皆さんこんばんみっ!!
大人と時間、第2部へようこそ。
何のこっちゃわからん人はこのブログから見てちょ♡♡
さてさて、第2部までやって参りましたこの話し。
この自己満の世界に皆さんを付き合わせている訳ですが…
これが本来のブログのあり方ではないか!!!
いいのだ!!これでいいのだ!!
いいのか…?
いやいいのだ!!
こんなくだらない葛藤も最高である。
さてさて本題へ参りましょう。
1部の方では時間の実態のなさを話していきましたが、ここでは時間の不平等さについて話して行きます。
「時間とは何者にも干渉することのできない絶対的な存在である」
この考え方は、"物理学の父"と呼び声高いアイザック・ニュートンが提唱した言葉です。
正に我々現代人が時間に抱いてる印象ではないでしょうか。
しかし、それより2300年も前に時間について異なる考え方を持つ人がいました。
古代ギリシャ哲学者のアリストテレス。
彼が言うには
「時間とは変化を図るための指標に過ぎない」
です。
もしこの世から変化がなくなれば時間はなくなる。というのです。
時間は絶対的な存在ではなく、変化というものに依存している。
物理学と哲学ではこうも時間に対する考え方が違うんですね。
しかし、現在の科学ではアリストテレスの考え方が正しいと言われています。
そもそも時間とは自分の置かれてる環境や状況でまったく感じ方が違います。
私もバイト中に
「どれくらい時間は経ったんだ!!」
と時計に目をやり5分しか経っておらず絶望した経験が多々あります。
しかし、ずっと続いて欲しい時間はあっという間に過ぎます。
この時点で時間が平等ではないことは明らかです。
時間とはあまのじゃくな性質を持っているとアイザックゆーちゃんは提唱します。
あっちなみにここ、笑うとこです。
早く経て…早く経て…
と思うとスローモーションで、楽しいと思うと光速になります。
だから私は時間に対して抗えないものとは捉えず、常に対話することを意識しています。
時間とコミュニケーションが取れればうまい付き合い方ができますからね。
もっと怖いこと言うと、私たちが生き絶えた時、意識だけの存在となり時間という概念から解き放たれます。
過去、現在、未来とどこに行くにも自由ですし、
そもそも過去、現在、未来など存在しないのです。
時の経過に恐怖を覚える時はありませんか?
皆さんの一番古い自分の記憶はなんでしょう?
その時の自分と今の自分に変化はありますか?
では昨日の自分と今日の自分に変化はありますか?
昨日の自分と今日の自分の変化が、生を受けてから今日に至るまでの変化になっていると考えたら時間感覚に少し疑問を覚えませんか?
あなたが過ごした10年間はこれから過ごす10年間と果たして同じ時間でしょうか?
時間について考えることができるのは大人の特権ではないでしょうか。
「大人と時間」。
閉幕です。
今回のこのブログが時間について考える一助となれば幸いです…
最後に皆さんが私に抱いてる感情を代弁したいと思います。
誰…?
ありがとうございました😇😇😇