こんにちは、しゅんすけです。
今日は 二元の世界 というお話です。
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戦いは、自分と相手がいないとできません。
自分と相手がいて、初めて成立する「二元の世界」です。
物質世界をみれば
敵と味方、賛成と反対、正義と悪
があって、その土台には
利益供与、既得権益、陰謀、駆け引き
があって… たくさんの戦いがあります。
様々な人々が、それぞれの思惑で言動を起こして現実世界が作られています。
だから、一人ひとりの思惑が、現実世界を作っています。
突き詰めていけば、戦いの原因は、一人ひとりの思惑にあります。
一人ひとりの思惑、内面世界を見れば
愛と憎しみ、支配と恐怖
喜びと不安、欲望と快楽 …
いろんな思いが戦っています。
内面世界での戦いが
物質世界での戦いを生みだし
笑う人もいるし、泣く人もいます。
つくづく「二元の世界」の賜物です。
「自分」という意識が「相手」を生みだし、戦いを可能にします。
もし、あなたにも「自分」という意識、感覚があるならば、あなたの身近にも戦いはあるでしょう。
戦いの現れ方はそれぞれです。
口ケンカ、かもそれないし
暴力沙汰、かもしれないし
闘病、かもしれないし
老化、かもしれないし
良心の呵責、かもしれないし
自己矛盾、かもしれないです。
いずれにせよ、戦いがある以上、それに関わる一人ひとりの内面には「自分」があって、それぞれ「自分のために」行動しています。
一人ひとりの中にある恐れが強くなれば、戦いはより激しくなっていき、「自分」と「相手」の命が失われていきます。
そして、生物、地球の命も失われていきます。
そうした痛みや苦しみを糧に、人は成長していきます。
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戦いをやめて、平和を望むならば、一人ひとりが自分の恐怖と戦わねばなりません。
戦いをはげしくしたいならば、恐怖をあおり、一人ひとりの意識を物質世界へ向けさせればいいです。
ある意味、カンタンな話です。
歴史を見れば、殺人、命を奪う行為を正当化するために、聖戦をうたう場合もありましたが
人間しゅんすけさんの勝手な主張をするならば、一人ひとりが自分の恐怖と戦うことこそ、聖戦だと思います。
土地とか、資源とか、既得権益とか、陰謀とか…
そういった物質的な戦いの背景には
必ず、一人ひとりの恐怖があるのです。
恐怖にまかれて
人が人を傷つけたり、殺したりしなくても
地球も代謝しているから
必要な淘汰は起こるし、生と死は循環します。
大事なのは
一人ひとりが自分の恐怖と戦うことです。
この聖戦は、恐怖を敵視するのではなく、恐怖を認めること、受け入れることで終わっていきます。
怯えている「自分」を認める、受け入れることで「相手」を認め、受け入れることができるからです。
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この世界は「二元の世界」だから、戦いは起こります。
ただ
一人ひとりの聖戦がどれだけ進んでいるかで
物質世界で起こる「戦いの質」は
変化していくのだろうな〜
なんて思います。
今日のお話はここまでにしたいと思います。
読んでいただきありがとうございました。