こんばんは
merci decoの森谷ユフコ(もりやゆうこ)です
今まで導かれるように叶えてきた出来事を書いた記事をまとめてみました♪
人生最大の引き寄せシリーズ
夢を引き寄せるミラクルストーリー定義27<人生最大の引き寄せ①>
夢を引き寄せるミラクルストーリー定義28<人生最大の引き寄せ②>
夢を引き寄せるミラクルストーリー定義29<人生最大の引き寄せ③>
夢を引き寄せるミラクルストーリー定義30<人生最大の引き寄せ④>
私の生い立ちシリーズ
前回の記事
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今日は森谷ユフコのつくり方、前回は検査入院の結果、不調の原因は目の悪さと寂しさ・・・と言うことが判明しました。
入院で思い出しましたが、私はその時の入院が初めてではありませんでした。
恐らく、3〜4歳?頃のことだったと思いますが、やはり高熱が続き病院へ行ったところ、「しょうこう熱」と言う伝染病の診断をくだされなんとその小ささで隔離病院へ入院させられることに
後に、その診断は違うということになったそうなのですが、当時は両親もそれを信じて泣く泣く3歳児を隔離病棟へ
私も幼いながらもその時の事はうっすらと覚えているのですが、天井の高い広い薄暗い部屋に檻のようなベッドがいくつかあり、私と同じような子供たちが数人そこにいました。
両親や親戚の叔父や叔母たちはお見舞いに来る度に、後ろ髪を引かれる思いで病院を後にしたそうですが、私は健気にも泣いたり、帰りたいと言ったりせずにみんなを見送っていたそうです。
その不憫な姿を見て、帰りにはいつも泣いていたと母が後に話してくれました。
私もその時の記憶が何となくあって、みんなが帰っていくのを檻のベッドの中から「バイバイ」と見送っていたように思います。
ただ、その時の記憶であまり嫌な感じは残っていなくて、きっと病院の方々がいい人だったのと、一緒に数人子供がいたのが心強かったのだと思います。
あとは、何となくいつか帰れるとわかっていたように思います。
恐らく数週間で退院しましたが、そのあとしばらく「あの子は伝染病だから」と影口を叩かれたと言っていましたが、両親は強い人たちだったので、そこから引っ越すこともなく堂々としていたら、次第にその噂もなくなり普通に過ごせるようになったようです。
きっと両親が取り合わなかったから噂するのも飽きたのでしょうね
そう考えると、両親もだけど私も強かったんだなぁなんて、3歳の私に関心したりします
そして、あの時に周りの目を気にせず普通に過ごさせてくれた両親にも感謝です
今もあの病院あるのかなぁ。
今日も読んでくださって
ありがとうございます
ユフコ
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