こんにちは、しゅんすけです。


今日は 心の脱力 というお話です。








今日は、ちょっとした昔話から始めようと思います。



初めて小学校に行った時

「起立!」

という声がしました。



周りは一斉に起立をしましたが、人間しゅんすけさんは「… キリツ?何それ?」でした。




数秒遅れて、見よう見真似で起立をしました。




その時は、少し焦って、少し恥ずかしい気持ちになって… それからというもの、周りにアンテナを張るようにしました。




周りに合わせる、とか。

普通のフリをしよう、とか。

意識し始めたのです。





数日経って

普通のフリをする息苦しさに参ってしまい

「これはアカン!」

と思ったものです。




だから、やめました。








周りの人に合わせようとすると苦しくなる。

普通の人のように振舞おうとすると苦しくなる。



言い換えると



自分らしく生きないと苦しくなる

マイペースで生きれば楽になる

という学びを得たのでした。








周りに合わせようとする、普通でいようとすると、いわゆる他人軸。


いつも何かに警戒したり、気を配ったりしていないといけませんから、心はずーっと力みっぱなしです。



勉強も、遊びも、何をするにしても身が入らないし、生きることが曖昧になっていきます。





自分らしくマイペースでいいと思えば自分軸。


心は脱力しています。


勉強も、遊びも、何をするにしても思いっきりできます。




思いっきりすれば、成功でも、失敗でも、清々しいものです。









人体とはおもしろいもので

緊張したら汗が出てきたり

緩むと笑いが起きたり

心の動きが、生理現象として現れます。



それは、筋肉の運動です。



いつも心が緊張しっぱなしだと、いつも特定の筋肉が緊張しっぱなしになります。


特定の筋肉の緊張は、特定の関節に負荷をかけます。


数年、数十年経てば、関節が固くなり、四十肩や五十肩、足腰の関節に影響が出てきたりします。






20歳の顔は自然から授かったもの。

30歳の顔は自分の生き様。

50歳の顔にはあなたの価値がにじみ出る。



そんな言葉もあるように


心の状態は、数年、数十年かけて、具現化されてきます。




見る人が見れば

顔や体を見ただけで

どんな生き方をしてきたのか?

どんな心の在り方だったのか?

一目瞭然なのでしょう。








例え、今までの生き方がどうであったとしても、本当に望めば、人は変われるものです。



今の心の在り方にダメ出しをしたり、自分を責めたりするのは変化を恐れ、変わりたくない気持ちの現れなのかもしれません。




自分にダメだしをする、とか

自分を責める、とか

それ自体も心の緊張なのです。



その緊張に気づいて、私は緊張しているんだな、と自分を受け入れていきましょう。


受け入れていけば、少しずつ、恐れや不安が解消されていきます。








人は本当にリラックスしているならば、日向ぼっこをしている猫のようにノンビリしています。






気が向いたら、自分の心にも

そんな一時をプレゼントしてみてください。








心がどんなに動いても

ポジティブだろうがネガティブだろうが

受け入れてあげてください。




モヤモヤするね〜、とか

怒ったね〜、とか

楽しいね〜、とか

ただただ受け入れてあげてみてください。






筋肉が脱力を覚えれば

緩急自在になれば

最大限の力が発揮できるようになりますが



心の脱力もできるようになって

「自分」を最大限、活かせるようになるでしょう。





その境地までくれば、悟りはもうスグそこです。










今日のお話はここまでにしたいと思います。