「臨死・そして与えられた2度目の人生」/ハワード・ストーム | sarah‐mercy

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イエスの愛と共に
猫にも花にも愛は注がれている


臨死・そして与えられた2度目の人生-Howard Storm "My Descent into Death"

2015/09/02 に公開
ハワード・ストーム著 「臨死 そして与えられた二度目の人生」
https://www.youtube.com/watch?v=4xgmZQe9DlE

<書籍リンク>
http://www.amazon.co.jp/dp/4990837304
Howard Storm during his NDE asks who Jesus was and this is the answer he received.
ハワード・ストームは死んで黄泉に下り、その後、イエスキリストに救出され、
たくさん­の質問をしました。その答えとは?

<書籍内容紹介>
北ケンタッキー大学の元芸術学部長で芸術家だったハワード・ストーム­。
かつて完全な物質主義者で無神論者であったが、1985年6月1日に臨死体験をし、
­黄泉・地獄の淵に行く。
そこにいた生きものとは?そこに救出に来た人物とは?
ハワード­はその後人生が180度変えられ、牧師となる。

人間とはなにか?死んだらどうなるのか­?天地万物はどこからきたのか?
地球以外に生命はあるのか?なぜ、世の中に戦争が起こ­るのか?
第3次世界大戦は起こるのか?なぜ、ホロコーストが起きたのか?
なぜ、神は酷いことが­起きることを許されるのか?地球の未来の姿はどうなるのか?
善良な人に悪いことが起き­るのはどうしてか?どの教派が一番良い教派なのか?
これらはハワードが臨死体験をした­時に、直接天にいる聖なる者たちに聞いた質問である。これらの質問に答えが与えられる­なら、生きることは、もっと意味のあるものとなるだろう。
彼らが与えたその答えとは?

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(文字起こし)

私は38歳の大学教授で美術を教えており生徒と妻を連れ
3週間のヨーロッパ旅行に来ていました。
最終日の前日パリでのことでした。午前11時に十二指腸に穴が開いたのでした。
経験した事もないような鋭い痛みで床に倒れ、床の上でのたうち回って怒鳴ったり
叫んだりして、妻がホテルのデスクに連絡し、医者が来ました。
医者は事態を把握し、救急車を呼び、そこから8マイル離れた
パリの公立病院の緊急治療室に入れられました。

そこで二人の医師に診察され、別の病棟にある整形外科に連れて行かれました。
そこでも手術が出来る医師がいなかった為8~10時間も放置されたのです。
病院で薬も検査も何の手当てもなく、ずっと待たされたのです。
緊急手術が必要な状態だったのに、夜8時半に看護師が来て、今度は執刀医がいない為
手術は翌日になると言いました。
それを聞いた時に、自分はもう終わりだと思いました。
私が生きていた理由は、ただ死にたくなかったからでした。
死ぬのが凄く怖かったのです。
何故なら自分は、束の間の快楽を求めて生きてきた無神論者で
何も信じていなかったからで、痛みの次に死ぬことは最も恐ろしい事でした。
命が終わった後は無となるからです。

でも、看護師に言われた時、この痛みにもう1分、もう1時間耐えるのは意味のない事だと
思い、妻に「もう自分は死ぬのでお別れだ」と言いました。
彼女はベッドに横たわっている私に腕を回し、互いにどれほど愛しているか伝え合いました。
とても、悲しかった。
ついに彼女は終わりと知って、座り込んでしまいました。
激しく泣く彼女を見るのは辛かったので、目を閉じて全てを手離し
無意識の状態になりたかった。

おそらく数分間、無意識でした。その後、また意識が戻り、目を開けると
自分はベッドの横で立っていたのです。
自分がどんな状況に置かれていたのか分かっており、混乱はしていませんでした。
今までの人生のどんな時より、生き生きと感じていました。
人は「幽霊になったのか?」と聞きますが、その反対で、より生き生きとしてきました。

ベッドにシーツがかけられ、その下に人の身体がありました。
かがんで顔を覗き込むと、それは私の顔のように見えました。
そんなことはあり得ない、自分はここにいて元気に立っていたからです。

そこで妻に話しかけようとし---『聞こえるか?聞いているのか?』
彼女は僕のことが聞こえも見えもしなかった。---『いったい何が起きてるんだ?』
でも、彼女が私を無視していると思って私は怒り、この状況があまりに奇妙すぎて
あり得ないと思いました。

病院のガウンを着て、何もかも現実に起こっているのに、こんなおかしなことが
あるわけ無いと思いました。
すると部屋から“ハワード、急いで私たちと一緒に来てください”
と、やさしげな声が聞こえてきました。
だから廊下に行くと、そこは湿っており暗いというよりか灰色がかっていて
そこに人がいました。
病院の制服にも見える衣服を着た男女でした。
“ハワード!早くこちらに来てください。私たちと一緒に来てください。待っていたんですよ”

私は、明るく清潔な部屋から、暗くじめじめした廊下に出ました。
私は、彼らについて行きました。長い道のりでした。
そこは時間がない世界で、時間は幻想に過ぎませんでした。
彼らは私を取り囲むように歩き、辺りは益々暗くなっていきました。

やがて彼らは、あからさまに敵対心を見せるようになってきたのです。
初めは、わたしを一緒に行かせるために優しく話しかけていたのに、
今や“黙れ!早く動け!質問するな!”などと怖い態度になってきたのです。
そして、辺りも暗闇になっていき、自分がどこにいるのかも分からず、攻撃的な人たちに
囲まれて、恐怖でいっぱいになりました。
私が「これ以上、一緒に行かない」と言うと、彼らは“もうすぐだ!”と言って
私を押したり、ど突いたりし始めたので、彼らから逃れようとして戦いが始まりました。

彼らは、始めは10人位だったのに、今やおそらく100~1000人以上いたかもしれません。
彼らは私をいたぶり始めたのです。彼らは私を殺すこともできたのに、そうはしなかった。
彼らは、自分らの痛みを私に味合わせようとしていたのです。
私が苦しむのを見て、そこから喜びと満足を得ていたのでした。

彼らが最初にしたのは・・・あまり酷いので細かく説明しません。
それは本当に酷いものでした。
彼らは、私を、
引き裂き、噛み付いたりしました・・・。

彼らから逃れようと応戦したのですが、相手は何百人もいたので蜂の巣の中にいるようでした。
やがて、地面に倒れて、身体中引き裂かれ、身も心も痛みました。
でも、自分に起きたことに対する感情的な痛みの方が、肉体的な痛みよりも耐え難かった。
ここまで貶められたことはなく、これほどの不正義や悪事を体験した事がありませんでした。

――――――

すると、私は「声」を聞いたのです。
それは神の声でも、自分の(今まで聞いている)声でもなく、私の「声」でした。
自分は話していないのに、自分の声を聞いたのです。
私の良心か何かは分かりませんが「神に祈りなさい」と言うのが、はっきり聞こえました。

「私は神など信じていない」と考えていると、「神に祈りなさい」とまた聞こえました。
でも23年も祈っていなかったので、祈り方が分からなかったのです。
そこで、幼い頃、教会の日曜学校で祈っていた祈りを思い出そうと思いました。
私にとって祈りは、学んだ聖句を繰り返すことだと思っていたからです。
「主は私の羊飼い・・・」「日ごとの糧をお与えください・・・」とか
全部ごちゃ混ぜになって、思い出せなかった。

でも私が「神」と言うたびに、私に攻撃を与えている者たちは煮えたぎる湯を
浴びたかのように悲鳴を上げ始めたのです。
彼らは地上のあらゆる冒涜の言葉よりも酷い言葉で罵りました。

私が「神」と言うことに耐えられなかったのです。
「神」のことを聞くのが苦しくて、後ずさりをし始めたのです。
「神」のことを話せば彼らを追いやる事が出来ると気づき、色んな祈りを混ぜながら
思い出して祈っていると、やがて彼らは一人もいなくなり、私は一人になりました。

時間の概念のないところに長い時間一人でいました。
そこで私は、自分の人生を振り返り、自分がすべきでなかったことや
すべきだったことなど考え、この状況を考えていました。

そして結論づけたのは、私は大人になって今までずっと、自己中心に生きてきたと
いう事でした。
自分自身を「神」として生きてきたのでした。
自分が本当に大きな間違いを犯してきたことに気づきました。

私を攻撃した人たちは、私と同類のような人たちで、怪物でも悪霊でもなく
この世に生まれた意味を完全に見過ごした人たちだったのです。
彼らは冷酷で、自己中心的な生き方をしたので、死後も自己中心で冷酷さしかない世界で
存在し、自分たちの苦痛を、お互いや自分に負わせる運命にいたのでした。
おそらく、永遠にずっとそのままです。
そして、私も今や、その一人になってしまったのです。

そこには居たくなかったけれども、自分にふさわしい場所のようでした。
自分がそのように生きてきて、その刈り取りをしているんだと思いました。
その痛みと言ったら、いいようがありません。
私は永遠と思えるような時間、そこに横たわっていて、自分の信仰について考えていると
思いの奥で、幼い頃に日曜学校で「イエスは僕を愛している・・・♪」と歌う
自分の姿が浮かんできたのです。
「イエスは僕を愛しているララララ・・・♪」
「イエスは僕を愛しているララララ・・・♪」

子供の自分が、そのように歌っているのを聞きながら、心の中で自分が幼く無垢だった頃
この世には善があると信じ、自分以外にも信じるものがあり、私を本当に愛し、
心配してくださる全能の方を信じていた時があったことを思い出しました。
その頃信じていたものを取り戻したくなったのです。

私は暗闇の中で「イエスよ!私を救ってください!」と叫びました。
するとイエスは来てくれたのです。
初めは闇の中に小さい光が見え、そしてものすごい速さで明るくなったのです。
この世で起こっていたら、あまりの明るさに私は燃え尽くされていたと思いましたが、
そうではなくて、熱くもなく危険でもない光が、私のところに来てくれ、
主はこの光の中におり、私に近づき優しく抱き起こしてくれました。

主の光の中で、傷だらけの自分の身体が見え、まるで道端に転がる、車にひかれた動物の
ようでしたが、イエスが優しくそんな私を抱き寄せ、イエスが触れると全ての傷、汚れ
痛みが消えて無くなったのです。
まるで蒸発したかのように無くなりました。
私は癒され、完全なる自分となったのです。彼の腕の中で主の愛を感じました(涙ぐむ)

その愛を上手く表現する方法がなくて歯がゆくなります。
人生で最高に素晴らしい瞬間だったのですから・・・。
それは、あらゆるものの全てでした。
生命が知るべき愛そのもので、それを表現するすべがありません。
父や母が、息子や娘を抱くように、イエスは私を抱き、優しく背中をさすってくれました。
私は喜びのあまりに、赤ちゃんのように大泣きをしました。(涙ぐむ)
失われていた者が見つかり、死んでいた者がよみがえり、命を与えられたからです。

そしてイエスは闇から私を連れ出し、上へ上り始めました。
私たちは光の世界へ向かい始めたのです。
ところが、私は急に自分を恥ずかしく感じ始めたのです。
ずっと酷い人生を生きてきたので、自分が汚いゴミのように感じ始めました。

私は「イエスは間違えているに違いない、私はここにふさわしい者ではない」と思い
「私のような悪者を愛することが出来るわけがない」と恥に思ったのです。(涙)

すると、私たちは止まりました。
地獄でもない、天国でもない、中間で止まったのです。

そしてイエスは「私たちは間違いを犯さない。あなたはここに属する者だ」と言ったのです。
私たちは会話をし始め、イエスは私の人生の始まりから終わりまで一緒にいてくれた
天使たちを呼び集めました。
彼らが示したかったことは、人生において犯した私の間違いと、良い行いでした。
全人生を見なくても、それは本当にシンプルな教えで
私が思いやりと愛と親切心を持って人に接した時、
天使やイエス、そして神を喜ばせていたと教えました。

私が人を巧みに操ったり、自己中心でいた時、天使やイエスを悲しませ、
神を悲しませていたのでした。
彼らが教えたかったことは、つまり、
神を愛し自分を愛するように隣人を愛するということで、私たちはその目的の為に
創造されたのに、私にはそれがまだ出来なかったのです。

――――――

彼らは私が地上に戻らなければならないと言いました。
私はこのまま天国に行きたかったので動揺しました。
彼らが教えてくれた天国は最高に素晴らしくて、誰もがそこに行きたいと思うでしょう。
私もそうでした。
でも彼らは、まだ私の時ではないと言い、地上に戻って、
神が、私に望む人生を生きるようにと言われました。

私はイエスと天使に、この地上で彼らなしには生きられないと伝えました。
彼らと離れ離れになって、地上に戻されたら、心が壊れてしまうと言いました。
すると彼らは、
「私たちは今まで、あなたとずっと一緒にいたことを示してきたのに、
まだわからないのですか?あなたは地上で決して一人ではないのですよ」
と言いました。

そこで私は「あなたが傍にいるということを時々見せてくださいね」と言うと
「あなたが祈り、神に自分の罪を告白し、あなたの持っている全ての心配事や、
好きなこと、希望や夢をすべて神に委ねるなら、我々が共にいることを
心で感じる時があるだろう。見えなくても、私たちに愛されていることを感じるだろう」

彼らはいいました。
私が「その愛を感じられるのなら、この地上で生きていけるでしょう」と言うと
「そうしよう」と彼らは言い、私を地上に送ったのです。

――――――

その体験後、先に「翌日まで執刀医が見つからない」と言った看護師が戻ってきて
「今、医師が到着しました」と言いました。
もう9時半だったので、それも奇跡でした。
「これからすぐに手術をします!」と言い、スタッフが来て妻を部屋から追い出しました。
私は妻に、今起こった出来事を話そうとしていたので、手術室に連れて行かれて
心が乱されましたが、妻に「全てがうまくいくよ」と言うと、彼女は泣き出しました。
私は死にそうだったからです。

――――――

不思議なことに、この体験の記憶は決して色あせず、とても強烈で
これからもずっとそうであるかわからないけど
神がこの体験を私に下さったのは、この体験を分かち合うことによって
知らない誰かを、助けることが出来るからです

                     (文字起こしおわり)


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過去記事でハワード氏の動画(2014/10)の
文字起こしが載せてありますので
重複するようですが、よろしければこちらもどうぞニコニコ
まだ、牧師になっていないハワード氏の違いも見てとれるのが興味深いです


★「元無神論者大学教授ハワード氏の黄泉から天国 臨死体験を語る」パート1

★「ハワード氏の黄泉から天国 臨死体験を語る」パート2



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今日も朝から雨ですね
ちょっと腰を下ろして本でも読みましょうか

実りのある時間を過ごせますように

感謝して祈りますラブラブ








おや、夏のわすれものを取りにきたの?
               こんなところにヒメヒオウギスイセンが咲いてる








      


 



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