気分爽快カウンセラー、高橋かのんです(^-^)
もうひとつ、おじとの関わりの中で考えたことがありました。
それは、「怖い」と「大丈夫」の感覚についてです。
到着翌日、おじが近くのダムに連れて行ってくれました。
車で行ったのですが、
私には、どうも、おじの運転がちょっと怖い。
車間距離が狭いのです。
「”狭い”と私が思っている」
という方が、適切でしょう。
でも、おじには、それが普通なんですよね。
それで、「十分」であり、「大丈夫だ」と思っている。
ちなみに、
今回だけのことなので、現実的には、
ま、いっか、と過ごしました。
ときどき、「ぶつかりそう!」と
ドキッとするだけですから(;^_^A
でも、普段の生活でも、何かに対して、
「怖い(心配)」と「大丈夫(平気)」って感覚には、
個人差がありますよね。
そんなとき、自分の正しさを言い合ってしまったりって
あるように思うんです。
そういうときのことを、
今回のことを例に、考えてみたくなりました(笑)
例えば、今回、私が、
「こんな車間距離だと危ない(狭い)よ」
と言っても、きっと、おじは受け入れられないですよね。
「そんなことないよ、大丈夫だよ」
なぜなら、「これまでの経験」に裏付けられているわけです。
「いや、危ないって」
って私が言っても、埒はあきません。
なにせ、この場合、根拠は、自分が怖い、どきっとする
ってだけですものね(゚ー゚;
そして、感情論で、「怖いよ」と言ったとして
「なんだよ、信用してないんだなぁ」なんて捉え方をされると、
また、問題がねじれてしまうわけです。
(実際のおじは、「そうかい?」なんて、聞き入れてくれそうですけど(^_^;))
じゃあ、どうすれば、互いに歩み寄ることができるのでしょうか?
そう考えた時
「①経験」と「②教育(正しい知識)」ってことになるんじゃないかなって
思いました。
例えば、
私側が歩み寄るきっかけになるとしたら
①経験 : 何度も車に乗って、慣れてきて
「なんだ、これでも大丈夫なんだ」 って学習すること
②教育 : 「この車は軽自動車で、助手席から車の先端まで
〇メートルしかないから、普通の車よりも、
車間距離が狭く見えるかもしれないけど、
実際はあいていて、大丈夫なんだよ」
と説明を受けるなど
おじ側が歩み寄るきっかけになるとしたら
①経験 : 大丈夫だと思っていたのに、
ヒヤリのニアミスにあってしまう。
「大丈夫じゃなかったんだ。
もっと、あけないとだめだな」
と反省する。
②教育 : 「歳をとってくると、〇秒反応が遅くなってくるから
今までは、これで大丈夫だったかもしれないけれど、
これからは、念のために、もう〇メートルは、
開けておいた方が安全だよ」
など、何かのエビデンスと共に伝えるなど
なんてことがあると、
どちらかに歩み寄り易いのではないでしょうかね(・ω・)b
・・・それにしても、
我ながら、なんとまぁ、こんなことを
よくも、こちょこちょ考えてるなぁ(苦笑)
はい、こんなこと考えてるの、
「あ、そーかぁ」なんて
楽しかったりするんですよ~(;^_^A
今日も、最後まで読んでくれて
ありがとうございます(^-^)
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