(ひとしずく・③恐れを打ち砕く信仰)目のひとみのように守る | sarah‐mercy

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右差しパート②からの続き

 

 

 

~友人からのメール~

 

「恐れを打ち砕く信仰」 パート3

                    (2020年5月27日聖書クラス)

 

不信仰により約束の地に入ることを自ら拒否したイスラエルの民は、

その後40年の間、荒野でさ迷い暮らすこととなりました。

神は、イスラエルの民の不信仰と不平不満の態度に幾度となく忍耐され、

彼らを養って来られました。

民数記14章22節では、

「わたしの栄光と、わたしがエジプトと荒野で行ったしるしを見ながら、

このように十度もわたしを試みて、わたしの声に聞きしたがわなかった。」

と神が言われています。

主がいかに忍耐を持たれ、赦し続けてこられたかということです。

 

申命記の32章10~14節、そしてネヘミヤ9章19~21節などを読むと、

荒野においてイスラエルの民を導かれる神の愛と忍耐を知ることができます。

 

 主はこれ(イスラエルの民)を荒野の地で見いだし、獣のほえる荒れ地で会い、

 これを巡り囲んでいたわり、目のひとみのように守られた。

 わしがその巣のひなを呼び起し、その子の上に舞いかけり、

 その羽をひろげて彼らをのせ、そのつばさの上にこれを負うように、

 主はただひとりで彼を導かれて、ほかの神々はあずからなかった。

 主は彼に地の高き所を乗り通らせ、田畑の産物を食わせ、

 岩の中から蜜を吸わせ、堅い岩から油を吸わせ、

 牛の凝乳、羊の乳、小羊と雄羊の脂肪、

 バシャンの牛と雄やぎ、小麦の良い物を食わせられた。

 またあなたはぶどうのしるのあわ立つ酒を飲んだ。

                                   (申命記32章10節~14節)

 

 あなたは大いなるあわれみをもって彼らを荒野に見捨てられず、

 昼は雲の柱を彼らの上から離さないで道々彼らを導き、

 夜は火の柱をもって彼らの行くべき道を照されました。

 またあなたは良きみたまを賜わって彼らを教え、

 あなたのマナを常に彼らの口に与え、また水を彼らに与えて、かわきをとどめ、

 四十年の間彼らを荒野で養われたので、彼らはなんの欠けるところもなく、

 その衣服も古びず、その足もはれませんでした。

                                (ネヘミヤ9章16~21節)

 

 

荒野での40年間は、神の裁きというよりも、

彼ら自らが選択した結果と言えると思います。

しかし、そんな不従順なイスラエルの民に対する神の愛は変ることはありませんでした。

 

残念ながら、ヨシュアとカレブ以外の第一世代と神に背いた者は、

荒野に倒れることとなりましたが、神は残された者たちと共にいて、彼らを養い、

信仰の訓練、尊い教訓を与えて約束の地に入るための備えをしてくださったのでした。

彼らは何もない荒野で、神に目を留めるようになります。

こんな荒野にあっても自分たちに食糧や水を与え世話し、教え諭してくださる神が共にいて下さる。

この神がついておられるなら、自分たちに不可能はない。

そういう信仰に成長して行った40年間だったのです。

 

彼ら新しい世代は、自分たちの前の世代の人たちが、

不信仰のゆえに入れなかった約束の地カナンに、今度は信仰をもって入って行くわけです。

その約束の地にある問題、状況は40年前と何も変わっていません。

そこには相変わらず巨人がいます。

しかし、荒野で訓練されたイスラエルの民はそれらの困難など目にも留めず、

ただ神を恐れ、神の約束に信頼する信仰によって進んで行く者とされたのです。

そして彼らはついに神が約束された地に入り、

そこを安住の地とすることができたのでした。これが信仰の勝利です。

これが神が私たちに与えたい祝福、味あわせたい喜びなのです。

神様の約束は真実です。

 

しかし、その約束を手にするには、信仰のテストを伴う困難がつきものなのです。

神は、「あなたはこれをしなさい。そうすれば私はあなたを祝福するよ」

と言われます。

その時、信仰がない者は怖気づいて、

「いやそんなことは私にはできない。

そんな祝福などつかむことなんて絶対無理に決まっている。

だって、ここにはこんな困難があるから、できるはずがないだろう」

と言うのです。

いくら神を知って受け入れクリスチャンになったとしても、

この信仰を持ち続けて歩まないなら、何の勝利もなく、またクリスチャンとしての成長もなく、

ただクリスチャンになっても何もいいことがない、とぼやく苦しいだけの

信仰生活になってしまうと思います。

 

神を見上げ、神に信頼する信仰、それこそが恐れを打ち砕き、

喜びをもって神の御心に生きることのできる鍵であり、

神が私たちに与えたいものなのです。

 

 

パート④に続く

 

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 信仰を持ち続けて歩まないなら、何の勝利もなく、

 またクリスチャンとしての成長もなく、

 ただクリスチャンになっても何もいいことがない・・・・・・

 

そのように感じているクリスチャン、あるいはそのようにクリスチャンを見ている人が

いるのではないかと思います

しかし、そこから信仰のテストによって主の助けを借りて乗り越えていく人

あるいは、自分の力にだけに頼り倒れる人をみることによって

神さまがどのように働いているかという事も、見ることが出来るのではないかと思います

 

申命記にある・・・「目のひとみのように守られた。」

とあるように、たとえ私たちが不従順であっても

神さまは私たちのことをそれほども大切に思ってくださっていることを知ることができ

神さまを信頼することができますように

 

感謝します

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                                                 (写真はお借りしました)

今日もありがとう~ラブラブ                                                                  

 

 

 

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こちらで全文読めますよ~下差し

http://www.kyusokutoiyashi.com/publication/ainomonogatari/「愛の物語」絵本

http://www.kyusokutoiyashi.com/publication/kurisumasunoai/「クリスマスの愛」絵本

 

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