゚・:,。*:..。o○

 

昨日は次男夫婦と初めての場所に食事に連れていってもらいました

(実家に帰ったような雰囲気を味わうことができました…満腹です)

その後お茶をしようと思ったらもうお店が閉まるというので(早すぎー)

ゆっくりすることはできなかったのですが

新しいウォーキングシューズとケーキを買ってもらい帰ってきました

今までは子供のために選んで買っていたはずが、いつの間にか逆の立場になったことに

なんだか不思議で、そしてむずがゆいような嬉しさがあります

あまり自分のための買い物はしないので値段を見てはドキドキしたりして・・・

遠慮がちな私に

「急がなくていいよ、自分の足に合うものえらんで」の言葉かけに甘えて

いろいろ試して決めることができました

これでまた、楽しくウォーキングが続けられそうです

 

感謝します

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(2019年ももちゃん)

 

今日もありがとう~ラブラブ

 

 

 

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私達が主の御声を聞くことにおいても成長できますように。

「ひとしずく」の感想、関心のある方は、dorcas12@gmail.com へご連絡ください。  

 

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