自粛営業の本音と建前 | 銀座一丁目の英語発音教室「メントール」のブログ

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緊急事態宣言が発令されて、平たくいうと


「あくまで強制ではないが、言うことを聞かなかった店はさらし首にする(自粛営業をしていない店の名前をリストにして公表する)」


という恐ろしい事になっているため、少なくとも私の目に入る範囲の銀座、有楽町、東京、日本橋界隈の飲食店は軒並み、27日まで完全休業という店と、ラストオーダー19時、20時閉店という宣言をしています。



でも、土日はともかく、平日に会社勤めの人が19時ラストオーダーで20時に食べ終わって会計終えて店を出るとなると、コース料理の提供はほぼ不可能でしょう。


そんなこともあってか、外から見える範囲でも、人気レストランもディナータイムがガラ空き。


かなりの数のお店が潰れそうな予感がします。


コロナ前、私が気に入っていた個人営業のお店も半分くらい潰れてしまいました。



小さいながら、人気店だったのに。


生き残っている店の多くは、自粛期間中もドアや窓を開け放って、営業を続けていました。


飲食店って、ハイ、この期間だけ休むから休みが終わったらまた元の通り昔来ていた人が戻ってくるかといえば、そういうもんでもないと思うんですよね。


外食が習慣づいている人は、もちろんその店が気に入っているから常連になっていたのでしょうけど、お店が休みの時でも外食グセがなかなか抜けず、空いているお店の中から新たなお気に入りを探したりして、ある意味状況に適応しようとするのではないでしょうか。


だから、顧客にとっては、新たな出会い(店との)を模索するチャンスでもあるし、いいことでもありますが、元々通っていたお店からするとたまったもんじゃないですよね。


何が言いたいかというと、自粛期間で短縮したり閉めたりすることで失ったものは、通常化したらそのまま取り戻せるわけじゃないということです。



政策を決める人間はその辺りが分かってないように思います。


じゃあ、感染者数が増えている中で、そのままでいいのかと言われればそうではないので、そこが辛いところなのですが、このような状況で飲食店を経営するのは本当に大変だと思います。


今日はまたま会食の約束があり、今日を逃すとしばらく無理そうなので決行したのですが、18:30スタートで、20時閉店なので結構慌ただしいかな、と思っていたら、お店の人が「20時までに会計を済ませていただきますが、10分とか20分過ぎても大丈夫ですよ」と言ってくれました。


そして、実際に店を後にしたのは20:30過ぎでした。


他のお客さんはまだ残っていて、追い出す様子もありませんでした。


結局、さらし首にされないために、建前上は20時閉店と言うけど、実際には21時近くまでお店に残らせてくれる店が大半なのではないか、と思います。


まあ、インド料理の店だったからかもしれませんが。日本人ならもっと厳格に時間厳守するのか、その辺りはまだわかりません。


本音と建前は違う、と言うことですね。


こういうのは実際に自分で足を運んでみないと得られない情報です。


ネットでなんでも現状把握できると思っている人が多くて危なっかしいなあと思います。



でも、それはよくあることなので、少なくとも自分は可能な限り実際と、ネットで多くの人が解釈している状態とのギャップを知っておきたいと思います。




いつもの年なら、3連休の日曜日は初釜(濃茶薄茶だけでなくてお炭点前から懐石まで一通り入っている1日がかりの新年のお茶の行事みたいなものです)なので、着物の準備して早寝しているところですが、今年は初釜も中止。



なので、女子大の茶道部時代からの友人と、せめてもの初釜気分を味わいに、赤坂の虎屋さん本店で花びら餅とお抹茶一服いただきに行ってきます。




もう20うん年続く習慣なので、初釜がないと1年が始まった感じになれません。


あると心が落ち着くけど、ないと落ち着かないのが決まった行事の良いところでもあり、困ったところでもあります。



私にとって、初釜とはただの行事ではなく、1年を無事に終えられ、始められたことの証のようなものなのです。


11月に出欠の確認が来て、出席するとお返事をして、どの着物を着るのか考え、メントール英語発音教室の近くにあるイケてるけど全然気取ってない着物屋さんで帯揚げ帯締めを新調して、長襦袢に半襟を縫い付けたりして準備して、ネイル落として、、、、などなど色々な準備をする余裕があるのは、1年間どうにか無事にサバイバルできたと言うことに他なりません。


↓去年の初釜で辻占(つじうら)が私にこんなメッセージを送ってきた。↓私、なんか悪いことしました?




そして、当日お席入りして、先生に新年のご挨拶をにこやかにできるのも、先生が着物姿で私たちを迎えてくださるのも、色々なことがどうにかうまくいき、みんなが健康であることの証。



数年前、先生が膝を痛めて1回だけ洋服姿で迎えてくださったことがあり、やっぱり初釜のお席でみんな着物を着て出席できるということの意味を再認識しました。


来年は、この時期に着物の準備をしていられることを願うばかりです。